レセプションパーティ10 家につく
雨が降り始めた。
弱い雨だった。
静かな夜。
静かな部屋。
リビングには途中まで飲んだコーヒー。
ソファには、唯衣が畳み忘れたブランケットがそのまま残っている。
いつもの家。
なのに、今は空気が違った。
張り詰めている。
苦しい。
苦しい。
レオは壁にもたれたまま、浅い呼吸を繰り返していた。
薬の影響。
熱。
頭が割れるような痛み。
本能が"番"を探している。
その言葉が耳の奥で気持ち悪く響く。
吐きそうだった。
でも、そのたびに浮かぶ顔は一人だけ。
唯衣。
レオは目を閉じる。
苦しい。
けれどそれ以上に怖かった。
もし、このまま唯衣を傷つけてしまったら。
もし、本能に飲まれて、最愛の人へ刃のような言葉を向けてしまったら。
それだけは嫌だった。
その頃、
唯衣が荷物をまとめていた。
涙が止まらない。
震える手。
滲む視界。
それでも手を止めることができなかった。
もう無理なんだ。
一緒にはいられない。
だって私は――
番じゃない。
レオの番じゃない。
レオの身体は、自分ではない誰かを求めている。
その現実が苦しかった。
耐えられそうになかった。
今レオが苦しんでいるのは、自分のせいだと思った。
"番じゃない自分"のせいだと。
服をバッグへ入れるたびに思い出が胸へ刺さる。
一緒に選んだマグカップ。
月のネックレス。
セミダブルのベッド。
楽しかった旅行。
これからを約束した未来。
全部。
全部幸せだった。
だからこそ苦しい。
「……わたしが、いない方が……」
声が震える。
「レオのためになるなら……」
涙が落ちる。
「レオ……助けて……」
その瞬間。
リビングから何かが落ちる音がした。
唯衣ははっとして部屋を飛び出した。
テーブルの上のコーヒーカップが倒れている。
その横で、レオが苦しそうに身体を支えていた。
呼吸が荒い。
耳も尻尾も出ている。
金色の瞳が不安定に揺れている。
なのに唯衣を見た瞬間だけ。
ほんの少し安心したように表情が緩んだ。
それが痛かった。
胸が締め付けられる。
「……レオ」
レオは苦しそうに息を吐く。
そして低い声で尋ねた。
「どこへ行く」
唯衣の肩が震える。
「俺から離れて、どこへ行く」
苦しそうな声だった。
責める声じゃない。
ただ。
置いていかれることを恐れている声だった。
唯衣は唇を噛む。
言わなきゃいけない。
そう思った。
「……少し、離れた方がいいと思う」
空気が止まった。
レオの瞳がゆっくり見開かれる。
「……は?」
唯衣の頬を涙が伝う。
「だって……!」
「レオ、すごく苦しそうで……!」
声が震える。
「本当は……番の人の方が……」
その瞬間。
レオの顔色が変わった。
傷ついた顔。
それだけで胸が壊れそうになる。
でも止まれない。
「わたし、人族だもん!!」
涙が溢れる。
「番になれない!」
「運命にもなれない!」
「だったら……わたしがいない方が……!」
「レオのためになるなら……!」
「わたしだって、ずっと側にいたかった!」
「いたかったのに……!」
声が崩れる。
「耐えられないの……!」
「レオが苦しむのも……!」
「わたしじゃない誰かを求めてるかもしれないって思うのも……!」
「そんなの……耐えられない……!」
最後まで言えなかった。
レオがゆっくり近づいてきたから。
一歩。
また一歩。
唯衣が一歩下がるたびに、レオは苦しそうな顔をする。
それが余計につらい。
「本当に……耐えられないの」
涙がまた溢れた。
するとレオは静かに言った。
「お前を苦しめて、ごめん」
「こんなことになって、ごめん」
掠れた声。
今にも倒れそうなのに。
それでも謝ってくる。
「唯衣」
レオが手を伸ばす。
「……抱きしめてくれないか」
唯衣が息を呑む。
「お前の匂いを嗅ぎたい」
苦しそうに笑った。
「そっちまで行けそうにない」




