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メニュー007 栗まんじゅう①

 フィリアは、今夜の宿屋へ向かっていた。


 無精髭の店主が書いた地図を頼りに、夜の街を歩いている。

 

 帝国では、夜になると街は静かになる。


 平民達は明日の仕事に備えて眠りにつき、夜に出歩く者など、ほとんどいない。


 だが、この国は違う。


 夜になっても人々は笑い、食事や買い物をして人生を楽しんでいる。


 やがてフィリアは、一軒の大きな建物前で立ち止まった。

 


 【アポホテル】



 どうやら目的の宿屋に到着したようだ。


 フィリアは、少し緊張しながら建物の中へ入った。


 受付の女性が「こんばんは」と声をかけた。


 フィリアに笑顔を向けるこの女性は、帝国の『王宮メイド長』に似た独特のオーラをまとっている。 


 この受付の女性、只者ではない。


 フィリアは深々と頭を下げた。


 「こんばんは。フィリア・アンダルシアと申します。宿泊をお願いしたいのですが……」


 「ありがとうございます。ご宿泊は何泊のご予定ですか?」


 フィリアは少し考えた。


 お金は手に入ったが、仕事は見つかっていない。


 長期滞在は、やめておこう。


 「3泊でお願い致します」


 「かしこまりました」


 受付の女性は、慣れた手つきで手続きを進めていく。


 「1泊1万5千円ですので、3泊で4万5千円となります」


 高いのか安いのか分からないが、払えない額ではない。


 宿屋を紹介した店主曰く、値段の割に凄く良いホテルで、観光客も多く利用しているとの事だ。


 フィリアがお金を支払うと、受付の女性は『薄い板』を差し出した。


 フィリアは、「この板は何でしょうか?」と尋ねた。


 「失礼致しました。こちらは『ルームキー』となっております」


 ルールは…“部屋”、キーは…“鍵”。


 「なるほど。『部屋の鍵』ですね」


 「はい。このカードを、ドアノブの上にタッチして下さい。お部屋は、4階の403号室になります。あちらの『エレベーター』をご利用下さい」


 『えれべーた?』とはなんだろうか。


 まあ、行ってみればわかるだろう。


 こうしてフィリアは受付を後にして、またもや『未知の魔法技術』に遭遇した。


 両開きの扉が、チンという音と共に、目の前で開いたのだ。


 「これが……えれべーた?」


 ただの『小さな部屋』にしか見えない。


 まさか、この小さな部屋の中で寝泊まりをするのか?


 だとしたら………狭すぎるっ!


 フィリアは、全て理解した。


 はっ!?


 まさか詐欺か!?


 あの受付の女は、只者ではないオーラを放っていたが、まさか『闇ギルドの詐欺師』か!?


 もうお気付きかもしれないが、『フィリアが全て理解した』時は、おおよそ検討外れの事が多い。


 フィリアは、意を決して小さな部屋に入った。


 エレベーターは、地下階から利用していた宿泊客が数人乗っている。


 フィリアは、その宿泊客を見て、『きっと、この人達も、あの詐欺師に騙されたのだろう』と同情した。


 すると宿泊客の一人が、「何階ですか?」とフィリアに声をかけた。


 「え?あ、えっと4階です」


 宿泊客は、『4』のボタンをタッチする。


 そして扉が閉まった瞬間―――。


 「ひゃっ!?」


 フワリと浮くような感覚が、フィリアの身体を襲った。


 思わず声を漏らすフィリア。


 小さな部屋が、『宙を移動している』のだ。


 部屋が、人を乗せて浮かんでいる。


 フィリアは、恐怖のあまり必死に壁にしがみついている。


 異界とは、本当に恐ろしい所だ。


 扉だけでなく、部屋まで勝手に動くのだから。


 やがて部屋が止まり、チンと扉が開いた。


 どうやら4階へ到着したらしい。


 フィリアは、フラフラになりながら慌ててエレベーターを飛び出した。



 『あちらのエレベーターをご利用下さい』



 騙された。


 やはりあの女は、闇ギルドの詐欺師だった。


 今頃、怯える私を想像しながら、高笑いしているに違いない。 


 『これからは、階段を使おう』と決意したフィリアであった。


 そしてフィリアは、部屋番号を探しながら廊下を進んでいく。


 【403】


 目的の部屋を発見した。


 フィリアは、恐る恐る薄い板を扉へ近付ける。


 ピッと軽い音が鳴り、扉の鍵が開いた。


 フィリアは、さっそく部屋へ入った。

 

 「……すごい」


 部屋は、とても広く清潔で暖かかった。


 大きなベッドも置かれている。


 白くて清潔なシーツ、柔らかい枕、フカフカの布団。


 窓際には机と椅子まである。


 壁には、光る魔道具 (照明)。


 床には、真っ白な絨毯(じゅうたん)が敷かれている。


 地下牢とは何もかもが違う。


 冷たく固い石床もない。


 湿った空気も悪臭も鉄格子もない。


 あるのは静寂と温もりだけ。


 これが異界の宿屋。


 まるで、貴族の別荘ではないか。


 平民の感覚では、理解が追い付かない。


 さらにフィリアは、部屋の奥で『別の扉』を発見した。


 その扉を開けると、白く清潔な空間が広がっていた。


 棚の上には、真っ白な布生地 (タオル)が置かれている。


 使っても良いのだろうか。


 フィリアは、そっとタオルを手に取った。


 驚くほど柔らかい生地だ。


 さらに鏡、洗面台、そして―――浴槽。


 「えっ………?」


 信じられない。

 


 【浴槽】がある。



 しかも広い。


 壁には金属製の管が取り付けられている。


 試しにひねってみると―――。


 シャアアアアアアッ!


 「きゃっ!」


 勢いよく水が飛び出した。


 フィリアは、慌てて後ろへ飛び退く。


 そして冷静に観察する。


 どうやらこの管は、水を出すための魔道具らしい。


 さらに別の管をひねる。


 今度は、お湯が流れ出した。


 フィリアは絶句した。


 管をひねっただけで、お湯が出てきたのだ。


 帝国で、こんな魔道具があるのは、大貴族の屋敷くらいだろう。


 しかしこの国では、宿屋の一室に設置されている。


 さっそくフィリアは、浴槽へ湯を溜め始めた。


 やがて浴槽が湯で満たされ、白い湯気が立ちのぼる。


 フィリアは服を脱いで、湯の中へ身体を沈めた。



 「~~~~ッ」



 声にならない吐息が漏れる。


 身体中の疲労が、湯に溶けていくようだ。


 地下牢で過ごした日々。


 追放された絶望。


 異界へ来てからの戸惑い。


 その全てが、消えていくようだった。


 肩まで浸かり、ゆっくりと瞼を閉じる。


 幸せだった。


 こんな贅沢をして良いのだろうか。


 帝国なら伯爵家の令嬢でも羨む待遇であろう。


 フィリアは思う。


 もしかすると自分は、今、貴族以上の暮らしをしているのかもしれない。


 浴室の湯船の中で、一人静かに微笑むフィリアであった。




 読んでいただき、ありがとうございました。


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