メニュー032 栗まんじゅうお化け①
伏見 唯は、この春、大学を卒業して陸上自衛隊へ入隊した。
そして現在、八王子教育隊の候補生として生活している。
朝は早い。
訓練は厳しい。
教官は怖い。
それでも唯は、この配属先に満足していた。
正確には『自分で選んだ』と言った方が正しい。
どうしても唯は、八王子教育隊に入りたかった。
そのため、陸上自衛隊幹部である父へ何度も頭を下げた。
唯が、八王子教育隊を希望する理由は2つある。
1つ目は、新宿まで京王線で一本だから。
つまり『喫茶異世界』に通いやすい。
2つ目は、八王子教育隊の休日が珍しく平日だから。
よって『喫茶異世界』の定休日と被らない。
一般的な教育隊は、土日が休みになる。
しかし八王子教育隊は、少し特殊だった。
地元還元の一環として、毎週日曜日は高野山周辺を訪れる観光客の警備支援プログラムが組まれている。
その関係で、休日が土曜日と火曜日に設定されていた。
よって、毎週火曜日に『喫茶異世界』へ通う事が出来る。
つまり八王子教育隊は、唯にとって最高の環境だった。
唯は、『喫茶異世界』に通うために配属先を選んだという事だ。
もっとも、その事実を知る者は誰もいない。
月曜日の午後、唯は教官室の前に立っている。
唯がノックをすると、中から「入れ」と低い声が返ってきた。
唯は「失礼します」と敬礼して入室した。
机の向こうでは、教官が書類に目を通している。
そして唯の顔を見て、大きなため息を吐いた。
「また来たのか?」
「はい」
「分かっている。外出許可だろう?」
「はい」
「毎週飽きないな」
「規則違反ではありませんので」
「ま、まぁ、それはそうなんだが」
教官は額を押さえた。
本来、教育隊の候補生は、慣れるまで外出はしない。
これは規則ではなく『慣習』だった。
だから唯は、毎週、外出許可をもらいに来る。
本来なら教官も「外出なんて100年早い!大人しく寮にいろ!」と言いたい所だ。
だが、唯の父親は有名な陸自幹部だ。
それだけでも教官は、唯の扱いに悩まされる。
そして唯の扱いに困る理由は、他にもあった。
唯が、人並み外れた身体能力の持ち主だからだ。
特に、唯の【体力】が異常だった。
唯は、同期達が息を切らす訓練でも平然としている。
長距離走でも、山岳行軍でも、腕立て伏せでも……。
周囲が次々と倒れ込む中、唯は一人だけ元気だった。
いつしか八王子教育隊では、こんな『あだ名』が付いていた。
【不死身】の女。
名前が【伏見】だから【不死身】の女。
このアダ名は、八王子教育隊で定着していた。
特に、休み明けの『水曜日』が異常だった。
ある水曜日、20キロ行軍を終えた候補生達が地面へ倒れ込んでいた。
「む、無理だ……」
「足が動かねぇ……」
「誰か水を……」
そんな中、唯は汗を拭きながら言った。
「次の訓練は?」
教官が固まった。
「伏見、お前、疲れていないのか?」
「はい。まだ余裕があります」
周囲の候補生達が絶望する。
「化け物だ……」
「何で疲れないんだ?」
「やっぱり不死身の女だ……」
教官は、外出許可証に判を押しながら言う。
「いいか不死身……ではなくて伏見」
「はい」
「お前が、通常訓練に物足りなさを感じている事は分かっている」
「……?」
唯は首を傾げる。
そんな事は、一度も言った覚えがない。
教官は話を続ける。
「しかし、休日は身体を休める日だ。お前はストイック過ぎる」
「……?」
「お前が外出許可を取る理由は、分かっている。私も若い頃は、自分の限界に挑んだものだ」
「……?」
「自分を追い込むのは悪い事ではないが、無理だけはするなよ。お前が身体を壊すと、お父様の伏見1佐も悲しむぞ」
「……?」
周囲は、唯に盛大な勘違いをしていた。
【ストイック過ぎる伏見唯は、通常訓練だけでは物足りず、外出許可を取って、休日も隠れて個人訓練をしている】
周囲は、そう誤解していた。
実際は違う。
唯は、休日に『行きつけの喫茶店』に通っているだけだ。
唯も初めは『喫茶店へ行くために外出しています』と訂正していた。
だが、誰も信じてくれないので、訂正する事が面倒になった。
唯は外出許可を受け取ると「ありがとうございます」と敬礼した。
翌日の火曜日。
唯は、新宿に向かう京王線の電車に揺られていた。
今日は、週に1度の喫茶異世界へ行く日。
自然とテンションが上がる。
冬にマスターが亡くなった。
本当にショックだった。
今でも胸が苦しくなる。
マスターの穏やかな笑顔、優しい声、そして美味しいコーヒーに、もう二度と会えないと思った。
けれどマスターの店は残った。
そして、マスターの唯一の弟子である【フィリアちゃん】が受け継いだ。
【フィリアちゃん】
唯は、窓の外を眺めながら微笑む。
フィリアちゃんが淹れるコーヒーは、本当に美味しい。
なぜか分からないが、飲むと身体が軽くなる。
疲れが吹き飛ぶ。
明日からまた訓練を頑張ろうと思える。
そしてフィリアちゃんは、とにかく可愛い。
特に、蒼い瞳が可愛い。
見ているだけで吸い込まれそうになる。
フィリアちゃんと、もっと仲良くなりたい。
だが現実は厳しい。
なかなか距離が縮まらない。
壁を感じる。
それも、とてつもなく高い壁だ。
話しかけても最低限しか返ってこない。
どうすれば、フィリアちゃんと仲良くなれるだろう。
唯は、電車の中で腕を組み、考えを巡らせる。
そして閃いた。
贈り物だ!
フィリアちゃんに『プレゼント』を持っていこう!
何がいいだろうか?
フィリアちゃんが喜びそうなもの。
唯は、大学時代の記憶が蘇った。
当時の唯は、アポホテルで受付のアルバイトをしていた。
そしてフィリアも、アポホテルに宿泊していた事がある。
確かその時、売店のおじさんが言っていた。
『あの外国人のお嬢さん、また栗まんじゅうと抹茶を買っていったぞ』
毎日、栗まんじゅうを買うらしい。
しかも何箱も買うらしい。
ホテルで噂になっていた。
いつしかフィリアちゃんに、妙な『あだ名』まで付いていた。
【栗まんじゅうお化け】
唯は、電車の中で思い出し笑いをした。
可愛いアダ名だと思う。
よし!
栗まんじゅうと抹茶を買って、フィリアちゃんにプレゼントしよう!
きっと喜んでくれるに違いない。
今日こそは、フィリアちゃんと仲良くなってみせる!
「まもなく~、新宿~、お降りの方はお忘れ物のないよう、ご注意下さい~」
新宿到着を告げる電車のアナウンスが聞こえてきた。
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