メニュー011 帝国の硬いパン①
ルークベル帝国の聖女は、代々、王都の【大神殿】に住んでいる。
高く伸びる塔、色鮮やかなステンドグラス、磨き上げられた大理石の回廊。
民衆の多くは、この神殿こそが神の加護を象徴する聖域だと信じている。
だが、その最上階にある豪華な私室では、神の慈悲とは程遠い下品な笑い声が響いていた。
「フフッ……フフフッ……アハハハハッッ!!」
聖女マリーは、高価な絹のソファに腰掛けて、紅茶が入ったカップを手で揺らしながら高らかに笑っている。
その顔は、幸福感で満ち溢れていた。
人生で最も機嫌が良いと言っても過言ではなかった。
理由は単純だ。
長年目障りだった存在が消えたからだ。
【フィリア・アンダルシア】
平民出身の薬師。
そして、自分よりも人々から感謝されていた女。
マリーは思い出す。
街へ出れば聞こえてくる。
「フィリア先生のおかげで助かりました!」
「フィリア先生が娘の命を救ってくれました!」
「聖女様も凄いですけど、フィリア先生も凄いです!」
その声を聞く度に、マリーの心は、黒い憎悪で満たされていた。
なぜ平民風情が自分と同じ評価を受ける。
なぜ聖女である自分より感謝される。
なぜあの女ばかり称賛される。
考えれば考えるほど腹が立った。
だから排除した。
徹底的に。
完璧に。
誰にも反論できない形で。
【聖女暗殺未遂】による【国家反逆罪】。
この罪をでっち上げて、皇帝へ働きかけ、処刑よりも重い【異界追放の刑】へ追い込んだ。
そして今、フィリアはここに存在しない。
「あの平民も、今頃は異界の『土の中』かしら」
マリーは、クスクスと笑いながら独り言を言っている。
「薬師ごときが、私と肩を並べようとするから悪いのよ」
マリーは、私室の窓から王都の街を見下ろした。
マリーの瞳には、民衆の姿は映っていない。
見えているのは、自分だけだ。
自分の利益しか考えていない。
コンコン。
扉が叩かれる。
「入りなさい」
「聖女様、失礼致します」
神官の一人が部屋へ入ってきた。
マリーは、ソファーで優雅に脚を組む。
「何かしら?」
「怪我人や病人が教会へ押し寄せております」
神官のその報告を聞いた瞬間、マリーの口元が大きくゆるんだ。
満面の笑みだ。
マリーが待ち望んでいた報告だった。
フィリアが消えた。
それによって最も困るのは誰か。
答えは『民衆』だ。
病気になればフィリアを頼る。
怪我をすればフィリアを頼る。
だが、そのフィリアは、もういない。
では、残された者達は、誰を頼るのか。
決まっている。
【聖女】だ。
私しかいない。
マリーは満足そうに微笑んだ。
「今日から治療費を『3倍』にしなさい」
神官は目を見開く。
「え?」
「聞こえなかったの?治療費を3倍にしろと言ったの」
神官の額に冷や汗が浮かぶ。
教会の治療費は元々高額だ。
平民にとって決して安い金額ではない。
それをさらに3倍にする。
あまりにも無茶だ。
「ですが、それでは支払えない者も……」
マリーは鼻で笑った。
「だから何?払えないなら治療を受けなければいいじゃない」
神官は言葉を失う。
「どうせ、あの愚民達には私しかいないのよ」
そしてマリーは、こう言い放つ。
「私に逆らう者は、『死ね』ばいいだけ」
その声に、慈悲はない。
神官は恐ろしくなった。
目の前にいるのは聖女だ。
本来なら人々を救う存在だ。
だが、この聖女は、金しか見ていない。
「それと―――」
マリーは、さらに言葉を続ける。
「教会へ『高額な寄付』をした者から優先しなさい」
「治療の順番も金で決めるのよ」
神官は、「わ、分かりました」と震えながら頷いた。
逆らうことは出来ない。
教会でマリーの権力は絶大だ。
そして神官は、逃げるように退室しようとしたが、その背中をマリーが呼び止めた。
「待ちなさい」
神官の足がピタリと止まる。
マリーの瞳が妖しく光った。
「フィリアのポーションを、全て『回収』しなさい」
神官は思わず振り返った。
「す、全て回収……ですか?」
「そうよ。国中にあるポーションを、全て没収するのよ」
マリーは、ゆっくりと紅茶を飲み干した。
「ポーションが無くなれば、愚民達は教会へ来るしかなくなる。そして回収したポーションを、あの『馬鹿な皇帝』へ献上すれば王宮にも恩が売れるって訳よ」
神官は、背筋に寒気を覚えた。
それは『治療の独占』を意味する。
つまり『国民の命を握る』ということだ。
マリーは楽しそうだった。
まるで、新しい玩具を手に入れた子供のようだ。
「この国の人間は、馬鹿ばかりで助かるわ。平民も、神官も、貴族も、皇帝も、み~んな馬鹿。そして、一番馬鹿でマヌケだったのが、フィリア」
マリーは、紅茶のカップをワイングラスに持ちかえた。
まるで勝利を祝うかのように。
「ありがとう、フィリア。あなたのおかげで全部うまくいったわ」
その直後、大神殿の最上階では、再び下品で高らかな笑い声が響き渡った。
「アハハハハハハッッッッ!!!!」
この聖女を止める者はいない。
聖女に逆らう者もいない。
だが帝国各地では、既に【異変】が起き始めていた。
薬が手に入らない。
治療費が払えない。
増え始める怪我人と病人。
それは、『小さな綻び』であった。
まるで、巨大な堤防に入った『一本の亀裂』のように、その綻びは確実に広がっていた。
【帝国の崩壊】は、既に始まっている。
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