メニュー022 皇帝の質素な食事②
マリーは、大量のポーションを積み込んだ荷馬車を引き連れて、王宮へと到着していた。
王宮の空気は、以前とは明らかに違っている。
使用人達の表情は暗く、廊下を行き交う騎士達にも余裕がない。
だがマリーは、そんな様子には気にもとめずに『王家の間』へ向かった。
すると、その途中で怒鳴り声が聞こえてきた。
廊下にいた侍女達が、ピクリと肩を震わせる。
マリーは眉をひそめた。
聞き覚えのある声だったからだ。
間違いない、皇帝の声だ。
王家の間へ近付くにつれて、その怒鳴り声は一層大きくなった。
「小麦のパンではないのか!なぜこの私が、硬い黒パンなど食べないといけないのだ!」
マリーが扉を開くと、王家の間では、真っ赤な顔で激怒する皇帝の姿があった。
食卓には昼食が並んでいる。
たが、その内容は以前とは大きく変わっていた。
黄金色に焼き上げられた小麦の白パンはない。
代わりに置かれているのは、ライ麦の黒パンだった。
黒パンは庶民の食べ物であり、王族や貴族が口にする事はない。
銀皿の上には、痩せ細った鶏肉がポツンと盛られている。
スープは、野菜の欠片が浮かぶだけの味気ないものだった。
新鮮な果物も、一切置かれていない。
皇帝は、この【質素な食事】を見ながら激怒していたのだ。
「余を誰だと思っている!ルークベル帝国皇帝の『ディナード・ルールベル』であるぞ!」
王家の間に重苦しい沈黙が流れる。
その時だった。
一人の青年が足早に入室する。
若き宰相【ブレク】だった。
フィリアの異界追放が執行された翌日に就任した新任宰相である。
そして、異界追放を主導した前任宰相の息子でもあった。
歳は、まだ20代半ばで、宰相としては異例の若さだ。
そのため、地位こそ高いものの、王宮内での発言力は決して強くない。
ブレクは、皇帝の前へ進み出ると、深々と頭を下げた。
「陛下、お呼びでしょうか」
皇帝は、怒りを隠そうともせず叫ぶ。
「ブレク!説明しろ!なぜ余の食事が、このような有様なのだ!」
ブレクは静かに答えた。
「地方との交易路が、機能不全に陥っているためです」
「交易路だと!?」
「はい。騎士団の負傷者が増え続けている影響で、魔物討伐が間に合っておりません」
ブレクは、広げた資料を示した。
「王都と地方を結ぶ街道には、多数の魔物が出没しております。本来であれば騎士団が定期的に討伐を行いますが、現在は負傷者の増加によって戦力不足となっております」
皇帝は眉をひそめる。
「それが何だというのだ!?」
「街道が危険になれば、商人は移動を避けます。結果として、地方から王都へ物資が届かなくなります。小麦不足も、それが影響です。地方から小麦が届かないのです」
皇帝は食卓の黒パンを見た。
理解力が乏しい皇帝も、ようやく事の経緯が分かってきたようだ。
「ま、まあパンの件は承知した。だが、この痩せ細った鶏肉は何だ?余が好きな牛肉や豚肉はどうした?王都にも牛や豚くらいは、おるであろうが?」
ブレクは苦い表情を浮かべた。
「家畜も小麦不足の影響を受けております」
「どういう事だ?」
「小麦は人間だけでなく、家畜の飼料としても利用されております。餌が不足すれば家畜は太りません」
皇帝は絶句した。
「まさか小麦一つで、ここまで変わるというのか……」
「はい」
しかしブレクの危機感は、皇帝より遥かに深かった。
問題は小麦ではない。
物流そのものだ。
小麦が届かないのであれば、木材も鉄も薬草も届かない。
帝国全体の供給網が崩れ始めている。
だが、その危険性を理解している者は少なかった。
王家の間にいる貴族達も、ただ皇帝の機嫌ばかりうかがっている。
誰も根本的な問題を見ようとしない。
その時―――。
マリーが、一歩前へ出た。
「陛下」
皇帝は、マリーの背後にある大量のポーションを見た瞬間、その顔が明るくなった。
「おお!聖女か!」
マリーは優雅に微笑む。
「国中から回収したポーションをお持ち致しました」
神官達が木箱を並べていく。
箱の中には大量のポーションが詰まっていた。
皇帝は満足そうに頷く。
「よくやった!そして丁度良い所へ来た。マリーよ、急ぎ騎士達を治療せよ!」
皇帝の命令に、マリーの笑顔が、わずかに曇った。
「騎士達の負傷者は何名ほどですの?」
するとブレクが「約200名です」と答えた。
その数字を聞いた瞬間、マリーの顔色が焦りに変わる。
マリーの聖魔法では、1日に治療出来る人数は10人程度が限界だ。
200人ともなれば、毎日治療を続けても20日間かかる計算になる。
しかも、その間にも騎士の負傷者は増え続けるだろう。
マリーは動揺した。
だが、ある考えが閃く。
「あら、それなら簡単ですわ」
王家の間の視線が、マリーに集まる。
マリーは自信満々に言った。
「このポーションを、騎士達へ配れば良いのです。騎士達が回復すれば、街道の魔物討伐も再開出来ますし、問題は解決ですわ」
すると皇帝は、目を輝かせながら「おお!それは名案だ!」と言った。
周囲の貴族達も、慌てて皇帝の発言に続いた。
「さすが聖女様!」
「なんと素晴らしい発想!」
「これで帝国は安泰ですな!」
王家の間は、一気に明るい空気に包まれる。
だが、その中で一人だけ青ざめている人物がいた。
ブレクだ。
彼は理解していた。
これは解決ではなく、ただの先送りだ。
確かに騎士達は回復するだろう。
街道も、一時的には安全になるだろう。
だが、ポーションが尽きた後はどうする。
次に200人が負傷した時は。
さらに負傷者が300人になった時は。
誰も、その先を考えていない。
皇帝の取り巻き達は、皆、この場を収める事しか考えていなかった。
ブレクは、胸の奥で言いようのない不安が広がっていた。
この国は危険だ。
誰も気付いていないようだが、確実に何かが壊れ始めている。
そして、その崩壊の中心には、一人の薬師の不在があった。
かつて帝国を支えていた薬師。
帝国で唯一『ポーション』を作成出来た人物。
【フィリア・アンダルシア】
彼女を失った代償は、想像より遥かに大きかった。
王家の間では、まだ呑気な歓声が続いている。
だが、ブレクは笑えなかった。
彼だけが見えていたのだ。
帝国崩壊の日が、近い事を。
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