メニュー008 栗まんじゅう②
湯船から上がったフィリアは、柔らかなタオルでブロンドの長い髪を丁寧に拭いていた。
頬は、ほんのりと赤く染まり、身体の芯まで温まっている。
地下牢にいた頃は、冷たい水で身体を流す事さえ満足に出来なかった。
一方今は、好きなだけ湯を使い、暖かい部屋で過ごしている。
夢を見ているような気分だ。
フィリアが部屋へ戻ると、机の上に『何か』が置かれていることに気がついた。
『栗まんじゅう』と書かれた丸いお菓子。
そして『抹茶』と書かれた小袋。
さらに『置き手紙』が添えられている。
【アポホテル開業30周年記念サービス】
【ご自由にお召し上がりください】
ご自由にとは『タダで食べて良い』という意味だろうか。
部屋だけでも十分豪華なのに、食べ物までくれるとは。
フィリアは、炊き出しの豚汁を思い出していた。
この国の人は、タダで何かを渡さないと気がすまないらしい。
異界とは、本当に不思議な所だ。
フィリアは、椅子に座り『くりまんじゅう?』を手に取った。
表面は薄い茶色。
艶があり、香ばしい匂いがする。
『くり?』とは、木の実なのか、それとも果実なのか。
聞いたことのない食材だ。
フィリアは、慎重に割ってみる。
すると中から黄金色の餡が顔をのぞかせた。
甘い香りが、フワリと立ちのぼる。
まるで焼き菓子と果実を合わせたような豊かな香りだった。
思わずフィリアの喉が鳴る。
そして、一口かじった。
外側の生地は、しっとりと柔らかい。
柔らかいだけでなく、ほんのり香ばしさも感じる。
噛むたびに優しい甘みが広がる。
そして中の餡。
これが衝撃だった。
驚くほど、なめらかなのだ。
舌の上でほろりと崩れ、濃厚な甘みが広がる。
『くり?』とは、一体なんなんだ。
木の実のような香ばしさが感じられる。
だが木の実にしては、なめらかすぎる。
果実のような風味もある。
穀物のような自然の甘みもある。
フィリアの知識の中に、この味へ該当する食材は存在しなかった。
複雑な味が幾重にも重なっている。
帝国の貴族が食べるどんな高級菓子よりも、ずっと美味しい。
気付けば、栗まんじゅうは半分になっていた。
フィリアは、慌てて残りを皿へ戻す。
もったいない。
こんなに美味しいものは、少しずつ食べるべきだ。
ここでフィリアは、一旦、『まっちゃ?』に視線を向けた。
小袋を開けると、鮮やかな『緑色の粉』が入っている。
小袋には、飲み方の説明が記載されていた。
しかも、絵を使って丁寧に説明している。
外国人旅行者向けの説明だ。
フィリアは、さっそく説明に目を通す。
これまで見てきた文字とは明らかに違う文字 (英語)が並んでいた。
しかし不思議と理解出来る。
意味が自然と頭へ流れ込んでくる。
異界の言語理解能力は、【複数の言語】に及ぶようだ。
かなり便利な能力だ。
まず緑色の粉を器へ入れて、お湯を注ぐ。
そして、かき混ぜると完成らしい。
非常に分かりやすい。
次にフィリアは、『電気ケトル』を手に取った。
「……これに水を入れると、お湯になる?」
帝国にも『熱伝導式魔道器具』という高価な魔道具が存在する。
火を使わずに液体を温められる便利な魔道具だ。
貴族達の間で人気だった。
これも、おそらく似たような魔道具ではないだろうか。
フィリアは、電気ケトルの説明書を発見する。
この説明書も絵で解説されていた。
異界人に優しい宿屋だ。
フィリアは、なんとかお湯を沸かすことに成功した。
湯気が立ちのぼる。
それだけで少し感動する。
フィリアは、緑色の粉を器へ入れて、お湯を注いだ。
お湯全体が、鮮やかな緑色に変わっていく。
「………綺麗な色」
森の色。
若葉の色。
薬師時代、薬草を乾燥させて粉末化したものは、数え切れないほど見てきた。
しかし、ここまで鮮やかな緑色は見たことがない。
まるで、森そのものを閉じ込めたような色だ。
そして、お湯の中で粉をかき混ぜて、抹茶が完成した。
草の香りが広がる。
緑茶に似ているが、もっと濃い香りだった。
フィリアは、期待しながら口をつけた。
だが――。
ゴホッゴホッと咳き込むフィリア。
苦すぎる。
これは『薬の味』だ。
薬師であるフィリアは、断言出来る。
強い苦味成分。
そしてフィリアは、あの詐欺師 (受付の女性)の顔が頭をよぎった。
もしや毒か!?
あの詐欺師の罠か!?
しかし毒性は感じない。
むしろ集中力を高める薬草に近い。
だが、信じられないほど苦い。
フィリアは、慌てて栗まんじゅうへ手を伸ばした。
そして一口かじる。
甘い。
栗の優しい甘みが口に広がる。
口の中で大暴れしていた苦味を、優しく包み込む。
そして苦味が消えた。
フィリアは安堵し、再び抹茶を飲む。
先程より苦くない。
それどころか旨味すら感じる。
苦味の奥に隠れていた味が見えてきた。
そして栗まんじゅうを、もう一口。
甘みが広がる。
さらに抹茶。
そして栗まんじゅう。
抹茶―――栗まんじゅう。
抹茶―――栗まんじゅう。
気付けば無限に繰り返していた。
危険だ。
非常に危険だ。
この二つは、互いを高めあっている。
栗まんじゅうだけでも十分美味しい。
だが、二つ揃った瞬間、別次元の食べ物になる。
甘みが苦味を引き立てる。
苦味が甘みを引き立てる。
どちらも主役であり脇役だった。
フィリアは、夢中になっていた。
帝国に存在しない甘味と苦味の組み合わせ。
異界の食文化は奥が深すぎる。
この国の人は、一体どれだけ美味しい物を生み出せば気がすむのだろうか。
やがて栗まんじゅうは綺麗になくなった。
抹茶も空になった。
フィリアは、大きなベッドへ横になる。
驚くほど柔らかい。
身体が沈み込む。
地下牢では硬い石床に薄い布を敷いて眠っていた。
寝返りを打つたびに身体が痛んだ。
今は違う。
まるで雲に包まれているようだ。
そしてフィリアは、布団へ潜り込み、ゆっくりと瞼を閉じる。
ここでは誰かに起こされる心配もない。
明日の処刑におびえる必要もない。
鉄格子の音も聞こえない。
ただ静かな夜だけが存在した。
こうしてフィリアは、人生で最も心地良い夜を迎えるのだった。
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