メニュー023 しじみ汁
翌朝、フィリアは、布団の上で額を押さえながら「うぅ……」と苦しんでいた。
頭が痛い。
昨夜の事は覚えている。
権蔵や銭湯の常連達に、居酒屋で合格祝いをしてもらった。
そこで飲んだ梅酒が、とても美味しかった。
その結果、5杯もおかわりをしてしまったのだ。
そして今に至る。
つまり原因は明白だった。
「ゴーレム病ですね……」
フィリアは、薬師らしく正確な診断を下した。
酒を飲み過ぎた翌日に発症する病、それが【ゴーレム病】だ。
激しい頭痛、吐き気、倦怠感を引き起こし、患者から正常な判断力を奪う恐ろしい病気だ。
その頭痛が、まるで『ゴーレムに殴られたような痛み』である事から、帝国では古くから『ゴーレム病』と呼ばれている。
しかも、ゴーレム病には大きな特徴がある。
未だに特効薬が存在しないのだ。
薬師ギルドは長年研究を続けてきた。
歴代の天才薬師達も挑戦した。
だが成果はなかった。
酒好き達は皆、夢見る。
ゴーレム病の特効薬が欲しいと。
もし特効薬を開発すれば、帝国最高の名誉である『ルークベル帝国勲章』を授与されるだろうとまで言われている。
そしてゴーレム病は、さらに恐ろしい事実が存在する。
聖女の聖魔法が効かないのだ。
つまり、フィリアのポーションも効かない。
聖魔法すら通じない病。
それがゴーレム病だった。
「恐ろしい病気です……」
幸い今日は『土曜日』だ。
喫茶異世界は『土・日・祝日』が『定休日』となっている。
今日は、一日ゆっくり休もう。
そしてフィリアは、フラフラとした足取りで階段を下りていく。
すると一階からいい匂いが漂ってきた。
定休日のはずなのに厨房に灯りがついている。
フィリアが顔を出すと、そこには鍋をかき混ぜるマスターの姿があった。
「おはよう」
「お、おはようございます……」
フィリアは首を傾げた。
「今日は定休日ですよね?」
「定休日だよ」
「では、なぜお店に?」
「昨日、銭湯の常連達と遅くまで飲んでたんだろ?」
フィリアは驚いた。
「なぜ知っているのですか?」
「ここは、新宿ゴールデン街だからね」
意味が分からない。
するとマスターは笑う。
「この辺は『狭い村』みたいなものなんだ。噂話なんて一晩で広まるよ」
なるほど、さすが異界だ。
ここの住民達の情報伝達能力は、帝国の情報士官に匹敵するらしい。
フィリアは、真面目な表情で感心している。
そして、マスターがかき混ぜる鍋から、フワリと海の優しい香りがした。
「きっと二日酔いだと思ってね」
「二日酔い?」
「酒を飲み過ぎた翌日の体調不良の事だよ」
フィリアは目を見開く。
こちらの世界では『ゴーレム病』を『二日酔い』と呼ぶらしい。
なんとも変わった呼び名だ。
ゴーレム病は、通常、半日程で改善される。
だが異界のゴーレム病は、この苦しみが『二日間』も続くというのか。
フィリアは、考えただけでゾッとした。
マスターは器へ汁を注ぐ。
その中には小さな貝が大量に入っていた。
「しじみ汁だよ」
「スープですか?」
「昔から『二日酔いに効く』って言われているんだ」
フィリアは、思わず鼻で笑った。
もちろん失礼な意味ではない。
純粋な薬師としての反応だった。
「そんな馬鹿な話がある訳ありません」
「ん?」
「ゴーレム病ですよ」
「ん?」
「ゴーレム病は、帝国最高峰の薬師達が何百年も研究している難病です」
「ん?」
マスターは、フィリアの言葉が理解出来ず、ただ『ん?』と繰り返すだけになっている。
フィリアは、このスープがゴーレム病に効くとは到底思えなかった。
一方で、マスターの料理が全て最高なのも事実だ。
効能は期待出来ないが、味は期待出来る。
そしてフィリアは、匙を手に取った。
澄んだ汁からは、優しい香りが立ちのぼっている。
ゆっくりと口へ運ぶ。
その瞬間、じんわりと温かな旨味が舌の上で広がった。
塩気は控えめだが、その奥に濃厚な旨味が隠れている。
貝から染み出した出汁が、身体の隅々まで染み渡るようだ。
フィリアは黙ったまま、もう一口飲む。
さらに飲む。
気付けば夢中になっていた。
そして今度は、しじみの身を取り出して食べる。
小さいが、旨味は驚くほど濃厚だ。
噛むたびに海の風味が広がる。
とても優しい味がする。
まるで、疲れた身体を労わるために作られた料理のようだ。
そして数分後―――。
フィリアは、身体の異変に気付いた。
「あれ……?」
頭が軽い。
額を押さえるフィリア。
先程まで『ゴーレムから激しい攻撃を受けていた』はずの痛みが、明らかに弱まっている。
吐き気も薄れていた。
身体のだるさも和らいでいる。
フィリアは固まった。
そして勢いよく立ち上がった。
「マ、マスター!」
「ん?」
「これは大発見です!」
フィリアは、目を瞬かせながら興奮していた。
薬師としての血が騒いでいる。
「この『しじみ汁』というスープには、症状を緩和する効能があります!」
「ん?」
「大変です!」
「ん?」
「薬学の歴史が変わります!」
お気付きかもしれないが、マスターは先程から『ん?』しか言っていない。
フィリアは真剣だった。
もし帝国で、この発見を報告したら大騒ぎになる。
薬師ギルドは歓喜するだろう。
酒好き達は神の如く崇めるだろう。
ルークベル帝国勲章も確実だ。
フィリアは震える手で器を見つめた。
中には、しじみの殻だけが残っている。
まるで『伝説の秘薬』を見つけた薬学者のような表情だ。
薬師としての誇りにかけて断言出来る。
「今日は、歴史的な日になりました」
「ん?」
「薬学の常識が覆された日です」
「ん?」
こうしてフィリアは、ゴーレム病の特効薬である『しじみ汁』の存在に衝撃を受けながら、定休日の朝を過ごすのであった。
読んでいただき、ありがとうございました。
【ブックマーク登録】や【★★★★★評価】で応援を頂けますと、とても励みになります。
どうぞよろしくお願い致します。




