メニュー057 水⑤
フィリアは、権蔵が運転する車に揺られている。
唯の活躍により、日向製薬社長の自宅住所が分かった。
唯の言葉が頭に浮かぶ。
『フィリアちゃん、今は大変そうですので、何でもしてくれるっていう約束は、落ち着いてからでいいですからね』
(落ち着いてからでいい)
(つまり落ち着いたら、私は、闇ギルドに所属することになるだろう)
(それでも構わない)
(蘭ちゃんの安全と引き換えならば、そんな代償など安いものだ)
権蔵が、ハンドルを器用に回しながら運転を続けている。
(『車』という乗り物は、本当に不思議だ)
(毎日、歌舞伎町で見かけていたが、実際に乗るのは初めてだ)
(馬がいないのに動いている)
(重たい鉄の塊とは思えないほど、驚くべき速さで、滑らかに進んでいく)
そしてフィリアは、窓の外へ視線を向ける。
道の両側には、立派な木々が並び、高い塀と美しい庭園を備えた豪邸が建ち並んでいる。
「まるで、王侯貴族の屋敷街ですね」
「『松濤』っていう高級住宅街だ。金持ちしか住めねぇ場所さ」
フィリアは、唯のメモを取り出す。
そのメモには、唯が調べた『二ヵ所の住所』が記されていた。
『一ヶ所目』は、日向製薬社長、日向大三郎の自宅だ。
「着いたぜ。この家だな」
フィリアは、その壮大な屋敷に思わず息をのむ。
高い石塀は、人の背丈をはるかに超え、重厚な門扉には、日向家の家紋が刻まれていた。
建物は三階建ての洋館で、まるで宮殿のような威厳を放っている。
「凄い建物ですね」
「金持ちは、住む世界が違うな」
権蔵は、インターホンのボタンを押した。
ピンポーン。
応答はない。
「まあ、そうだろうな。だったら、これならとうだ」
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
「権蔵さん?何をなさっているのですか?」
「こういうのは、根比べなんだよ」
すると、インターホンから女の怒鳴り声が響く。
「うるさいわねぇ!一体どちら様ですの!」
小さな箱 (インターホン)から、突然声が聞こえ、フィリアはビクリと肩を震わせる。
「どうもどうも。わたくし、警視庁公安の山田と申します。ちょっとねぇ、お宅の娘さんが『家庭内暴力』を受けているという通報を頂きまして、様子を見に来たんですよ」
権蔵は、ポケットから『警察手帳らしき物』を取り出して、カメラへ向けて掲げる。
インターホンの向こうでは、慌てて何かを落としたような音が聞こえ、走る足音が続いた。
フィリアは小声で尋ねる。
「権蔵さんは、公安の方だったのですか?」
フィリアは、『公安』を知っていた。
『名探偵コヌン』で、黒の組織と対峙するコヌンの仲間として登場していたからだ。
権蔵は、ヒソヒソと答えた。
「んなわけあるか。嘘に決まってんだろ。この警察手帳もドラマ撮影用の小道具だ。昔、テレビ関係者から買い取った物を、そのまま持ってただけさ」
そして、重厚な門が開き、蘭の継母が不機嫌そうに姿を現した。
年齢は四十代半ばほどだろうか。
ブランド物のワンピースに身を包み、派手な指輪をいくつも身につけている。
「家庭内暴力ですって?どなたが、そんなくだらない嘘を吹き込んだのかしら」
権蔵は、作り笑いをしながら頭を下げる。
「いやぁ、何もないのであれば、それで結構なんですよ。ただ、一目だけ娘さんのお顔を拝見できませんかねぇ。元気な姿を確認できれば、こちらも安心して帰れますので」
「必要ありませんわ。娘は勉強中です。帰ってください」
そして継母は、門を閉めようとしたが、権蔵が門の隙間へ身体を滑り込ませた。
「ハイハイ、お邪魔しま~す!」
「ちょっと!何をしているんですの!」
フィリアも慌てて後に続く。
継母は、怒りで顔を真っ赤にしながら叫んだ。
「勝手に入るなんて不法侵入ですわ!」
「ハイハイ、これは超法規的措置で~す!」
継母は、慌ててスマートフォンを取り出し、電話を掛け始めた。
おそらく、日向大三郎へ連絡しているのだろう。
その隙に権蔵は、廊下を駆け出した。
「フィリア!二手に分かれて嬢ちゃんを探すぞ!」
「はい!」
二人は豪邸の部屋という部屋を次々と開けていく。
応接室。
書斎。
客間。
どこにも蘭はいない。
(蘭ちゃん……どこですか)
「お~い!フィリア~!いたぞ!」
権蔵の声が屋敷中へ響く。
フィリアは、声のする部屋へ全力で駆け込んだ。
そこは、机と参考書だけが並ぶ殺風景な部屋だった。
蘭は、机に向かったまま、小さく身体を震わせている。
そして、蘭の姿を見た瞬間、フィリアは言葉を失った。
昨日より酷かった。
頬だけではない。
腕にも首にも足にも、新しいアザが無数に残っている。
まるで何度も殴られたかのようだった。
「クソッ!」
権蔵は、怒りを抑え切れない様子で、部屋を飛び出していった。
部屋には、フィリアと蘭だけが残された。
「フィリアさん……どうして……ここに……」
フィリアは、蘭をそっと抱き締めた。
「迎えに来ました……帰りましょう……私たちの家に……」
「うん……帰る……喫茶異世界に……」
フィリアが、蘭を連れて部屋を出ると、権蔵と継母が口論している。
「おい!嬢ちゃんがアザだらけなんだが!どういう事だ!」
「あらやだ~、この子、本当にバカですのよ。だから、転んだんじゃないかしら」
継母は、ヘラヘラと笑いながら、そう答えた。
すると蘭は、全身アザだらけの身体で、静かに言った。
「……転んでない……あの人に……殴られた」
継母は、鬼の形相で蘭を睨みつける。
「この子ったら、私の実の娘ではないの。前の母親の教育が悪かったのねぇ。嘘ばっかりつくようになってしまって」
権蔵は「この野郎!嘘をついてやがるのはどっちだ!」と怒鳴り声を上げる。
フィリアは「権蔵さん、落ちついて下さい。ひとまず蘭ちゃんも見つかりましたし、このまま連れて帰りましょう」と言った。
「あら、勝手な事をされては、困りますよ。夫の許可なく娘を外に出す事は、禁じられておりますの」
フィリアは「大丈夫です。今から社長さんの所に行って、許可をもらいますので」と答えた。
そして、唯のメモを取り出した。
唯に調べてもらった『二ヵ所目』は、『社長の居場所』であった。
「いち警察官が、私の夫に交渉するつもりかしら。無理に決まっているでしょう。私の夫を誰だと思っていますの?この国の製薬業界のトップですのよ」
するとフィリアは、静かに言った。
「あなたこそ……『私の力』を……理解していないようです」
フィリアの口調が、いつもと明らかに違う。
フィリアの怒りは、限界に達していた。
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