メニュー002 帝国の冷たいスープ②
フィリアは、空になった木の器を、しばらく見つめていた。
すると地下牢の静寂を破るように、複数の重い足音が通路の奥から響いてくる。
規則正しく鳴る金属音。
護衛騎士達だ。
そして甘い花の香りが漂ってきた。
地下牢には似つかわしくない香りだ。
やがて鉄格子の前に現れたのは、一人の女性だった。
純白の法衣、胸元には黄金の刺繍、そして長い銀髪。
慈愛を象徴するような美しい微笑み。
帝国で知らぬ者はいない。
【聖女】だった。
しかし、聖女のその微笑みは信者達へ向ける慈悲深いものではない。
勝利を確信した者の蔑みの笑みだ。
聖女は、鉄格子の前でフィリアを見下ろした。
そして足元に置かれた空の木の器を見ると、クスリと笑った。
「まぁ!あの残飯を食べたの!?食い意地のはった浅ましい女だこと!」
フィリアは何も答えない。
聖女は続ける。
「平民には十分過ぎる食事だったでしょう?」
沈黙。
聖女の眉が、わずかに動いた。
昔からそうだ。
フィリアは反論しない。
泣き叫ばない。
怒鳴り散らさない。
だから余計に気に入らなかった。
まるで『自分など眼中にない』と言われている気分になる。
聖女は口元を歪めた。
「あなたは勘違いしたのよ」
フィリアの蒼い瞳が静かに向けられる。
「薬師風情が聖女を超えようとした。平民風情が身の程をわきまえなかった。だからこうなったの」
フィリアは、静かに問い返した。
「……私が作った薬で、多くの人が助かりました」
聖女の顔が引きつる。
「だから何?」
「人を救う事は……良いことだと思います」
フィリアのその言葉に、聖女の笑みが完全に消えた。
『人を救う』
本来なら聖女自身が語るべき言葉だ。
だが今は違う。
民衆は、聖女の奇跡ではなくポーションを求めている。
教会ではなく薬師を頼っている。
聖女は冷たい声で告げた。
「これからアンタの『裁判』が始まるわ。裁判官は、皇帝陛下が直々になさるそうよ。光栄に思う事ね」
フィリアは、『裁判』という言葉に眉をピクリと動かした。
「死刑よりも辛い処罰が下されるかもね。死んだ方が楽だったかも」
聖女は笑いながら、そう言った。
それはまるで『始まる前から判決が決まっている』かのような口振りだ。
「アンタは今日、この国から消えるのよ」
「……消える?」
「そう、存在自体が消えて無くなるの。死刑になると“死体”が残る。でもアンタは“死体”すら残らない」
そして騎士が牢を開く。
「罪人を連れて行きなさい!」
「はっ!承知致しました!」
聖女の命令を受けた騎士が、フィリアの腕をつかんだ。
フィリアは抵抗せず、そのまま地下牢を後にした。
石造りの通路を抜け、長い階段を上り、王宮内部へたどり着いた。
久しぶりに見る王宮は、相変わらず豪華だった。
磨き上げられた大理石、高価な絨毯、巨大なシャンデリア。
その全てが帝国の繁栄を象徴している。
やがてフィリアを連行した騎士達は、巨大な扉の前で立ち止まった。
【王家の間】
王宮で最も権威ある場所だ。
重厚な扉が開き、まばゆい光が差し込んだ。
フィリアは思わず目を細める。
王家の間には、大勢の貴族達が集まっていた。
黄金で装飾された豪華な衣装を身にまとい、きらびやかや宝石を身に付け、誰もが贅沢の象徴のような姿をしている。
どうやらこの場所で、これからフィリアの裁判が行われるようだ。
部屋の中央には巨大な長机が置かれていた。
その上には沢山の料理が並んでいる。
焼き上げられた巨大な肉。
香辛料で味付けされた鶏料理。
色鮮やかな果物。
焼きたてのパン。
芳醇な香りを放つスープ。
銀の皿が隙間なく並び、まるで祝宴のようだった。
フィリアは、静かにそれを見つめている。
先ほどの『冷たいスープ』とは、別モノの料理だ。
そこには温かな湯気があった。
香りがあった。
彩りがあった。
食欲を刺激する生命力があった。
だが、その料理はフィリアのために用意されたものではない。
玉座の上で、皇帝が豪華な食事を楽しんでいる。
50代半ばの男。
肥え太った身体。
豪奢な衣装。
そして口元には肉汁が付いている。
皇帝は、骨付き肉を切り分けながらフィリアを見た。
「おお!来たか!」
それだけ告げると、再び何事もないように肉を口へ運ぶ。
そして咀嚼して飲み込む。
「皇帝陛下、大事なお食事中大変恐縮ではございますが、そろそろ裁判の方を初めて頂けますでしょうか?」
宰相が恐る恐る、そう声を発した。
皇帝は、葡萄酒を飲みながら「あぁ、わかった。お前は、確かフィリア・アンダルシアと言ったか?」と尋ねた。
フィリアは「はい」と小さく答える。
「フィリア・アンダルシア!貴様を『国家反逆罪』と認定する!以上である!」
フィリアは黙っていた。
弁明の機会はない。
証拠の提示もない。
全ては最初から決まっていた。
皇帝は、裁判官であるにも関わらず「葡萄酒のお代わりを急ぐのだ!」と、頬を赤らめながら言っている。
そして焼きたてのパンを千切る。
「裁判は閉廷だ!異論は認めん!」
隣では聖女が笑っている。
貴族達も笑っている。
誰一人としてフィリアを擁護しない。
宰相が「これより刑の執行を行う!貴様を『異界追放の刑』に処する!」と告げた。
そして、王家の間の中央に描かれた『巨大な魔法陣』が輝き始める。
青白い光。
複雑な紋様。
空間そのものが震えていた。
【異界追放の儀式】
罪人を異界へ放逐する帝国最大の刑罰だ。
聖女は笑みを隠そうともしない。
「これで終わりよ」
勝ち誇った声だった。
フィリアは静かに魔法陣を見る。
不思議と恐怖はなかった。
悲しみもなかった。
ただ一つだけ願う。
もし最後に『食事』が出来るなら。
あの『冷たいスープ』ではなく―――。
せめて『温かいもの』が食べたい。
魔法陣の光が強くなる。
王家の間全体を白く染め上げるほどの輝きだ。
皇帝は、肉料理を食べながら満足そうに頷いた。
聖女は笑っている。
貴族達も笑っている。
やがて―――。
光が弾け、視界が真っ白になる。
身体が浮き、世界が遠ざかる。
フィリアは最後に目を閉じた。
そして――。
天才薬師【フィリア・アンダルシア】の姿は、王家の間から完全に消え去った。
しかし、この時は、まだ誰も気付いていない。
今日という日が、『帝国崩壊の始まり』になることを。
そしてフィリアが、追放された異界で人生を大きく変えることを。
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