メニュー056 水④
喫茶異世界の扉には、小さく【本日休業】と書かれた札が掛けられている。
それを見た常連客たちは、店の前に集まっていた。
「おい、今日は休みなのか?」
「珍しいな。フィリアちゃんが休むなんて初めてじゃないか」
「体調でも崩したのかねぇ」
「最近、暑かったからなぁ。無理してたんじゃないか」
「心配だな。熱中症じゃなきゃいいが」
「キョウハ、フィリアノミセ、オヤスミデスカ」
皆が口々に心配する中、権蔵が大きな声を張り上げた。
「ハイハイ!お前ら今日は店は休みだ!店の前にゾロゾロ集まってたら邪魔だろうが!フィリアだって休みたい日くらいあるんだ!ほら、散った散った!」
権蔵に追い払われると、常連客たちは名残惜しそうに店をあとにしていく。
静けさを取り戻した店の前で、権蔵は小さく息を吐く。
権蔵は扉を開けた。
「邪魔するぜ!」
フィリアは、テーブル席に座っていた。
いつもなら笑顔で迎えてくれるはずの彼女は、ただ俯き、両手で一枚の紙を握り締めている。
蘭からの置き手紙だった。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
フィリアさん、この1か月間、本当に楽しかったです。
フィリアさんと過ごした日々は、夢のような時間でした。
でも、現実に戻る時が来たようです。
フィリアさんのコーヒーが大好きです。
そして、フィリアさんが大好きです。
お元気で。
蘭
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フィリアは力なく呟く。
「……また、一人になってしまいました」
その声はあまりにも小さく、今にも消えてしまいそうだった。
マスターが亡くなった日。
喫茶異世界で初めて迎えた一人きりの夜。
あの日と同じ孤独が、再びフィリアの胸を締め付けていた。
すると次の瞬間―――
バンッと大きな音が店内へ響いた。
権蔵が、勢いよくテーブルを叩いたのだ。
フィリアは驚いて顔を上げる。
「おい、フィリア!しっかりしろ!」
権蔵の怒鳴り声が、店内へ響く。
「あの嬢ちゃんは、マスターとは違うだろうが!マスターは、もう二度と帰ってこねぇ!だが、あの嬢ちゃんは違う!連れ戻されただけだ!だったら迎えに行けばいい!」
その言葉を聞いた瞬間、フィリアの止まっていた時間が動き始めた。
『さあ帰るぞ。お前には、薬学部へ進学するために今から猛勉強をしてもらう。これまで以上に厳しく接するつもりだ。覚悟するんだな』
昨日、あの男が放った言葉が脳裏に蘇る。
フィリアはゆっくり拳を握り締めた。
(あの男は、必ず蘭ちゃんに暴力を振るう)
フィリアは、椅子から勢いよく立ち上がった。
その瞳には、再び強い光が宿っていた。
「蘭ちゃんを連れ戻します!」
「よし!乗り掛かった船だ!俺も協力するぜ!」
だが権蔵は、腕を組みながら頭を掻いた。
「……とは言ったものの、肝心の場所がわからねぇと、迎えにも行けねぇ。日向製薬の住所なら調べりゃ出てくるだろうが、社長の自宅となると……」
重苦しい沈黙が、喫茶異世界の店内を包んでいた。
その時だった。
カランと、軽やかな鈴の音が店内へ響いた。
「フィリアちゃ~ん!今日もシュークリーム買ってきたよ~!あれ?」
明るい声とともに、一人の女性が店へ飛び込んで来た。
唯だった。
両手いっぱいに洋菓子店の箱を抱え、満面の笑みを浮かべている。
しかし店内の様子を見るなり、その笑顔は戸惑いへ変わった。
「もしかして今日、お休みでしたか?」
今日は火曜日だった。
フィリアは、唯の顔を見た瞬間、脳裏に一筋の光が走った。
(唯さん……)
(闇ギルドの『詐欺師』兼『暗殺者』兼『スパイ』兼『勧誘担当』兼『魔女』)
(情報を集めるなら、この人以上の適任者はいない)
フィリアは勢いよく立ち上がると、唯のもとへ駆け寄り、両手を強く握りしめた。
(フィ、フィ、フィリアちゃんが~~!!)
(て、て、手を握ってくれた~~!!)
唯は、心の中で大絶叫中だが、表情は平静を装っている。
「フィリアちゃん、どうしましたか?」
フィリアは真っ直ぐ唯を見つめる。
「お願いがあります!」
「お願い……ですか?」
そして権蔵が、口を開く。
「そういやお前、自衛官だったよな」
「自衛官といっても、まだ候補生なんですけど」
「チェッ、なんだ見習いか。だったら無理だよなぁ。日向製薬の社長の自宅住所を調べて欲しかったんだが」
「日向製薬の社長さんですか?日向大三郎さんですよね」
「知ってるのか!?」
「はい。パパの知り合いですから」
店内の空気が一瞬止まる。
権蔵が「は?知り合い?」と、思わず聞き返した。
「はい。パパに聞けば、分かるかもしれません」
権蔵は口を半開きにしたまま固まる。
「お前の親父……何者だよ……」
「え?陸上自衛隊の一等陸佐ですけど」
フィリアは、希望が見えた喜びで胸がいっぱいになり、思わず唯に抱きついた。
(フィ、フィ、フィリアちゃんが~~!!)
(だ、だ、抱きついてくれた~~!!)
唯は、心の中で大絶叫中だが、表情は平静を装っている。
「フィリアちゃん、落ち着いて下さい」
フィリアは、必死な表情で訴えた。
「唯さん!もし、私のお願いを聞いて下さるなら、私は何でも致します!」
「何でもですか?」
「はい!」
その返事を聞いた瞬間、唯の頭の中では盛大な花火が打ち上がった。
(フィ、フィ、フィリアちゃんと~~!!)
(デ、デ、デート出来る~~!!)
(一緒に遊園地……)
(映画館……)
(水族館……)
(手をつないでお散歩……)
幸せな妄想が、一気に膨らんでいく。
一方フィリアは、まったく別の覚悟を決めていた。
(唯さんは闇ギルドの構成員)
(このお願いを叶えて頂いたら、きっと私も闇ギルドへ入ることになるでしょう)
(それでも構いません)
(蘭ちゃんを助けられるなら)
唯は、姿勢を正して敬礼した。
「わかりました!必ずや、パパから社長さんの住所を聞き出してみせます!それでは、さっそくパパに鬼電してきます!」
そして唯は、勢いよく店を飛び出したのだった。
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