メニュー047 回転寿司①
今日も、朝から雨が降っている。
梅雨に入ってから、喫茶異世界は静かな時間が増えていた。
コーヒーを淹れる音と、店内で流れるジャズだけが聞こえてくる。
この時間、客は一人だけだった。
カウンター席で、ホットコーヒーをゆっくり味わっている男―――権蔵だ。
最近の権蔵は、日を追うごとに身なりがお洒落になっていく。
仕立ての良い濃紺のジャケットに白いシャツ、胸元には細身のネクタイを締め、腕には高級そうな腕時計が光っている。
髪も整えられ、靴は雨の日にもかかわらず鏡のように磨き上げられていた。
まるで実業家のようだ。
権蔵は、カップを口元へ運び、一口飲むと満足そうに息を吐いた。
「やっぱり、この味は落ち着くな」
フィリアは「ありがとうございます」と嬉しそうに微笑む。
このブレンドコーヒーは、マスターが何十年もかけて完成させた喫茶異世界オリジナルの味だった。
フィリアは、マスターの味を変えないよう細心の注意を払いながら、一杯一杯丁寧に淹れている。
権蔵はカップを置き、ふと思いついたように言った。
「そういやフィリア、コーヒー豆を販売したらどうだ?」
「コーヒー豆を……ですか?」
思いもよらない提案だった。
「マスターから引き継いだブレンドコーヒーなんだろ?だったら『豆そのもの』を売ればいい。家でもこの味を楽しみたいって客は、案外にいるもんだぜ」
フィリアは目を丸くした。
隣で食器を拭いていた蘭も、その話を聞いて「……確かに」と小さく頷いている。
フィリアは腕を組み、真剣に考え始めた。
今までコーヒーを淹れることばかり考えていて、『豆そのもの』を販売するという発想はなかった。
すると権蔵は、ニヤリと笑い「だったら俺の店で買い取ってやろうか?」と提案した。
「え?」
「俺の店は質屋だぜ。それに中古品だけじゃねぇ。最近は色々扱ってる。試しに置いてみてもいいぜ」
「よろしいのですか?」
「ああ。売れる保証はねぇが、試してみる価値はある」
フィリアは「よろしくお願いします」と頭を下げた。
こうして喫茶異世界では、新たな商品として『ブレンドコーヒー豆』の販売準備が始まった。
数日後、フィリアは両手に紙袋を抱え、歌舞伎町を歩いていた。
紙袋の中には、丁寧に袋詰めされた『ブレンドコーヒー豆』が20袋入っている。
1袋200グラムずつ詰められ、喫茶異世界のロゴシールまで貼られていた。
そしてフィリアは、一軒の古びた雑居ビルの前で足を止めた。
【宝石・金券・DVD】
【何でも買い取ります】
以前『薬師バッジ』を売却した『権蔵の質屋』が入っているビルだ。
フィリアは、薄暗い階段を降りていく。
壁には、色鮮やかなチラシが何枚も貼られていた。
【仮面女子のガールズバー!新装オープン!】
【四階のコスプレ喫茶で萌えも萌えキュンキュンしよ♪】
【ボインボインカフェは、ボインボイン居酒屋にリニューアルしました!】
フィリアは、真剣な表情でチラシを眺めている。
「???」
まったく意味が分からない。
言語理解能力をもってしても、理解不能な単語ばかりだった。
「相変わらず怪しい建物ですね……」
蘭を連れて来なくて正解だったと、フィリアは胸をなで下ろす。
ここは、聖女様が来るような場所ではない。
フィリアは、地下二階の扉の前に到着した。
そして、店内へ足を踏み入れた。
棚という棚に、色鮮やかな『小さな箱』が隙間なく並べられている。
箱に描かれた女性達は皆、美しく、そして不思議なくらい笑顔だった。
しかも、そのほとんどが肌を露出させている。
『ディー・ヴイ・ディー』という商品らしい。
フィリアは、真剣な表情で「全員笑顔です……きっと高値で売られる奴隷なのでしょう……」と呟いた。
ここは奴隷商人の店。
フィリアは小さく息を吸い込み、気を引き締める。
「油断してはいけません……」
すると、店の奥から権蔵の声が響いた。
「おうフィリア!コーヒー豆を持って来たか!」
フィリアは、カウンターへ向かい、20袋のコーヒー豆を丁寧に並べた。
袋越しにも、香ばしいコーヒーの香りがフワリと漂う。
権蔵は、1袋を手に取り、封の状態や内容量を確認すると、満足そうに頷いた。
「よし。1袋200グラムだな。商品詳細のラベルは俺の方で貼っといてやる」
「ありがとうございます」
「約束どおり、1袋千円で買い取るが、大丈夫か?」
「お願いします」
「20袋だから2万円だな」
コーヒー豆の仕入れ代、包装資材、シール代を差し引くと、1袋あたり5百円の利益が残る。
20袋で1万円の利益だ。
フィリアの顔がパッと明るくなる。
喫茶異世界にとって、1万円は決して小さな金額ではない。
権蔵は、現金を手渡しながら笑った。
「儲かる商品ってのは、二種類しかねぇ。売れる物と、何度も買いたくなる物だ。このコーヒーは後者だ。一回飲んで終わりじゃねぇ。また飲みたくなる味だ。全部捌けたら、また買い取ってやるよ」
フィリアは「ありがとうございます」と頭を下げた。
喫茶異世界に『新たな収入源』が生まれた瞬間だった。
そしてフィリアは、軽くなった足取りで、店を後にしようと振り返る。
その時、店の入口から、一人の男が陽気な鼻歌を歌いながら入って来た。
立派な髭。
がっしりした体格。
そして眩しいほどの笑顔。
フィリアの動きがピタリと止まる。
「ま、魔王……」と呟くフィリア。
『ドワーフ田中』だった。
「おっ!新作があ・る・よ♪」
ドワーフ田中は、楽しそうに歌いながら、棚からDVDを次々と手に取っていく。
1本、2本、3本……。
5本、10本、15本……。
あっという間に腕いっぱいになるDVD。
それでもまだ止まらない。
「今日は豊作があ・る・よ♪」
ドワーフ田中は、満面の笑みで独り言を呟きながら、新作を抱え込んでいく。
フィリアは物陰から、その様子を震えながら見つめていた。
ここは奴隷商人の店。
棚に並んでいるのは、高値で売られる奴隷達。
フィリアは、ゴクリと唾を飲み込む。
あの男……次々と奴隷を買い集めている。
それも、あれほど大量に。
裏社会の人間でなければ、こんな買い方はしない。
フィリアは、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「やはり、あの男は、魔王だったのですね……」
そしてドワーフ田中は、鼻歌交じりにレジへ向かう。
「あ・る・よ♪あ・る・よ♪」
その陽気な歌声が、逆に不気味だった。
フィリアは柱の陰から、そっとその背中を見送る。
「あの魔王は、これほど多くの奴隷を集めて、一体何を企んでいるのでしょうか……」
喫茶異世界最大の宿敵。
【魔王・ドワーフ田中】
フィリアの中で、その警戒度は、さらに一段階引き上げられたのであった。
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