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メニュー013 帝国の硬いパン③

 ある日の午後、フィリアは、歌舞伎町の巨大なゴヂラ像の前に立っていた。


 「神獣様、いつも街をお守り下さり感謝致します」


 フィリアは、ゴヂラ像に両手を合わせて、お祈りを捧げている。


 これがフィリアの日課だった。


 このゴヂラ像を『神獣様』だと勘違いしているのだ。


 街の歩行者は、そんなフィリアを見ながら、困惑した様子で通り過ぎていく。


 フィリアが、この世界に転移して一週間が過ぎた。


 フィリアは、早くこの世界に慣れるために、時間を見つけては、積極的に街を散策している。


 歩いているだけでも、日々新しい発見がある。


 それが楽しかった。


 だが―――。


 「……どこ?」


 この日、フィリアは完全に迷子だった。


 先程まで大通りを歩いていたはずが、いつの間にか細い路地に迷いこみ、抜け出せなくなってしまったのだ。


 この街の路地は、帝国に存在する『地下迷宮(ダンジョン)』のようだ。


 迷路のような狭い路地、木造の古民家、ボロボロの看板、ぼんやり灯る赤い魔道具 (提灯(ちょうちん))。



 「しんじゅく、ごーるでんがい?」



 フィリアは、【新宿ゴールデン街】という看板を見つけた。


 どうやら、この迷宮の名前らしい。


 路地の両側には、小さな店が肩を寄せ合うように並んでいる。


 昼間だというのに酒の香りが漂っていた。


 この光景を見ていると、王都の冒険者酒場を思い出す。


 フィリアは、こう見えて24歳だ。


 お酒も、少しであれば飲む事が出来る。


 薬師時代、薬を買いに来る冒険者や、薬師の仲間達と、時々お酒を酌み交わしたりもした。


 フィリアは、懐かしい思い出に浸りながら、ゆっくりと路地を進んでいく。


 そして、一軒の古びた店を見つけた。


 木製の看板。


 少し色褪せた外壁。


 店先には鉢植えの植物が並び、小さな黒板には手書きのメニューが書かれていた。


 店の名前は―――。



 【喫茶異世界】



 フィリアの蒼い瞳が、大きく揺れた。


 そもそもこの世界は、フィリアにとっては【異世界】だ。


 見知らぬ文化、技術、そして食べ物。


 そして、右も左も分からない街。


 だからだろうか。


 店名に妙な親近感を覚えた。


 まるで、この店が自分を呼んでいるような気がした。


 フィリアは、吸い込まれるように、店の扉を開いた。


 カランと、小さな鈴の音が鳴る。


 その瞬間―――。


 外の喧騒が嘘のように消え去った。


 ほんの数歩しか離れていないが、店内は別世界だった。


 落ち着いた照明。


 木製の床。


 年季の入ったテーブル。


 壁には古い時計や絵画が飾られている。


 そして、落ち着いたジャズ音楽が流れている。


 人の声も、車の音も、ここでは聞こえない。


 まるで時の流れが、ゆっくりになったような空間だった。


 フィリアは納得した。


 なるほど、店名通りだ。


 この空間は、外の喧騒から隔離された『異世界』だ。


 「いらっしゃいませ」


 穏やかな声が聞こえた。


 フィリアが顔を向けると、店の奥から一人の老紳士が歩いてきた。


 白髪混じりの髪、丸眼鏡、綺麗に整えられた口髭。


 年齢は、60代後半くらいだろうか。


 柔らかな笑顔が印象的だった。


 ただ一つだけ気になる点がある。


 『右足』だ。


 歩くたびに少し足を引きずっている。


 おそらく膝が悪いのだろう。


 帝国で優秀な薬師だったフィリアは、一目見ただけで症状を理解した。


 そしてフィリアは、席へ座った。


 老紳士は、フィリアにメニュー表を差し出した。


 「当店は、初めてですね」


 「はい」


 「ありがとうございます。今の時間帯でしたら『ランチセット』がお勧めですよ」


 ランチセットとは、『パン』と『スープ』、『サラダ』、そして『コーヒーという飲み物』のセットらしい。

 

 フィリアの表情が、パアッと輝いた。


 『パン』が食べられる。


 パンは、フィリアの好物だ。


 「では、『らんちせっと』をお願い致します」


 「かしこまりました」


 老紳士は、穏やかに頭を下げた。


 そしてフィリアは、お金が入った布袋を取り出した。


 机の上に、残りのお金を並べてみる。


 残金は、5万円を切っていた。


 「早く仕事を探さないと……」


 薬師として働ける場所は、あるだろうか。


 それとも、別の仕事をするべきだろうか。


 フィリアは、少し焦っていた。


 一方、老紳士は、コーヒーを淹れる準備を始めていた。


 カウンターには、透明な容器、細い筒、金属器具が並べられている。


 フィリアは、思わず身を乗り出した。


 帝国の薬師ギルドで使っていた『薬液抽出器』に、よく似ている。


 老紳士は、慣れた手付きで、黒い粉にお湯を注いでいく。


 ゆっくりと丁寧に、一滴一滴を見極めるように作業が進んでいく。


 フィリアは、老紳士のその姿を見て、ある人物を思い出した。



 【ガイアス】



 薬師ギルドの長。


 いつも厳しくて、時々優しくて、頑固な人。


 フィリアに、薬学の全てを教えた恩師だ。


 老紳士の動きが、薬液を抽出するガイアスの所作とそっくりだった。


 フィリアは、懐かしい日々を思い出していた。


 薬師ギルドで、朝から晩まで薬草を調べた日。


 仲間の薬師達と失敗作を飲んで倒れた日。


 徹夜で研究した日。


 患者に感謝された日。


 全てが昨日の事のように思い出される。


 決して裕福ではなかったが、充実していた。


 救いたい人々がいた。


 薬師の仲間達がいた。


 恩師のガイアスがいた。


 皆、元気だろうか。


 薬師ギルドは、今も変わらず忙しいのだろうか。


 薬師達は、相変わらず研究に没頭しているのだろうか。


 考えても答えは出ない。


 もう帰る事が出来ないのだから。


 その時だった。


 フワリと香ばしい香りが漂ってきた。


 「お待たせ致しました」


 老紳士が、ランチセットを運んできた。


 黄金色の『スープ』。


 色鮮やかな『サラダ』。


 芳醇な香りを放つ『黒い飲み物』。




 そしてフィリアは、この後、ある【懐かしい食べ物】と出会う。




 薬師時代、毎日食べていた味。




 素朴で飾り気のない味。




 フィリアの一番の好物。




 フィリアは、この後、あの【帝国の硬いパン】と再会を果たす事になる。


 


 読んでいただき、ありがとうございました。


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