メニュー030 美味しいコーヒー②
フィリアは、店内のテーブル席に座っている。
窓の外では、大雨が降っていた。
冬の冷たい嵐が吹き荒れている。
一方、店内は静寂に包まれていた。
テーブルには【一通の手紙】が置かれている。
フィリアは静かに手紙を開く。
見慣れた文字が並んでいた。
マスターの字だ。
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フィリアへ
この手紙を読んでいるという事は、私は旅に出たようだね。
フィリアが初めて店にやって来たあの日、私の身体は限界を迎えていた。
最後の営業日にしようと思っていたんだ。
閉店前、最後にやって来たのがフィリアだった。
その日、フィリアが初めて淹れてくれた「ほろ苦いコーヒー」を飲んで、少しだけ身体が軽くなった気がしたんだ。
フィリアが淹れるコーヒーは、本当に不思議だと思った。
この子が淹れるコーヒーを、もっと飲んでみたいと思った。
そしてフィリアは「この店で働きたい」と言ってくれた。
だから、もう少しだけ店を続けてみようと思えたんだ。
フィリアと過ごした二ヶ月間は、本当に楽しかった。
フィリアがくれた「人生最期のプレゼント」のような気がした。
私は、お返しをしなければならないね。
この懐中時計を贈ります。
そしてフィリアに、最期の課題を与えようと思う。
「一杯のコーヒーを淹れて欲しい」
きっと、私の思いが伝わるはずだよ。
今日まで本当にありがとう。
いつまでもお元気で。
マスターより
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手紙を読み終えたフィリアは、しばらく動かなかった。
長い時間が経過した。
外の雨は、弱まっていた。
フィリアは、静かに立ち上がると、サイフォンの前へ向かった。
マスターが何度も立った場所。
フィリアが何度も隣に立った場所。
フィリアは、ゆっくりとコーヒー豆を挽き始めた。
静寂にゴリゴリと音が響く。
そして、サイフォンを組み立てる。
一つ一つの動作を丁寧に行う。
その最中、不意に思い出した。
フィリアが、初めてコーヒーを淹れた『あの日』……。
~二ヶ月前~
フィリアとマスターは、テーブルに向かい合って座った。
そして、互いにカップを持ち、同時に口へ運ぶ。
ひと口。
沈黙。
数秒後―――
二人は、顔を見合わせた。
そして吹き出した。
「フフッ」
「ハハハッ」
笑いが止まらない。
驚くほど不味い。
不味すぎる。
苦味が強過ぎて、雑味を感じる。
香りも変だ。
先程、マスターが淹れたコーヒーとは、似ても似つかない。
フィリアは、正直に言った。
「美味しくないですね」
「初めてにしては、まずまずだよ」
「本当ですか?」
「あぁ、なかなかの味だよ」
マスターの穏やかな笑顔。
あの【不味いコーヒー】を褒めてくれた。
自信を持たせてくれた。
自分が前へ進めるように。
だから今の自分がいる。
二ヶ月後の現在―――
抽出が終わり、コーヒーが完成した。
芳醇な香りが店内へ広がる。
コーヒーを、静かにカップへ注いでゆく。
あの日、マスターと向かい合ったテーブルに、一人で座るフィリア。
向かい合う先に、マスターはもういない。
そして、カップを持ち、口へ運ぶ。
ひと口。
沈黙。
数秒後―――
フィリアは、顔を上げた。
「……マスターの味がする」
フィリアの目から、大粒の涙が零れ落ちた。
【美味しいコーヒー】の味がした。
【マスターのコーヒー】の味がした。
【二ヶ月間の思い出】の味がした。
「一杯のコーヒーを淹れて欲しい」
きっと、私の思いが伝わるはずだよ。
マスターの手紙の言葉。
フィリアは…………全て理解した。
マスターは励ましてくれている。
私が落ち込むとわかっていて。
前を向けと言っている。
そう伝えたかった。
不思議と絶望は消えていた。
『この店を頼んだよ』
マスターが残した最期の言葉。
フィリアの胸に温かな気持ちが宿った。
時は流れる。
寒い冬が終わり―――
【暖かい春】がきた。
フィリアは、店の前に立っている。
いつもの制服。
胸のポケットには【銀色の懐中時計】。
フィリアは深く深呼吸をした。
「……いい天気」
そして看板へ手を伸ばす。
『close』
そう書かれた札を裏返した。
【open】
マスターの店は、フィリアへ引き継がれた。
今日も、カランと扉の鈴が鳴る。
「いらっしゃいませ」
フィリアは笑顔で出迎えた。
新しい朝が始まる。
―――第1章 完
これで、第1章は完結となります。
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