メニュー052 酒を浴びる聖女②
大神殿の聖女の私室では、マリーがソファへ深く身を預けながら、赤ワインをゆっくりと口へ運んでいた。
「やっぱり、この年代の葡萄は、香りが違うわね」
マリーの前には、すでに空になった瓶が何本も並んでいる。
付き添っていた神官は、その様子を見て不安そうに眉を寄せる。
「聖女様、そのように続けてお飲みになられては、お身体に障ります」
マリーは気にも留めず、肩をすくめた。
「大丈夫よ。私を誰だと思っているの?」
自信に満ちた笑みを浮かべながら、自分の胸へ手を当てる。
「私は聖女なのよ。自分に聖魔法を使いながら飲んでいるもの。少し具合が悪くなっても、その場で治してしまえば問題ないわ。聖魔法で治癒しながら飲まないと『ゴーレム病』になってしまうもの」
神官は、返す言葉を失った。
聖女が一日に施せる聖魔法には限りがある。
本来なら、病に苦しむ人々へ向けるべき奇跡を、この聖女は、自らの体調管理に使っているのだ。
だが、それを諫められる者は、誰もいなかった。
その時、別の神官が「聖女様、ご来客でございます」と報告に来た。
マリーは眉をひそめる。
「今日は、リフレッシュ休暇中よ。治癒を希望する貴族なら、明日にするよう伝えてちょうだい」
「そ、それが……」
神官が言い淀んだ、その時―――
「リフレッシュ休暇中のところ、失礼いたします」
落ち着いた声とともに、一人の青年が部屋へ足を踏み入れる。
ブレクだった。
マリーは、勢いよく立ち上がった。
「ちょっと待ちなさい!ここが、どこだか分かっているの!?ここは聖女の私室よ!許可なく入っていい場所ではないわ!」
だが、ブレクは少しも動じない。
「至急、お話ししたい案件がございましたので」
そう言うと、そのまま部屋の奥まで歩いていく。
「ちょ、ちょっと!」
マリーが制止する声も意に介さず、ブレクはソファへ腰を下ろした。
フワリと柔らかな座面が沈む。
「さすが聖女様がお使いになる調度品です。座り心地も実に素晴らしい」
「誰が座っていいと言ったの!」
怒り狂うマリーは、神官たちを振り返った。
「早くコイツを外へ連れ出しなさい!」
「は、はい!」
神官は「ブレク様、失礼致します」と言って、ブレクの身体につかみかかる。
するとブレクは、静かに口を開いた。
「おい神官、私は宰相だぞ。これから帝国の命運に関わる話をする。邪魔をするなら、宰相の権限で王宮の地下牢にぶちこむぞ」
穏やかな声だが、その奥には、冷たい威圧感が宿っている。
神官は「ひぃ」と声を発して、ブレクから手を離す。
「お聞き頂けたようですね」
ブレクは聖女に微笑みかけると、再び神官へ言葉を発する。
「神官、聞こえなかったのか。国の命運を左右する話をすると言っているのだ。早く部屋から立ち去れ」
すると神官は「失礼致します」と言って、慌てて私室を出ていった。
「ちょっと神官!待ちなさいよ!」
部屋には、ブレクとマリーだけが残された。
「アンタ、こんな真似をして、ただで済むと思っているの!」
マリーは、ブレクに鋭い視線を向ける。
「たかが宰相のくせに、立場をわきまえる事を知らないようね!あとで皇帝陛下へ報告するわ!覚悟なさい!」
「……覚悟?」
ブレクは低い声を出した。
「覚悟するのは……お前の方だ……」
「お前ですって!?誰に向かって―――」と、マリーが言いかけたその時だった。
部屋の床に、淡い光が発生した。
複雑な紋様が幾重にも重なり、一つの巨大な魔法陣を形成していく。
「な……何なの、これは……」
マリーは、困惑した表情で、一歩後ずさる。
ブレクは、落ち着いた声で答えた。
「……転移魔法だ」
「どうして転移魔法を、ここで使う必要があるのよ」
ブレクは、ソファから立ち上がると、魔法陣の中央へ歩み出る。
「決まっているだろう。お前を『異界に追放する』ためだ」
「はぁ!?ちょっと待ちなさいよ!冗談でしょ!?」
部屋全体を包み込む光は、静かに広がり続けている。
魔法陣は、光を放ちながら脈動していた。
「私は聖女なのよ!誰か~!誰か来て~!」と、大声で助けを呼ぶマリー。
「無駄だ。この部屋には『防音魔法』を付与したからな」
「防音魔法ですって!?どうしてアンタが防音魔法を使えるのよ!?聖女と宰相は、代々『一つの魔法』しか使えないはずよ!」
「俺は使えるんだよ……『複数の魔法』を……」
「……そんな……バカな……」
マリーの足元では、幾何学模様が幾重にも描かれ、膨大な魔力が立ち上がっている。
「ちなみに『遮光魔法』を使っているから、お前が、このまま異界に送られても、誰も気付かない」
「……や、やめて……お願い……」
「今さら命乞いか?」
「何でも言う事を聞くから……だから……異界送りだけは……」
すると、転移魔法の魔法陣が消えた。
マリーは、思わず床に倒れ込む。
「いいか聖女、俺は転移魔法が使える。わざわざ許可をもらわなくても、いつでもお前の元へ転移出来るんだ」
マリーは、恐怖で震えていた。
「先程お前は『皇帝に報告する』と言っていたな。お前こそ立場をわきまえろ。お前が俺に敵対した瞬間、お前を排除する」
「……排除?」
「そうだ、お前が寝ている隙に、お前に転移魔法をかける事も可能ってわけだ。逃げても無駄だぞ。俺は『感知魔法』を使えるから、お前の居場所は、常に把握している」
そしてブレクは、倒れ込むマリーの耳元で囁いた。
「俺を地下牢に入れるか?薬師フィリアにしたように。構わないぞ。ただし、その日に転移で脱獄出来るがな」
「……何が……狙いなの……」
「これからお前は、俺の駒となり、俺の言う通りに行動してもらう。もし少しでも俺を裏切るような動きをすれば、その時は……わかっているな」
マリーは、俯いたまま静かに頷いた。
ブレクは、テーブルに置かれている赤ワインを手に取った。
そして、豪快にラッパ飲みしてみせた。
「さすが、聖女様が嗜むワインだな。良い葡萄を使ってなさる。あ、これは失礼、聖女様も、お飲みになりますよね」
ブレクは、そう言うと、床で項垂れるマリーの頭上からワインをかけた。
豪華な私室でワインを浴びる聖女。
聖女の俯く顔が、赤ワイン色に染まっていく。
「いいか。お前が、たった今、頭から浴びている『このワイン1本の金』で、どれだけの民が飢えずにすむか考えた事があるか」
何も答えず、静かに震えるマリー。
「お前の傍若無人な所業も、今日限りだ。明日から馬車馬のように働いてもらう。覚悟しておくんだな。人生最後の『リフレッシュ休暇』をせいぜい楽しむ事だ」
そう言い残し、ブレクは静かに部屋を後にした。
扉が閉まる音だけが私室へ響く。
残されたマリーは、全身赤ワイン色に染まったまま、その場から動けなくなっていた。
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