メニュー019 鶏の唐揚げ①
喫茶異世界では、今日も穏やかな時間が流れている。
フィリアが働き始めて1か月が過ぎた。
最初は緊張していた接客も、今ではすっかり板についている。
そんな時だった。
カランと入り口の鈴が鳴る。
店へ入って来た人物を見て、フィリアの蒼い瞳が鋭くなる。
アポホテルの受付をしている唯であった。
闇ギルド所属の『詐欺師』兼『暗殺者』の女。
店の乗っ取りを企む極めて危険な人物。
唯は「マスター、こんにちは~」と、自然な足取りでカウンター席へ腰を下ろした。
まるで、実家へ帰って来たかのような様子だ。
マスターが「唯ちゃん、いらっしゃい」と笑顔で声をかける。
唯はメニューも見ずに言った。
「いつものお願いします」
「かしこまりました」
マスターは、サイフォンへ火を入れ始める。
フィリアは、少し離れた場所で耳を傾けていた。
決して『盗み聞き』という低俗な振る舞いではない。
これは、店の安全を守るための『情報収集』だ。
フィリアは、そう自分に言い聞かせる。
しばらくして、コーヒーがカウンター越しに置かれた。
唯は「ありがとうございます」と、そのまま飲み始めた。
何度見ても信じられない光景だ。
あの苦いコーヒーを、砂糖やミルクを入れずに飲むとは。
やはり恐ろしい女だ。
そして唯が嬉しそうな表情で言った。
「私、春に大学を卒業したら、自衛官になるんですよ」
「ほぉ。唯ちゃん、自衛官になる夢が叶ったんだね。おめでとう」
「ありがとうございます」
この後も二人は、楽しそうに語り合っている。
一方フィリアは、二人の会話を盗み聞き…ではなく情報収集している。
『じえいかん?』
初めて聞く職業だ。
盗み聞き…ではなく情報収集した二人の会話の内容から察するに、『じえいかん』とは国を守る仕事のようだ。
おそらく、帝国の『騎士』のような仕事だろう。
フィリアは、そこまでは理解した。
だが、ある重大な矛盾に気付いてしまう。
おかしい。
どうして『闇ギルド』の人間が、『騎士』になる必要があるのだろう。
『詐欺師』兼『暗殺者』の女が、なぜ国を守る仕事に就くのか。
ここでフィリアの脳内に稲妻が走った。
はっ!?
そういう事か!?
フィリアは、全て理解した。
『スパイ』か!?
国家機密を盗むために、騎士として潜入するつもりか!?
間違いない。
これは極めて高度な潜入工作だ。
闇ギルドの『詐欺師』兼『暗殺者』兼『スパイ』の女。
唯の肩書きは、着実に増えていく。
もちろん、その推理は見事なまでに外れている。
だが、フィリアは確信していた。
また一歩、真実へ辿り着いたと。
フィリアの視線が、さらに鋭くなる。
一方唯は、そんな事になっているとは露知らず、笑顔でブラックコーヒーを飲んでいる。
喫茶異世界は、今日も平和だった。
『昼2時』を回り、営業終了の時間になった。
フィリアは、店の看板を『close』にした。
お客が去った店内は、静けさが戻っている。
テーブルを片付け、床を掃除し、食器を洗い終える頃には、時計の針は『2時半』を指していた。
「フィリア、そろそろ始めようか」
「はい」
今日こそは合格する。
フィリアは、真剣な表情でサイフォンの準備を始めた。
お湯の温度、抽出時間、粉の量……。
マスターから教わった全てを思い出しながら、慎重に作業を進めていく。
やがて抽出が終わり、フィリアはカップへコーヒーを注いだ。
豊かな香りが立ちのぼる。
マスターがカップを持ち上げる。
最も緊張が走る瞬間だ。
フィリアは、固唾を飲んで見守る。
マスターが、ゆっくりと口をつけた。
そして―――。
優しく微笑んだ。
「合格だよ」
フィリアの思考が止まった。
数秒遅れて言葉の意味を理解する。
「で、では……」
フィリアの声が震えている。
「このコーヒーであれば、店で出しても問題ないよ」
その瞬間、フィリアの胸の奥から熱いものが込み上げてきた。
本当に嬉しい。
だが言葉が出てこない。
薬師だった頃もそうだった。
努力が認められた時、上手く言葉に出来なかった。
フィリアは、感情を表に出す事が苦手だ。
そして、静かに拳を握り締めるフィリア。
マスターは、そんなフィリアを微笑ましく見ていた。
「だけど、このコーヒーは不思議だね」
「不思議?」
「フィリアが淹れるコーヒーは、『豆の味わい』が少し異なる気がするんだよ」
フィリアの肩が、ピクリと動いた。
「同じ豆を使っているはずなんだが、なぜか『豆の味』に違いを感じるんだ。どうしてだろうね。私も歳だから舌が変になっているのかな」
「……き、きっと気のせいですよ」
「そうかなぁ」
マスターは首を傾げている。
フィリアは内心驚いていた。
マスターは気付いたのだ。
ほんのわずかな違いに。
フィリアは、毎晩、こっそり【聖魔法】を使っていた。
コーヒー豆へ、ほんの少しだけ。
聖魔法による『素材の変化』に気付いた人物は、マスターが【二人目】だった。
一人目は、薬師ギルドの長、ガイアスだ。
『ん?薬草の味が、いつもと違うな』
マスターの言葉が、かつてのガイアスと重なった。
フィリアは、久しぶりに懐かしい気持ちになった。
今のところ、マスターに聖魔法の事を話す予定はない。
ここは異界だ。
話しても信じてもらえるとは限らない。
仮に信じてもらえたとしても、マスターに余計な心配をかけたくなかった。
帝国では目立ち過ぎた。
だから、この世界では、出来るだけ『静かで穏やかな生活』を送るつもりだ。
聖魔法も、コーヒー豆にこっそり使うだけに留めている。
だが、ここでフィリアは一つ大きな『勘違い』をしていた。
【聖魔法】が付与されたコーヒー豆。
そこから抽出されたコーヒーは―――。
【ポーション】だ。
こちらの世界でも、フィリアが望む『静かで穏やかな生活』とは、真逆に舵が切られようとしていた。
読んでいただき、ありがとうございました。
【ブックマーク登録】や【★★★★★評価】で応援を頂けますと、とても励みになります。
どうぞよろしくお願い致します。




