メニュー018 フルーツ牛乳
【昼12時】
フィリアは、慣れた手つきで水を運び、注文を取り、配膳を行っていた。
フィリアは接客担当、マスターは調理担当と役割分担している。
そして、カランと入り口の鈴が鳴った。
フィリアは、「いらっしゃいませ」と反射的に顔を上げる。
だが次の瞬間、フィリアの蒼い瞳が大きく見開いた。
見覚えがあった。
忘れるはずがない。
アポホテルの『受付の女性』だった。
闇ギルドに所属している『詐欺師』が、店にやって来たのだ。
そして、店へ入るなり、慣れた様子でカウンター席へ腰を下ろした。
マスターが笑顔で声を掛ける。
「唯ちゃん、いらっしゃい。久しぶりだねぇ」
「こんにちはマスター。いつものお願いします」
「かしこまりました」
どうやら、この店の常連客らしい。
そしてこの詐欺師は、【唯】という名前のようだ。
闇ギルドの人間だから、おそらく偽名だろう。
フィリアは警戒心を強める。
詐欺師が常連客という状況は、極めて危険だ。
店を乗っ取る計画かもしれない。
フィリアは、慎重に様子を観察する事にした。
やがてマスターが、コーヒーを運んできた。
ホットコーヒーだ。
唯は、お礼を言うと、そのままカップを持ち上げた。
そして―――。
フィリアは、衝撃のあまり言葉を失う。
コーヒーに『何も入れなかった』のだ。
砂糖もミルクも入れずに、そのまま口へ運んだ。
信じられない。
コーヒーは、とても苦い飲み物だ。
帝国の『薬草煎じ薬』に匹敵する。
砂糖とミルクを入れて、初めて完成する飲み物だ。
だが、あの詐欺師は平然と飲んでいる。
しかも笑顔で。
フィリアは、全てを理解した。
まさか、『毒耐性』か!?
帝国でも聞いた事がある。
優秀な闇ギルドの『暗殺者』は、少量の毒を日常的に摂取して耐性を身に付けるらしい。
つまりあの女は、『詐欺師』であり『暗殺者』!?
以前、フィリアが宿屋で勧めれた『浮遊式拷問部屋』の説明もつく。
あの『えれべーた』は、暗殺者が敵の口を割らせる為に用いる部屋なのだろう。
フィリアは震えていた。
やはりこの女は、闇ギルドの人間だった。
一方唯は、マスターと楽しそうに会話を続けている。
あまりにも自然な笑顔だ。
だからこそ恐ろしい。
フィリアは決意した。
自分が、この店を守らなければならない。
マスターは優しい。
だからこそ、この『詐欺師』兼『暗殺者』の女に、騙される危険がある。
弟子として師匠を守るのは当然の事だ。
こうしてフィリアは、店の隅から監視を続けるのだった。
【昼2時】
営業終了の時間になった。
フィリアは、表の看板を『close』にする。
この喫茶店は、朝8時から昼2時まで営業している。
フィリアのお給金は、6時間働いて、1日5千円。
マスターは、『少なくて申し訳ない』と、いつも言っているが、宿泊費がかからないため、身寄りのないフィリアにとっては、十分過ぎる好条件であった。
【昼2時30分】
「フィリア、そろそろ始めようか」
「はい。今日こそは、合格を貰えるように頑張ります」
そしてフィリアは、コーヒーを淹れる準備をはじめた。
マスターから合格を貰うと、『自分のコーヒーを、店のお客に出しても良い』と言われている。
フィリアは、売れ残りのライ麦パンをかじりながら、コーヒーをカップへ注いでいく。
だが結果は―――。
「惜しいね。もう少しだよ」
今日も不合格だった。
フィリアは肩を落とした。
【夕方5時】
フィリアは、近所の銭湯へ向かっていた。
以前、宿屋を探索していた時に、1度だけ『大浴場』を覗いた事がある。
その時は、全く理解が出来なかった。
なぜ大勢の人間が、同じ浴槽へ入る必要があるのか。
お風呂は、1人で入るものではないのか。
だが、初めて銭湯を利用した日に考えは変わった。
身体を大きく広げて、肩までゆっくり浸かる事が出来る銭湯の浴槽。
そして、少し熱めのお湯。
とても気持ち良かった。
銭湯は、今では大好きな場所になっている。
フィリアは、浴槽へ身体を沈めた。
「フゥゥゥゥ……」
思わず息が漏れる。
全身の力が抜けていく。
お風呂から上がると、1日を締めくくる『最大の楽しみ』が待っている。
「フィリアちゃん、今日も飲むだろ?」
番台のおばちゃんが、そう声をかけた。
「もちろんです」
するとおばちゃんは、冷蔵庫から1本の瓶飲料を取り出した。
『フルーツ牛乳』だ。
白と淡い橙色が混ざった優しい色合い。
瓶の中でキラキラと輝いている。
フィリアは、慣れた手付きで蓋を外した。
この蓋も、最初の頃は苦戦していた。
上手く開けられずに、常連達から笑われたものだ。
フルーツ牛乳は、常連曰く、腰に手をあてて一気に飲み干すのが、この国の『マナー』らしい。
フィリアは、マナー通りに腰に手をあてて、瓶に口をつける。
ゴクッゴクッ。
冷たくて美味しい。
まず最初に感じるのは、牛乳のまろやかさだ。
優しい甘みが、舌の上で広がるのを感じる。
そこへ爽やかな果実の味が重なる。
風呂上がりの身体へ、冷たい水分が染み込んでいく。
まさに至福の時間だった。
「おっ、フィリアちゃん今日も飲んでるねぇ」
銭湯の常連男性が声をかけてきた。
「相変わらず旨そうに飲むよなぁ」
「見てると、こっちも飲みたくなるぜ」
「おばちゃん!俺にもフルーツ牛乳をくれ!」
「こっちはコーヒー牛乳だ!」
おばちゃんは「フィリアちゃんが来るようになってから、瓶飲料の売上が4倍になったよ」と喜んでいる。
そして常連の一人が、フィリアに尋ねた。
「フィリアちゃん、ところで今日のコーヒーの出来は、どうだったんだ?」
「今日も不合格でした」
すると常連達が、一斉に残念がった。
銭湯の常連達は、フィリアが『コーヒーを淹れる練習をしている事』を応援していた。
「喫茶異世界のマスターは、ああ見えて歌舞伎町で1番コーヒーに厳しい人だからなぁ」
「まあ頑張れ、フィリアちゃん!」
「フィリアちゃんが合格を貰ったら、店に飲みに行くから!」
「俺もフィリアちゃんの淹れるコーヒーを飲んでみてぇ!」
励ましの言葉が次々と飛んでくる。
フィリアは、すっかりこの歌舞伎町の一員になっていた。
【夜7時】
銭湯を出たフィリアは、夜風にあたっていた。
外は寒いが、心と身体はポカポカと温かい。
そしてフィリアは、ゴヂラ像の前で両手を合わせた。
「神獣様。今日もコーヒーの合格はもらえませんでした。でも明日こそは必ず……」
真剣に祈りを捧げるフィリア。
「さてと、今夜は何を食べようかな」
こうして、フィリアの穏やかな一日が過ぎていくのであった。
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