メニュー033 栗まんじゅうお化け②
唯は、新宿駅東口を出て、人波の中を軽やかな足取りで歩いていた。
目的地は【飛勢丹新宿店】。
新宿を代表する百貨店であり、特に地下の食品売り場が有名で、和菓子の名店も多数入っている。
唯がエスカレーターで地下へ降りると、そこには別世界が広がっていた。
和食、洋食、中華、サラダ、スイーツ……。
多くの名店が軒を連ね、思わずお腹が鳴りそうになる。
唯は案内板を見ながら歩き回り、やがて目当ての店を発見した。
まんじゅう専門店だ。
木目調の上品な売り場には、綺麗に包装された箱が並び、その横には試食用のまんじゅうまで置かれていた。
唯は、お目当ての『栗まんじゅう』を発見する。
店員に試食を勧められ、一つ受け取る。
小ぶりな栗まんじゅうは、艶やかな焼き色をしており、表面には薄い照りが浮かんでいる。
一口かじると、しっとりとした皮がホロリと崩れた。
中から現れた餡は上品な甘さで、その中心には大きな栗の甘露煮が丸ごと入っている。
栗を噛めば、ホクホクとした食感と優しい甘味が口いっぱいに広がった。
唯は、迷わず栗まんじゅうを購入し、さらにお茶専門店で抹茶も購入した。
これでフィリアちゃんも、きっと喜んでくれるはずだ。
唯は、満足そうに紙袋を両手に持ち、そのまま喫茶異世界へ向かった。
店の扉を開くと、カランと鈴が鳴る。
聞き慣れた音だ。
店内には落ち着いたジャズが流れ、コーヒーの香りが漂ってくる。
フィリアは、唯の姿を見た瞬間、蒼い瞳が大きく開いた。
フィリアちゃんの『この仕草』は、本当に可愛い。
きっと癖なのだろう。
蒼い宝石のような瞳がパチリと開く様子は、見ているだけで心が和む。
唯は、笑顔でカウンター席に座った。
「フィリアちゃん、こんにちは!いつものをお願いします!」
フィリアは小さく頷くと、コーヒーの準備を始めた。
唯は、その姿をじっと見つめる。
お湯を沸かし、豆を挽き、コーヒーを淹れるフィリア。
その一つ一つの動作が、無駄なく美しい。
そして何より、亡くなったマスターによく似ていた。
丁寧な所作、柔らかな動き、コーヒーと真剣に向き合う姿勢。
コーヒーを淹れるフィリアちゃんの姿が、かつてのマスターと重なる……。
唯は、自然と胸が温かくなった。
そして、出来上がったコーヒーが運ばれてきた。
唯は、ゆっくりと口をつけた。
まず鼻を抜ける芳醇な香り、続いて広がる柔らかな苦味。
飲み込んだ後も余韻が長く残る。
唯は思わず呟いた。
「美味しいなぁ……」
その瞬間、フィリアが口を開く。
「あの……本当に美味しいですか?」
唯は一瞬固まった。
フィリアちゃんから話しかけてくれたのは、これが初めてだ!
嬉しさが一気に込み上げてくる。
唯は勢いよく答えた。
「もちろん!最高に美味しいよ!本当に美味しい!」
フィリアは、再び蒼い瞳が大きく開く。
唯は、上機嫌でコーヒーを飲みながら「私はブラックなんですよ」と口にした。
唯は、昔から『ブラックコーヒー』一筋だった。
すると、フィリアがピタリと固まった。
数秒後。
「あの……唯さんは……ブラックなのですか?」
唯のコーヒーを持つ手が止まる。
今、確かに聞こえた。
フィリアちゃんが、初めて『唯さん』と名前を呼んでくれた!
唯の胸の中で何かが爆発する。
確実に仲良くなっている。
これは大きな進歩だ。
唯は、満面の笑顔で「はい!私はブラックです!」と答えた。
フィリアの蒼い瞳が大きく開く。
唯は、カップに残った最後の一口を、惜しみながら口へ運んだ。
フィリアちゃんのコーヒーは、本当に不思議だ。
疲労が、ゆっくり溶けていくような感覚になる。
訓練で疲労した身体も軽くなり、明日からまた頑張ろうと思える。
そして唯は、足元に置いていた紙袋へ視線を向けた。
今日の目的を、まだ果たせていない。
「あの、フィリアちゃん!これ良かったらどうぞ!お土産です!」
唯は、そう言ってフィリアに紙袋を差し出した。
フィリアは、戸惑いの表情を見せている。
なぜだろう。
もしかして遠慮をしているのだろうか。
「栗まんじゅうと抹茶です!フィリアちゃんの好物だと聞きまして!」
フィリアは驚きのあまり、目だけが紙袋と唯を行ったり来たりしている。
フィリアちゃんは、突然、好物を目の前にしてビックリしているようだ。
どうやら想像以上に気に入ってくれたらしい。
唯は思わず嬉しくなった。
フィリアは「唯さんは、どうして私の好物を知っているのですか?」と尋ねた。
フィリアちゃんが、また『唯さん』と呼んでくれた!
フィリアちゃんとの仲は、確実に前進している。
「フィリアちゃんは、私達の間で有名でしたから。『栗まんじゅうお化け』って呼ぶ人もいました。私は可愛いアダ名だと思いますよ」
唯は、ホテルでバイトをしていた頃を振り返り、そう答えた。
フィリアは、完全に言葉を失っていた。
きっと、私のサプライズプレゼントに感動しているのだろう。
言葉を失うほど栗まんじゅうが好きだったとは、さすが【栗まんじゅうお化け】と呼ばれていただけはある。
時計を見ると、そろそろ帰る時間だった。
教育隊の門限に遅れるわけにはいかない。
唯は席を立った。
「それじゃあ、そろそろ帰ります」
フィリアは、無言でこちらを見ている。
その姿が少しだけ寂しそうに見えた。
気のせいかもしれない。
でも、もしそうだったら嬉しい。
唯は笑顔で言った。
「また、来週も来ますね!」
最後に、フィリアの蒼い瞳が大きく開く。
『やっぱりその反応、可愛いなあ』と唯は思った。
きっと驚きやすい性格なのだろう。
唯は手を振りながら店を出た。
春の柔らかな風が頬を撫でる。
唯の足取りは軽い。
いや、軽いどころではない。
今なら教育隊まで走って帰れそうな気さえする。
「よし!行ける所まで走って帰ろう!」
ここのコーヒーを飲むと、いつも元気になる。
身体が軽い。
力が湧いてくる。
疲労が消える。
だから毎週通ってしまう。
マスターのコーヒーも大好きだったが、フィリアちゃんのコーヒーも大好きだ。
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