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メニュー058 水⑥

 重苦しい沈黙が、大豪邸の応接間に広がっていた。


 蘭の継母は腕を組み、不機嫌さを隠そうともせず、フィリアと権蔵を見下ろしている。


 その視線の先で、フィリアは静かに動いた。


 何の前触れもなかった。


 ただ、彼女は当たり前のように食器棚へ歩み寄ると、一つのグラスを取り出した。


 そして水道の蛇口をひねり、透明な水を注いでいく。


 コポコポという水音だけが、異様な静けさの中に響いた。


 「ちょっと!何を勝手に、人の家の水を使っていますの!」


 継母の声が鋭く飛ぶ。


 しかしフィリアは振り向かない。


 そのままグラスを見つめ、静かに息を吐いた。


 そして――




 「黙りなさい!」




 初めてだった。


 フィリアが、これほど強い声を出したのは。


 その一言は空気を震わせ、蘭と権蔵の視線を一瞬でフィリアへ引き寄せる。


 継母も言葉を失い、目を見開いた。


 フィリアは何も言わず、ただグラスの水へと視線を落とす。


 次の瞬間、フィリアの右手から強い光が溢れ出す。


 それは、見る者すべての視界を奪うほどの、圧倒的な『聖なる輝き』だった。


 「なっ何ですの、これは!」


 継母が後ずさる。


 だが、光はさらに強くなる。


 水面へと落ちたその光は、まるで呼応するように膨張し、大豪邸全体を包み込んでいく。


 壁も天井も、豪奢な家具も、すべてが光に飲み込まれていった。


 蘭は顔を手で覆い、権蔵も目を閉じた。


 フィリアだけが、目を逸らさず、光の中心をじっと見つめていた。


 その瞳は、蒼く澄み切っている。


 やがて光が収束すると、フィリアは静かに蘭のそばへ歩み寄る。


 そして、グラスを差し出した。


 「さあ、これを飲んで下さい」


 「……うん」


 蘭が、ゆっくりと水を口に含んだ、その瞬間、柔らかな光が蘭の身体から溢れ出す。


 傷ついた皮膚が、再生していく。


 腕のアザも、頬の傷も、まるで時間を巻き戻したかのように消えていく。


 蘭は「……これって……昨日の水」と呟いた。


 その隣で、権蔵が「何が起きてやがる」と、困惑している。


 継母は思わず息を呑んだ。


 「な、何をなさったのですか?」


 その声には、先ほどまでの余裕がない。


 「と、とにかく、夫が戻るまで勝手なことをされては困ります」


 フィリアは、蒼い瞳をまっすぐ継母へと向けていた。


 そこには、これまで見せたことのない冷たい意志が宿っている。


 「ご心配には及びません。社長様の元へは、こちらから向かわせて頂きます。そして、娘さんは、私が引き取ります」


 フィリアは、そう答えると、蘭の手を取り、権蔵と豪邸を後にした。


 背後で継母が何か叫んでいたが、その声はもう届かなかった。


 ◆


 フィリアと蘭は、権蔵の車で社長の元へ向かっていた。


 社長の居場所は、唯のメモによって、すでに分かっている。


 権蔵は、ハンドルを握りながら「なあフィリア、さっきの光なんだが、あれは何だったんだ?」と尋ねた。


 「あれです、マジックです。わ、私は祖国で『マジシャン』をしていまして」


 助手席に座るフィリアは、咄嗟に、名探偵コヌンの知識を引用して、そう答えた。


 『名探偵コヌン』では、コヌンの宿敵として『マジシャンキッド』という人物が登場する。


 いつも全身、真っ白のタキシード姿で、華麗なマジックを使い、コヌンや警察を翻弄して盗みを行うキャラクターだ。


 「祖国でマジックねぇ。フィリアの祖国ってどこなんだ」


 「フィ、フィンランドです」


 フィリアは、以前、焼き鳥屋台の主人と『フィンランド』について話をした事がある。


 蘭は、後部座席で「フィンランド……なんだ」と呟いた。


 「そ、そうです。『オーロラ』が窓についています。『サンタ・クロース』様とは、お友達です」


 フィリアは、オーロラを『カーテン』だと誤解している。


 そして、『サンタクロース』がどんな人物か分かっていない。


 「ま、まあフィンランドの話は、よくわからねぇが、この嬢ちゃんのアザが消えたのは、どういう仕掛けなんだ?」


 蘭は、全身を確かめながら「私のアザ……一瞬で……治った……」と言った。


 フィリアは「偶然ですよ。そんな事より社長の所へ急ぎましょう」と、話を強引に反らしたのであった。


 そして車は、『目的地』にたどり着いた。



 【星應義塾(せいおうぎじゅく)大学病院】



 「ここだな。あのクソ社長の居場所は」


 社長は、息子の良太が入院する病院にいる。


 フィリアは、シートベルトを外すと「ここは、私一人で話をつけて来ます」と言った。


 「無茶だ!あのクソ社長は、頭がおかしいイカれ野郎だぜ!フィリア一人でどうにかなる相手じゃねぇ!」


 「大丈夫です」と、笑顔を見せるフィリア。


 すると、権蔵は頭をかきながら「あぁ分かったよ!じゃあ、これを持っていきな!」と言って『トランシーバー』をフィリアに渡した。


 「これは何ですか?」


 「トランシーバーだよ。ここのボタンを押せば、俺と繋がる。病院内はスマホ禁止だからな。質屋の商品を持って来たんだ。どうだ、気が利くだろう」


 フィリアは、クスッと笑みを溢して「権蔵さんって、博士みたいですね」と言った。


 博士とは、『名探偵コヌン』に登場するキャラクターで、便利な道具を与え、いつもコヌンを助けてくれる。


 蘭も「権蔵さんの質屋……何でもある……」と感心している。


 「あったり前よ。なんたって俺の店は、『歌舞伎町ナンバーワン質屋』だからな」


 権蔵は、『歌舞伎町ナンバーワンホスト』みたいな口調で自慢している。


 そしてフィリアは、車から降りた。


 蘭は、心配そうに「フィリアさん……気をつけて」と声をかける。


 「困ったら、すぐにトランシーバーのボタンを押せよ」


 フィリアは笑顔で頷いて、病院へ向かう。


 そして、唯のメモを見ながら、社長の息子【日向良太】が入院する病室までやって来た。


 ゆっくりと扉を開けるフィリア。


 病室は、広い個室だった。


 大三郎と良太の二人だけだ。


 良太は、点滴と呼吸器で繋がれたまま、眠り続けている。



 

 フィリアは、再び大三郎と対峙した。



 

 蘭を取り戻す戦いが、静かに幕を開けた。




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