メニュー037 ケバブ①
「権蔵さんが、どんどんお洒落になっていく……」
フィリアは、サイフォンの前で困惑していた。
昼下がりの喫茶異世界には、コーヒーの香ばしい香りが漂っている。
カウンター席には権蔵が座っていた。
その姿は数ヶ月前とは、まるで別人だった。
以前の権蔵は、無精髭を生やし、くたびれた上着を着た怪しい中年男だった。
今の権蔵は違う。
髪は綺麗に整えられ、髭も綺麗に剃られている。
濃紺のジャケットに白いシャツを合わせ、首元には落ち着いた色のストールまで巻いていた。
革靴は磨き上げられ、腕時計まで洒落た物に変わっている。
フィリアは、そんな権蔵をチラチラ見ながらコーヒーを差し出す。
「ど、どうぞ。ホットコーヒーです」
「ああ、ありがとう。いつもながら素晴らしい香りがするコーヒーだな」
「……???」
口調まで変わっている。
権蔵は、優雅にコーヒーを飲み始める。
もしかすると権蔵は『変身魔法』でも覚えたのだろうか。
フィリアが、そんな事を考えていると、権蔵が口を開いた。
「なあフィリア」
「はい」
「客を増やしたいなら、テイクアウトメニューを出したらどうだ?」
「ていくあうとメニュー?」
「持ち帰り出来る料理の事だよ」
権蔵はコーヒーを飲みながら説明する。
「新宿は観光客が多い。だから観光客向けに食べ歩き出来る料理を出せば、客足が増えるじゃねぇか」
フィリアは目を丸くした。
確かに理にかなっている。
この街には異国から来る旅人も多い。
その旅人向けに料理を出せば、新しい客層を取り込めるかもしれない。
「なるほどです!」
フィリアは勢いよく立ち上がった。
「少し探してきます!」
「お、おい!」
権蔵が呼び止める間もなく、フィリアは店を飛び出していた。
権蔵は、店の看板を『close』にして額を押さえている。
「ったく、俺の会計を忘れてやがる」
権蔵の口調が素に戻っている。
一方フィリアは、真剣な表情で街を歩いていた。
持ち帰り出来るメニュー。
どんな料理がいいだろう。
そんな事を考えながら歩いていると、不意に香ばしい香りを感じた。
肉が焼ける匂い、香辛料の刺激的な香り。
食欲を強烈に刺激する香りだった。
フィリアは、吸い寄せられるように路地へ入る。
そこには一軒の屋台があった。
巨大な肉の塊が縦に刺さり、ゆっくりと回転している。
周囲には異国風の装飾。
店員達は、この国の民ではないようだ。
褐色の肌を持つ男達が、陽気に声を掛け合っていた。
「ゲバブ!オイシイヨ!」
「……けばぶ?」と呟くフィリア。
「オイシイヨ!ヒトツカウ?」
「お願いします」
フィリアは、一つ注文した。
巨大な肉の塊は炎で炙られている。
表面はこんがりと焼け、肉汁が滴り落ちていた。
店員は長い包丁で肉を削ぎ落とし、薄いパンへ挟んでいく。
そこへ野菜を乗せ、白いソースをかける。
「カラサ、エラベル。ドレニスル?」
どうやらケバブの辛さを選択する仕組みらしい。
フィリアは、中辛を選択する。
そして、あっという間に完成した。
「ハイ!ケバブ!」
店員が元気よく差し出した。
「ありがとうございます」
フィリアが、一口頬張る。
その瞬間―――
「……っ!」
脳が揺れた。
肉汁が弾けた。
香辛料の香りが、鼻を駆け抜けた。
肉の旨味が押し寄せたかと思えば、シャキシャキの野菜が追い掛けてくる。
さらに濃厚なソースが、全てをまとめ上げる。
一口目を飲み込む。
二口目を食べる。
三口目を食べる。
辛味と旨味のバランスが絶妙で、気がつけば手が止まらくなっていた。
思考が止まるほど美味しかった。
フィリアは、瞬く間にケバブを完食した。
そして、真剣な顔で店員達へ向き直る。
「教えて下さい!」
「オシエル?ナニヲデスカ?」
「この料理の作り方を教えて下さい!」
店員達は困惑している。
そして、異国の言葉でコソコソと相談を始めた。
フィリアは耳を傾ける。
この国で初めて聞く言葉だ。
だが、言語理解能力で理解は出来る。
フィリアは、店員達に話し掛けた。
「私の喫茶店の新メニューにしたいのです」
流暢なトルコ語だった。
店員達が固まる。
数秒後―――
「えっ!?」
「トルコ語!?」
「なんで話せる!?」
ケバブ屋台は、大騒ぎになった。
フィリアは咄嗟に答えた。
「あ、兄がトルコ出身です」
もちろんフィリアに兄はいない。
店員達は納得した。
「なるほど!」
「そういう事か!」
フィリアのトルコ語がきっかけとなり、店員達と一気に打ち解ける事が出来た。
そして、あっさり話はまとまった。
フィリアは、ケバブの作り方を教えてもらえる事となった。
肉の味付け、香辛料の配合、焼き方……。
陽気な店員達が、ケバブに関する様々な事を教えてくれる。
フィリアは興味津々だ。
特に、巨大なケバブグリルには感動した。
肉が回転している。
ただそれだけなのに格好良い。
フィリアは、ケバブ作りに夢中になった。
その時、不意にマスターとの会話を思い出した。
マスターから、喫茶異世界のメニューを教わっていた時の会話だ。
~フィリアとマスターの会話~
『マスターから教わったメニューが、少なすぎます……このメニューだけで、本当にやっていけるでしょうか?』
『これでいいんだよ』
『ですが……』
『むしろ少ない方がいい……新しいメニューを考えるのが、一番面白いんだ』
この時のフィリアは、マスターの意図が分からなかった。
今なら分かる。
新しい料理と出会う。
知らない技術を学ぶ。
それを自分の店へ取り入れる。
フィリアは、自然と笑顔になった。
マスターの言う通りだ。
新しいメニューを考えるのは、本当に面白い。
こうしてフィリアは、毎日、喫茶店が閉店してから、屋台で働きながらケバブを学ぶ事になった。
喫茶異世界の未来を変えるかもしれない、フィリアの新しい挑戦が始まった。
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