メニュー051 酒を浴びる聖女①
ルークベル帝国王都の薬師ギルド本部。
建物の中では、今日も昼夜の区別なく薬師達が忙しく働いていた。
誰の表情にも疲労の色は濃い。
それでも手を止める者は、一人もいなかった。
彼らが作り続けているのは【薬草煎じ液】。
帝国中の平民が頼る、ごく一般的な治療薬だ。
効能は、薬師フィリアが作っていたポーションのおよそ『百分の一』。
しかも苦味が非常に強く『子供が泣き出してしまう薬』として帝国中に知れ渡っていた。
それでも、聖女の聖魔法で治療を受けられない平民達にとっては、命を繋ぐために欠かせない薬だった。
薬師達は寝る間も惜しみ、一本でも多く薬を作り続けている。
その中心で指揮を執る男もまた、休むことを忘れていた。
薬師ギルド長『ガイアス』だ。
その時、扉が静かに叩かれた。
「ギルド長、失礼いたします」
若い女性薬師が部屋へ入ってくる。
「ギルド長、ブレク宰相がお越しになっています」
「ああ、そうか。通してくれ」
「かしこまりました」
女性薬師は一礼したあと、心配そうな表情を浮かべた。
「……ギルド長、たまには、お休みになられてください。このままでは、本当に倒れてしまいます」
ガイアスは、苦笑しながら椅子へ深く腰掛けた。
「ワシもそうしたいところじゃ。しかし帝国が落ち着くまでは、踏ん張らねばならん」
「……はい」
女性薬師は、小さくため息をつくと、静かに部屋を後にした。
入れ替わるように、ブレクが姿を現す。
「ガイアス殿、失礼いたします」
「おお、お主が最近宰相へ就任したというブレクか」
ブレクは丁寧に頭を下げる。
「宰相に就任いたしました、ブレクと申します。ご挨拶が遅くなってしまい、申し訳ございません」
「そんなに堅苦しくせんでもよい。お主の父親とは旧知の仲じゃったからな」
ブレクは、少し驚いたような表情を見せた。
「父をご存じなのですか?」
「ああ。飲み仲間じゃった」
ガイアスは、懐かしそうに笑う。
「酒を酌み交わしながら、一晩中あやつの愚痴を聞かされたことも、一度や二度ではない」
ブレクも、わずかに口元を緩めた。
「……そうだったのですね」
「ブレトのことは、本当に残念じゃった。帝国は惜しい男を失った」
「……はい」
【ブレト】とは、ブレクの父の名だ。
ガイアスは、静かにブレクを見つめた。
その視線は穏やかでありながら、人の本質を見抜こうとする鋭さを帯びている。
「ブレクよ」
「はい」
「宰相となった今、お主は、父の死をどう感じておる」
部屋の空気が、少しだけ張り詰めた。
ブレクは、迷うことなく答える。
「……聖女が……憎いです」
その一言を聞いた瞬間、ガイアスの表情が変わった。
遠い昔の記憶が、一気に蘇る。
ガイアスの脳裏に、数年前の酒場の光景が鮮明に蘇った。
◆
ガイアスとブレトは、行きつけの大衆酒場で、木製の丸卓に座りジョッキを傾けている。
二人は、仕事帰りに酒を酌み交わすのが習慣になっていた。
「おい、ガイアス!聞いてくれ!」
「どうした。また何かあったのか?」
「あの聖女はダメだ!あれはクソ女だ!」
ガイアスは、慌てて周囲を見回した。
店内には、仕事帰りの兵士や商人達が大勢いる。
「ブレトよ。ここは大衆酒場じゃ。もう少し発言に気をつけんか」
「いーや!何度でも言わせてもらう!俺は、国民を玩具みたいに扱うあの聖女が憎いんだよ!」
「こら、飲み過ぎじゃ。そのくらいにしておけ」
◆
ガイアスは現実へ意識を戻すと、思わず豪快に笑った。
「ハッハッハッ」
突然笑い始めたガイアスに、ブレクは驚いている。
「ガイアス殿?」
「ブレトと同じ言葉を口にするとはな」
「私が……父と?」
「ブレク、お主は父の意思を、しっかり受け継いでおるようじゃ」
「はい」
ブレクの曇りなき瞳には、一切の迷いがなかった。
「命を懸けてでも、あの聖女と対峙するつもりです」
「そうか……ならば、お主に話しておこうかの。薬師ギルドの秘密を」
「秘密?」
「フィリアの『ポーション』についての話じゃ」
ブレクの表情が引き締まる。
ガイアスは、ゆっくりと語り始めた。
フィリアが、素材そのものへ『聖魔法』を付与していたこと。
その素材を用いて薬を調合することで、通常では考えられない効能を持つ『ポーション』が完成していたこと。
全てを包み隠さず話した。
話を聞き終えたブレクは、静かに呟く。
「……そういうことだったのですか」
「お主の父親はな。最後まで、フィリアの無実を信じておった」
「父が……」
「ブレトは、フィリアを心から尊敬していたからな」
ガイアスは、椅子から立ち上がると、窓際へ歩き始めた。
「『フィリアが処刑された』という皇帝の書簡が届いた直後、ワシはブレトを訪ねた」
「父をですか」
「あやつが王宮に姿を見せなくなったとも聞いておったからな。気になったのじゃ」
◆
ブレトの書斎では、部屋中に酒瓶が転がり、机には飲みかけのワインが何本も並んでいた。
ガイアスは、ブレトに尋ねる。
「ブレト!この書簡には『フィリアが処刑された』と書かれておる!本当なのか!」
ブレトは、酒瓶を握ったまま答えた。
「……処刑じゃねぇ」
「何?」
「異界送りだ」
「……異界……送りじゃと?」
「そうだ」
ブレトは、酒を一気に煽る。
「皇帝と聖女の命令で、俺が、この手で送り出した」
震える声だった。
◆
ブレトは、王宮の地下牢で叫んでいた。
「フィリアさん!あなたは帝国の功労者だ! 帝国になくてはならない人だ!俺が必ず無実を証明してみせます!じゃないとガイアスに顔向けできねぇ!」
すると、牢の中で衰弱していたフィリアが微笑んだ。
「ブレト宰相、私は大丈夫ですから。ブレト宰相こそ、ご無理をなさらず、お身体を大切になさってください」
◆
ブレトは、書斎の机を拳で叩いた。
「ガイアス!フィリアさんは、自分があんな目に遭っても、他人を心配する人なんだ!そんな人が毒殺なんか考える訳ないだろ!あのクソ女の嘘に決まってる!」
◆
ガイアスは、静かに話を終えた。
「ガイアス殿。本日は、ありがとうございました」
「あまり無茶をするなよ。身体を壊すぞ」
「目的を果たすまでは、私は倒れるわけにはいきません」
その言葉を残し、ブレクは部屋を後にした。
静かに閉まる扉を見つめながら、ガイアスは小さく息を吐く。
「あの目……」
あれは、覚悟を決めた男の目であった。
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