メニュー012 帝国の硬いパン②
ルークベル帝国の王都にある【薬師ギルド】では、廊下を歩く薬師達の足取りは重く、誰もが険しい表情を浮かべていた。
笑顔や活気はなく、まるで葬儀場のようだった。
その理由は明らかだ。
【フィリア・アンダルシア】
一人の天才薬師が、【処刑された】と伝えられたのだ。
薬師ギルドの一室では、白髪の老人が、椅子へ深く腰掛け、うなだれていた。
この老人の名前は、【ガイアス】。
薬師ギルドの長を務めている。
机には、一枚の【書簡】が置かれていた。
王宮から届いた公式文書で、皇帝直々の御触書だった。
書簡には、こう書かれている。
【フィリア・アンダルシアは、聖女マリーを毒殺しようとした罪により、国家反逆罪を受け、速やかに処刑された。以上。 皇帝ディナード・ルークベル】
ガイアスは、眉間にシワを寄せている。
この書簡には、フィリアが【毒殺しようとした】と書かれているが、絶対にあり得ない。
フィリアは、誰よりも命を重んじる薬師だった。
だが、皇帝の名が書かれている以上、表立って反論することも出来ない。
「ギルド長、失礼致します」
若い女性薬師が、部屋へ入ってきた。
手には木製のお盆を持っている。
お盆の上には、『黒パン』と『ミルク』が置かれていた。
「ギルド長、お気持ちはわかりますが、お昼は食べて下さい。今、あなたに倒れられては我々が困ります」
「あぁ、すまない。食事は、会議室に運んでおいてくれ」
「わかりました」
そして、薬師ギルドの会議室には、多くの薬師達が集まっている。
ギルド長であるガイアスの他に、若い薬師からベテラン薬師まで、皆が険しい表情をしていた。
沈黙を破ったのは、フィリアと同期の若い男性薬師だった。
「ガイアスさん!俺は納得出来ねぇぞ!」
その一言を皮切りに、薬師達が言葉を発していく。
「フィリアが聖女様を、いや『聖女のヤロウ』を毒殺しようとしただと!?嘘に決まってるだろ!」
別の薬師が机を叩く。
「フィリアが『薬』で人を殺そうとするなんて、絶対にあり得ない!」
「私もそう思います!フィリアさんは、いつも私達のために……」
女性薬師は、そう言って涙を流し始めた。
「フィリアが聖女に嫉妬しただと!?」
「嫉妬していたのは聖女の方だろうが!」
怒号が飛び交う会議室。
誰一人として、皇帝の発表を信じていなかった。
フィリアを知る者は、書簡の内容が嘘だと理解している。
フィリアは、自分より他人を優先する人間だった。
利益や名誉にも興味がなく、患者の笑顔だけを追い求めていた。
そんな人間が、暗殺未遂、しかも毒殺を考えるはずがない。
怒りと悲しみが、会議室を満たしていた。
そしてガイアスが、ぼそりと口を開いた。
「……『国が滅ぶ』やもしれんな」
騒がしかった会議室が静まり返る。
薬師達は顔を見合わせた。
そして一人が苦笑する。
「ガイアスさん。いくらなんでも大袈裟ですよ」
別の薬師も続く。
「確かにフィリアの腕は、ここにいる誰もが認めています。けれど、俺達薬師が一人いなくなったくらいで国は滅びませんよ」
「あいつは魔法も使えなかったですし……」
するとガイアスは、黙ったまま首を横へ振った。
そして小さく息を吐き、こう言った。
「皆には黙っておったがな……フィリアは使っていたんじゃよ……魔法を」
会議室がざわついた。
「フィリアが魔法を?」
「使っている所を見た事がないが」
「それにフィリア本人が、火魔法も水魔法も使えないって言ってたぞ」
ガイアスは目を閉じて、静かに告げた。
「フィリアは、【聖魔法】を使っていたんじゃよ」
全員が固まった。
【聖魔法】
それは【聖女】だけが使える奇跡の力。
帝国の象徴。
人々を癒やす神聖な魔法。
「フィリアが聖魔法を!?」
「そんなバカな!?」
「聖魔法で治療しているフィリアを、誰か見た事あるか?俺は1度もないぞ」
するとガイアスが、再び口を開いた。
「……フィリアの魔法は、【人】には効果がなかったんじゃ。だが【素材】には効果があった……」
ガイアスの言葉に、薬師達の表情が変わり始めた。
会議室の全員が、ガイアスの言葉に耳を傾ける。
「フィリアの聖魔法は、少し特殊でな。薬草や素材へ聖魔法を【付与する】ことが出来たんじゃ」
会議室が静寂に包まれる中、ガイアスは話を続けた。
「その素材を用いて調合された薬は、【聖女の聖魔法】と同等の効果を発揮した。それが【ポーションの正体】じゃよ」
誰も言葉を発することが出来なかった。
なぜフィリアの薬だけが異常な効能を持つのか。
なぜ不可能な症例まで治療出来たのか。
なぜ聖女と並び称されたのか。
ガイアスの言葉によって、全てが明らかになった。
「教会に知られてはならんと思った。だから隠させておったんじゃ」
ガイアスは、苦しそうに拳を握り締める。
「あの聖女は危険じゃ。だから関わらせたくなかった。しかし結果として、フィリアを守れんかった。ワシの失策じゃよ」
会議室に静寂が流れる。
ガイアスは、お盆の上の『黒パン』へ手を伸ばした。
ライ麦で作られた黒パン。
地味な見た目で、贅沢とは程遠い食事だ。
ガイアスは、黒パンを一口かじった。
ガリッと乾いた音が響く。
硬い、とにかく硬い。
噛むたびに顎が疲れる。
口の中の水分が奪われていく。
だが、噛み続けると、ゆっくりとライ麦の甘みが広がってゆく。
素朴で飾り気のない味。
決して高級品ではないが、それでも昔から薬師に愛されてきた味だった。
ガイアスは、ふと昔を思い出した。
薬師見習いとして、ギルドへ通い始めたばかりの少女。
昼休みになると、黒パンを抱えて嬉しそうに食べていた。
「ガイアスさん!今日の黒パン、いつもより柔らかいです!」
「そうかフィリア。それは良かった」
「はい!幸せです!」
フィリアは、あの頃から何も変わらなかった。
薬師として大成した時も。
人々から感謝された時も。
聖女と並び称された時も。
フィリアは、いつも黒パンを嬉しそうに食べていた。
ガイアスは、再び黒パンをかじる。
そして一筋の涙が、シワだらけの頬を伝った。
「確か黒パンは……」
ガイアスの声は震えていた。
「フィリアの一番の好物だったな……」
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