レセプションパーティ9 車内
二人の家へ向かう車内は、異様なほど静かだった。
聞こえるのはエンジン音だけ。
運転席には黒スーツの彼がいる。
バックミラー越しに、何度も後部座席のレオを確認していた。
危険だった。
今のレオは、ほんの少し刺激を間違えれば完全に暴走しかねない。
レオは唯衣を抱きしめたまま、ほとんど動かない。
いや。
動けない。
唯衣の首筋へ顔を埋め、必死に呼吸を繰り返している。
甘い香り。
安心する。
唯一、自分を繋ぎ止める匂い。
「……ゆい」
掠れた声。
「うん」
「……好き」
唯衣の胸がぎゅっと締め付けられる。
怖かったはずだ。
きっと自分も限界に近い。
ずっと震えている。
それなのに。
こんな状態でも。
レオの言葉も。
レオの行動も。
向いている先は、ずっと唯衣だけだった。
その時。
レオの身体がびくりと震えた。
「っ……!」
鋭い呼吸が漏れる。
爪が伸びる。
耳が逆立つ。
禁薬が再び本能を刺激した。
運転席の彼の目が鋭くなる。
まずい。
周期が短くなっている。
普通の発情ではない。
これは。
番本能の強制暴走。
レオが苦しそうに自分の喉を押さえる。
「……違う」
「レオ!」
「……違うんだ」
まるで。
自分自身へ言い聞かせるように。
「……ゆいしか、いらない」
壊れそうなほど必死な声だった。
唯衣は震える手でレオの頬へ触れる。
もう大粒の涙が止まらない。
「うん、、、わかってる」
「レオは、わたしを選んでくれてる」
その瞬間。
レオの金色の瞳がゆっくり唯衣を映した。
本能じゃない。
ちゃんと。
唯衣を見ている。
運転席の彼はバックミラー越しに静かに息を吐いた。
……大丈夫だ。
まだ。
若様は自分を失っていない。
だが、その時だった。
レオが突然、唯衣の肩を掴む。
「……だめだ」
「えっ?」
「……家に着いたら、ゆい、俺から離れろ」
唯衣が泣きながら目を見開く。
レオは苦しそうに眉を歪めた。
「……今の俺、おかしい」
「レオ……」
「……傷つける」
それだけは絶対に嫌だった。
本能に飲まれて。
唯衣を怖がらせることだけは。
耐えられない。
なのに。
唯衣はふわりと笑った。
涙でぐしゃぐしゃなのに。
不思議なくらい優しく。
「レオ」
「……」
「わたし、あなたとずっと一緒にいるって決めてるよ」
その一言で。
レオの瞳が大きく揺れた。
車がマンションへ滑り込む。
レオの身体は燃えるように熱かった。
何かを必死に耐えている。
そんな様子だった。
車が止まる。
運転席から黒スーツの彼が振り返る。
「若、しっかりしてください」
レオは荒い呼吸のまま視線を向ける。
すると彼は口元だけで笑った。
「自分で行けますね?」
そして。
わざとらしく続ける。
「大事な人なんでしょう?」
「今の若からなら、奪いやすそうだ」
レオの耳がぴくりと動いた。
金色の瞳が鋭く細まる。
「……おい」
低い唸り声。
それを聞いて黒スーツの彼は満足そうに笑う。
唯衣は慌てて言った。
「わ、わたしは大丈夫です!」
「レオさんを支えて家まで連れて行きます!」
その言葉に。
黒スーツの彼は優しく微笑んだ。
「お願いします」
そしてレオへ視線を向ける。
「若」
「……」
「その顔なら、まだ戦えますね」
レオは不機嫌そうに眉を寄せた。
「唯衣」
「ん?」
「……あいつ見るな」
「イラつく」
思わず唯衣が涙のまま笑ってしまう。
黒スーツの彼も肩を竦めた。
「では、私は本家へ」
「解毒薬を持って戻ります」
運転席から降りると、一歩後ろへ下がる。
黒い羽が大きく広がった。
夜の街灯を覆うほどの、美しい漆黒の翼。
「ご武運を」
それだけを残し。
彼は夜空へ舞い上がる。
漆黒の空へ溶けるように。
一瞬で姿が見えなくなった。
残されたのは。
震える狼と。
その手を離さない少女だけだった。
そして二人はゆっくりと、自分たちの帰る場所へ向かう。
ミニレオ:車はコンシェルジュさんが駐車場まで運んでくれるよ。




