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メニュー004 豚汁②

 街を歩くフィリアの足が、自然と止まった。


 温かな香りが、フワリと風に乗って流れてきたからだ。


 帝国の宮廷料理のような強い香りではない。


 優しくて暖かい、庶民が食す家庭的な香り。


 フィリアのお腹が「グゥ」と小さく鳴る。


 フィリアは、香りを追いかけるように歩き始めた。


 そして、広場のような場所に、たどり着いた。


 看板が立っている。



 【大久保公園・炊き出し広場】



 『たきだし?』とは何だろう。


 意味は、よく分からないが、大勢の人が集まっている。


 若者やお年寄りがいる。


 身なりの良い人もいれば、疲れた顔をした人もいる。


 さらに外国人観光客や子供まで混ざっていた。


 様々な人が一つの場所に集まり、何かを受け取っているようだ。


 そして皆、嬉しそうな顔をしている。


 フィリアは、人だかりの先に視線を向けた。


 そこには『巨大な鉄鍋』があった。


 思わず息を呑むフィリア。


 こんなに大きな鍋は、王都の宿屋でも見たことがない。


 そして鍋の中では、何かがグツグツと音を立てながら煮込まれている。


 白い湯気が絶え間なく立ちのぼる。


 肉や野菜の香り。


 複雑で奥深い発酵の香り。


 食欲が刺激される。


 フィリアは、その香りに誘われるように、鍋の近くまでやって来た。


 すると、恰幅(かっぷく)の良い女性が声をかけてきた。


 「おや?お嬢ちゃん、外国の人かい?」


 フィリアは、少し考えてから「たぶん……そうだと思います」と答えた。


 正確には、【異世界人】だ。


 だが説明しても理解されないだろう。


 「お嬢ちゃん、日本語上手だねぇ。『豚汁』食べるだろ?」



 「とんじる?」



 「豚肉と野菜の味噌スープ煮込みだよ」


 そして女性は、豚汁を差し出した。


 フィリアは、慌てて尋ねた。


 「あの、お金は?」


 女性は、キョトンとした顔になった。


 そして大きく笑った。


 「アハハッ!いらないよ!」


 「え?」


 「炊き出しだもん」


 『たきだし』の意味は分からないが、お金はいらないらしい。


 つまり『タダ』ということだろうか。


 食事を配るのに金銭を要求しない。


 なぜ?


 帝国では考えられない仕組みだ。


 フィリアは、「あ、ありがとうございます」と両手で受け取った。


 そして驚いた。


 器が軽いのだ。


 信じられないほど軽かった。


 帝国の木の器より軽い。


 木でも陶器でも銀でもない。


 フィリアは、思わず何度も器を確認する。


 未知の技術だ。


 さらに『細長い棒』を二本渡された。


 フィリアは首を傾げた。


 ……棒だ。


 これは何だろう。


 何に使うのか、さっぱり分からない。


 武器だろうか。


 それとも料理を刺して食べる串のような物か。


 フィリアが困惑していると、女性が察したらしい。


 「あっ、ごめんごめん。『箸』は使った事なかったみたいだね。プラスチックのスプーンも用意してるから」


 そう言って、透明な袋に入った白い『匙』を差し出した。


 フィリアは、さらに驚く。


 『新品の匙』だ。


 誰も使っていない。


 傷一つない。


 しかも小袋で包まれている。


 「これは、新品ですか?」


 「そうだよ」


 「よ、よろしいのですか?」


 「もちろん!」


 フィリアは絶句した。


 帝国では、貴族によって使い古された食器が街で売られており、平民が新品の食器を使う事など、まずない。


 ましてタダで配る食事に、新品の匙のサービスなどあり得ない。


 そうか!


 フィリアは全て理解した。


 この恰幅の良い女性は、この街を納める名のある『貴族様』なのだろう。


 そして、先程見かけたあの『ドラゴン』は、この街を守る『神獣様』に違いない。


 そう考えると全てが繋がる。


 フィリアは、女性に「神獣様にお仕えする貴方様の御慈悲、ありがたく頂戴致します」とお礼を伝え、深々と頭を下げた。


 女性は、「え?し、しんじゅう?」と困惑している。


 そしてフィリアは、落ち着いた場所へ移動すると、さっそく料理へ視線を向けた。


 茶色いスープの中に、大量の具材が浮かんでいる。


 豚肉、野菜、芋、どれも見たことない具材ばかりだ。


 さらに一つ一つが、とても大きい。


 そして湯気が立っていた。


 久しぶりの温かい食事。


 それだけで胸が締めつけられた。


 フィリアは、ゆっくりと匙を入れる。


 まずスープをすくい、口へ運んだ。


 蒼い瞳が大きく見開かれた。


 温かいスープが舌へ触れた瞬間、身体の奥まで熱が染み込んでいく。


 冷え切っていた身体が、少しずつ溶けていくようだった。


 深くて、優しい味。


 地下牢の『冷たいスープ』とは全く違う。


 旨味、香り、塩気、そして温もりがある。


 口の中に広がる豊潤な風味に、フィリアは言葉を失った。


 今度は、具材と一緒にスープを口に含む。


 透明の野菜 (大根)が柔らかい。


 驚くほど柔らかいが、形は崩れていない。


 噛むと染みたスープが溢れ出してくる。


 続いて赤い野菜 (人参)。


 こちらも、甘みがある。


 野菜なのに驚くほど甘い。


 だが、ここでフィリアの匙を持つ手が、ピタリと止まった。


 これは何だ?


 木の枝か?


 何でスープに『木の枝』が入っているんだ?


 ゴボウは、正確には『木の根』であるが、そんな事はフィリアにはわからない。


 フィリアは、恐る恐る木の枝を口に運ぶ。


 「……おいしい」


 想像よりもずっと柔らく、歯ごたえが面白い。


 『木の枝』がこんなに美味しいとは知らなかった。


 そして豚肉を口に運んだ。


 柔らかく臭みがない。


 噛むたびに肉汁が広がる。


 その旨味がスープと混ざり合い、さらに深い味わいを生み出していた。


 気付けば夢中になっていた。


 一口、また一口と手が止まらない。


 器を持つ手が温かい。


 頬も温かい。


 胸の奥が温かい。


 地下牢の冷たい記憶が、少しずつ消えていくのがわかった。


 フィリアは周囲を見回した。


 皆、同じ料理を食べている。


 地元住民と外国人観光客、老人に若者、子供達にホームレスの人々。


 誰もが笑顔だった。


 ここでは、身分の差など存在しない。


 皆が同じ鍋の料理を食べている。


 帝国では、あり得ない光景だ。


 フィリアは、再びスープを口へ運ぶ。


 この『とんじる』という料理は、本当に美味しい。


 やがて器の底が見え始める。


 名残惜しかった。


 もっと味わっていたいと思った。


 フィリアは、器を両手で包み込む。


 まだ少し温かい。


 その温もりを感じながら、小さく呟いた。




 「……しあわせ」




 その言葉は、自然と零れ落ちた。




 それは、帝国で長らく忘れていた久しぶりの『幸福』だった。




 読んでいただき、ありがとうございました。


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