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「先輩、」
「カトリーヌさん…」
パーティーが終わってはや1ヶ月。久しぶりに聞こえる声に、思わず目を見開いた。カトリーヌさんは、嬉しそうに笑った。
「ふふ、名前で呼んで欲しいっていうの覚えててくださったのね!嬉しいわ」
「勿論よ」
まさか、公爵令嬢にそんなことを言われるなんて思ってなかったから。でも、フリッツ様も基本名前で呼ばれたがっていたから、似た者同士なのかもしれない。学園内だから許される距離感。
「いつも皆に変に気を遣われるの、嫌だったの。先輩はしっかり平等だから嬉しいわ」
「そ、れは…もしかして、生意気って思われてたりするのかしら、貴族の方たちから」
学園の建前──身分の上下を問わず、年齢が絶対、を思い切り鵜呑みにしていた。思わず焦ったが、カトリーヌさんはにこやかだった。
「まさか!先輩は学園内外でしっかり分けてらっしゃるでしょ。依怙贔屓もしないし。とても頼りになるって噂なのよ」
「それは良かった」
胸を撫で下ろす。本人から言い出したこととはいえ、売店の手伝いをしている貴族の後輩もいる。かなり焦った。
カトリーヌさんはこちらを見ながらおずおず切り出す。
「それでね、頼りにしてもいいかしら」
「何かしら?」
「ドーミエ商店との定期取引、戻したいの」
「…え?」
「お兄様が絶対ダメっていうんだけど、私パーティーでいただいた焼き菓子と、ここで買ってるインクを切らしたくないのよ!」
思わぬ言葉に、目を瞬かせてしまう。カトリーヌさんは尚も熱く言い募る。
「お兄様が定期取引するって仰った時から楽しみにしていたのに、いきなり打ちきりだなんて!文句を言いたかったんだけど、最近、お兄様、学園で妙にピリピリしてて怖くて言えなくて。二階の窓からやたら外を眺めてて……ほら、あそこにまたいるわ」
「え…?」
示された窓の外、政務科の校舎に確かに黒い残像がちらりと見えた。
何だか色々と衝撃的なことを言われた気がする。うちのピエールが作った焼き菓子。商店特製のインク。そういえば来るときは毎度買っていたわね、と思い出す。
固まっているこちらに何を思ったのか、カトリーヌさんは少し慌てた様子で口を開いた。
「あのルーカス様の色のインク、ここでしか手に入らないの。私、授業でも手紙でも絶対あれを使いたいのよ!だって、ルーカス様を思い出せるじゃない?」
「ルーカス様…」
「私の婚約者よ」
ルーカス様。婚約者。カトリーヌさんの、婚約者といえば。ルーカス・ロイセン第三王子殿下?
うちの製品を公爵家の方が使っているだけでも驚きなのに、更に王家にまで届いているとは思わず、瞠目する。
「すこし聞いたんだけどね、契約してたんでしょ?それなら貴族相手でも商店単位で抗議出来るらしいの。勿論、悪いようには絶対しないわ!お願い、取引して?」
「商店単位で、抗議…」
「ええ。ごめんなさい、詳しいことは分からないんだけれど」
頭の中を素早く働かせる。利点、懸念点。とりあえず、確認が必要だ。
フリッツ様に会うのは、少し怖いけど。
「うちとしても本当は是非取引したいの。その法律について調べてみるわ」
◇◇◇
とにかく貴族関係、契約関係の本を読み漁る。商会法に貴族法、判例集から契約事例まで。
「第243条……違う」
似たような事態には目をしっかり通し。
「こっちは相続時の契約」
異なる事例は、読み飛ばして。
「これも違う」
膨大な資料を読み漁るその中で、ふと、フリッツ様のことを思い出した。
パーティーの後、疲れ果ててホールの隅に座り込んでいた私に、優しく声をかけてくれたフリッツ様。
『今日は、本当にありがとう。全部、見ていたよ』
額に伸ばしかけられた手。触れあうかと思った寸前で止められた指先。
『君は本当に強い子だな。……少し、僕には眩しくて』
公爵家で、私の好みにぴったりなレモンティーとナッツのタルトを用意してくれていた姿。嬉しそうに目を細めて、私の熱弁を聞いてくれていた表情。
そして、誘拐の夜。
怯える私を、壊れ物のように抱きしめてくれた、あの必死な体温。
(……おかしい。どう考えてもおかしい気がするわ)
契約解除に関する項目を探していたはずなのに、気付けば思考は別の方向へ逸れていた。ページをめくる手を止め、自分の両頬をパンッと叩く。
もし本当に、私をただの便利な情報源として利用し、体面のために責任を取っただけなら。
どうして、あの男の顔を石のテーブルに叩きつけるほどの、あんな恐ろしい殺意を剥き出しにしたの?
どうして私が彼の足音に怯えてビクッとしたとき、あんなに死にそうなほど悲しげに瞳を歪ませたの?
──どうして、私の様子を気にかけるの。
利用価値のある平民を使う立場なら、もっと美しく笑って、散々搾り取ればいいのに。わざわざ契約まで白紙にして、私を無理やり引き離そうとするみたいな、そんな不器用なやり方をするはずがない。
あれほど胸を抉った冷たい拒絶が、今度は全く別の意味を持って頭の中に組み上がっていく。期待が、膨らんでいく。
「……あの嘘つき黒王子」
思わず毒づく。あの時のことは忘れようとしても胸はズキズキと痛むし、思い出すだけで泣きそうになる。けれど、ただ泣いて、言われるがままに引き下がるなんて、ドーミエ商店の名が廃る。
「私を二度と近づけないつもりなら、もっと徹底的にやらないと。商人を舐めないでほしいわね」
いつの間にか流れていた涙をふいて、きゅっと顔を引き締める。あの頑固で馬鹿みたいに不器用な公爵子息の本音を必ず引っぱりだしてやると、静かに反撃を誓ったのだった。




