メニュー042 再びナポリタン
【天然薬師フィリア】と【聖女?蘭】が同居生活を始めてから、早いもので二週間が過ぎていた。
フィリアの生活は、この二週間で大きく変わった。
元々、喫茶異世界の二階には、フィリアが暮らしている『八畳の和室』と『六畳の物置部屋』がある。
フィリアは当然のように、自分の和室を蘭へ譲ろうとした。
聖女様を物置部屋に住まわせるなど、とても許される事ではないと思ったからだ。
しかし蘭は、その申し出を即座に断った。
「私は物置でいい……それと……蘭様って呼ぶのはやめて欲しい……蘭でいい……あと……この店で働かせて欲しい……」
そう言われた時、フィリアは深く感動した。
(なんと謙虚な聖女様なのだろう
(民のために尽くし、住む場所すら持たず、さらには自分を特別扱いしない)
(やはり本物の聖女様は違う)
フィリアは、ますます尊敬を深めた。
その後、物置部屋は急ピッチで改装された。
窓には簡易式エアコンを設置し、小さな棚も購入した。
最低限ではあるが、生活に困らない部屋へと生まれ変わった。
そして今に至る。
◆
【朝6時】
フィリアは起床した。
和室の棚に置かれた『家宝の宝珠』に、両手を合わせるフィリア。
「ママ、今日も一日頑張ります」
【朝6時30分】
フィリアは、和室の鏡の前に立ち、いつもの制服に着替える。
黒のタキシード風ジャケット、黒のパンツ、黒の前掛け、黒の蝶ネクタイ。
そして胸ポケットには、マスターから譲り受けた『銀色の懐中時計』。
「……よし」
フィリアは、鏡の前で小さく頷いた。
【朝7時】
一階へ降りたフィリアは、フワリと漂う香りに足を止める。
甘酸っぱく香ばしい匂いだった。
「いい匂いです」
厨房では蘭がフライパンを振っている。
ジュウジュウと音を立てながら炒められているのは、真っ赤な『ナポリタン』だった。
蘭は、意外にも料理が得意だった。
フィリアが数週間かけて習得した喫茶店のメニューを、わずか二日で覚えてしまった。
本人曰く、ずっと自炊をしてきたかららしい。
蘭は、フィリアと同じ制服を着ている。
黒いショートヘアの髪色が、マッドブラックの制服とよく似合っている。
「フィリアさん……おはよう」
「おはようございます蘭様…ではなくて蘭ちゃん」
そしてフィリアは、サイフォンの前へ立つ。
ガラス器具の中で湯が踊る。
コポコポと心地良い音が、店内に響く。
蘭は、その様子を見ながら静かに言う。
「お店のメニューを覚えたけど……コーヒーだけは……どうしても……上手くいかない……フィリアさんは……スゴい……」
フィリアは照れながら「ありがとうございます」と答えた。
新たに蘭が店で働くようになってから、二人の役割分担も自然と決まっていた。
フィリアは、コーヒーと接客担当。
蘭は、人見知りで、お客との会話が苦手なため、調理と皿洗いを担当している。
二人で働くようになってから、お客の回転率も格段に良くなった。
やがて、ナポリタンとホットコーヒーがテーブルに並んだ。
フィリアは、好物のナポリタンをじっと見つめる。
鮮やかな赤色のソース。
玉ねぎとピーマン。
厚切りベーコン。
湯気と共に立ち上るケチャップの香り。
やはり朝は、このナポリタンを食べないと、1日が始まらない。
蘭は、必ず、食事の前に両手を合わせて「いただきます」と口にする。
(きっと『豊穣の神』へ祈りを捧げているのだろう)
(聖女様の信仰心の深さが伝わってくる)
フィリアも手を合わせて、蘭の真似をするように「いただきます」と言った。
そしてフィリアは、フォークでナポリタンを巻き上げる。
赤いソースが艶やかに光る。
口へ運んだ瞬間、甘酸っぱい香りが広がった。
ケチャップの優しい酸味。
カリカリに焼かれたベーコンの旨味。
炒められた玉ねぎの甘味。
そしてピーマンの苦味。
舌の上で、全てが一体となる。
フィリアは「今日のナポリタンも美味しいです」と笑顔で言った。
すると蘭は、恥ずかしそうに「……ありがとう」と答えた。
「蘭ちゃんのナポリタンは、お店で出せるレベルです」
「……実際に出してる」
「そうでした」
そして二人は、コーヒーを手に取る。
大の甘党であるフィリアは、砂糖とミルクをたっぷり入れる。
一方、蘭は『ミルクだけ』入れる。
フィリアは、コーヒーにドバドバ砂糖を入れながら「蘭ちゃんは、砂糖はいらないのですか」と尋ねた。
蘭は「私は……ミルクだけ……」と答えた。
(帝国でも、信仰深い神官は、粗食を重んじると聞く)
(蘭ちゃんも、砂糖という嗜好品を避けているに違いない)
フィリアは『さすが本物の聖女様だ』と感動した。
ちなみに蘭は、単純に甘いコーヒーが苦手なだけであった。
「やっぱり……フィリアさんのコーヒー……美味しい」
蘭のその言葉を聞いた瞬間、フィリアの脳裏に、一つの光景が蘇った。
◆
朝の店内。
テーブル席に並ぶコーヒーとナポリタン。
向かいに座るマスター。
『やっぱりマスターが淹れるコーヒーは、最高ですね』
『そう言ってもらえると嬉しいね』
あの日の笑顔。
あの日の声。
今でも鮮明に思い出せる。
◆
フィリアは、懐かしい気持ちになりながら「そう言ってもらえると嬉しいです」と笑顔で答えた。
あの日のマスターの言葉を真似るように……。
やがて二人は朝食を終えた。
「蘭さん、そろそろ開店の準備を始めましょうか」
「……うん」
食器を片付けて、開店準備を始める。
【朝8時】
喫茶異世界の開店時間となった。
フィリアは、店の扉へ向かう。
扉の外では、朝から見慣れた顔ぶれが集まっていた。
「おはようフィリアちゃん!腹減ったから来ちゃったよ〜!」
銭湯の常連達だ。
フィリアは「今、店を開けますね」と笑顔で答える。
すると今度は、陽気な声が飛んできた。
「フィリア!ケバブヲタベニキタ!」
ケバブ屋台の店員達だ。
「ケバブなら、自分のお店で食べればいいじゃないですか」
フィリアが笑うと、彼らも大笑いする。
朝の新宿ゴールデン街。
フィリアは、看板を『close』から『open』へ裏返す。
そしてフィリアが店内を振り替える。
蘭がカウンターに立ち、調理の準備に取りかかっている。
常連客が続々と入店する。
「喫茶異世界、開店しま~す。いらっしゃいませ~」
こうして今日も、フィリアと蘭の新しい1日が始まるのだった。
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