番薬5
「若が落ち着いている間に、私は一度本家へ戻り報告して参ります」
景が時計を確認しながら言った。
「それと」
そこで一拍置く。
「妻と娘におやすみのキスをして参りますので、少々戻りが遅くなるやもしれません」
まるで業務連絡みたいな口調だった。
「申し訳ありません」
そう言って景は一礼する。
次の瞬間。
大きな黒い翼が広がった。
「早くいけ!」
「もう来んな!」
レオが負けじと叫ぶ。
「俺と唯衣の家だ!」
景は振り返りもしない。
ただ片手を軽く上げただけだった。
夜空へ消えていく黒い翼。
その姿が見えなくなった頃、
唯衣はふっと息を吐いた。
張り詰めていた糸が、少しだけ緩んだ気がした。
心も身体も、もう限界だった。
泣きすぎた。
怖かった。
色々ありすぎた。
とにかく温まりたい。
そう思って浴室へ向かう。
扉を開けた瞬間。
唯衣は足を止めた。
浴槽にはすでに湯が張られている。
湯気がゆっくり立ち上っていた。
優しい香りがする。
見ると、ハーブ系の入浴剤まで入っていた。
思わず笑ってしまう。
きっと景さんだ。
リビングに戻ってみると
レオはソファに座り、携帯を眺めていた。
まだ顔色は良くない。
それでも先ほどよりは落ち着いている。
「レオ」
声を掛ける。
レオが顔を上げた。
「ん?」
「先にお風呂入ってくるね」
レオは数秒だけ唯衣を見つめた。
そして小さく頷く。
「……ゆっくり温まってこい」
その声が少し優しくて。
唯衣は胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。
「うん」
そう答えて浴室へ向かった。
外ではまだ静かに雨が降り続いていた。




