唯衣が怒ってる訳1 真壁レオ
春の訪れがすぐそこまで来ていた。
冷たい冬は終わりを迎え、
街には少しずつ新しい季節の気配が
満ち始めている。
偽番薬事件から数ヶ月。
唯衣は入社三年目を迎えていた。
うん?
唯衣の様子がおかしい。
今日、会社で避けられている気がした。
気のせいだと思おうとした。
だが
やはり避けられている。
さっきの挨拶も短かった。
昼も会えなかった。
メッセージの返信も素っ気ない。
何をした。
心当たりがない。
全くない。
レオは執務机に肘をつき、額を押さえた。
静かな統括室。
いつもなら集中できる空間なのに。
今日は何も頭に入らない。
胸が苦しい。
息がしにくい。
嫌な想像ばかり浮かぶ。
唯衣に嫌われた。
その考えが頭を過った瞬間。
レオは机に突っ伏した。
無理だ。
仕事どころではない。
スマートフォンを取り出す。
唯衣とのトーク履歴を開く。
昨日。
一昨日。
その前。
何度見返しても原因が分からない。
『会議ツライ』
『昼食は食べたか』
『迎えに行く』
『愛してる』
問題ない。
どこにも問題はない。
レオは真剣な顔で考えた。
本当に分からない。
どうしたらいい。
携帯が光った。
唯衣からのメッセージだ。
レオは反射的に画面を開く。
『先に帰ります』
その一文に胸がざわつく。
そして…
『夕飯は勝手にしますから』
『どうぞお好きなように』
レオは固まった。
数秒。
いや。
実際には一秒も経っていなかったの
かもしれない。
だが
レオには十分だった。
ゆっくりと立ち上がる。
間違いない。
俺、絶対に何かした。
しかも
かなりやばい。
胸が痛い。
嫌な汗が出る。
唯衣が怒っている。
間違いなく怒っている。
レオは鞄を掴んだ。
上着を引っ掛ける。
そして統括室を飛び出した。
一刻も早く帰らなければならない。
仲直りしなければ。
いや
まず何に怒っているのか聞かなければ。
レオはエレベーターのボタンを連打した。
人生でこれほどエレベーターが
遅いと思ったことはなかった。
チン。
エレベーターが到着する。
レオは飛び込むように乗り込んだ。
そして閉まるボタンを連打する。
早く。
早く帰らなければ。
静かなエレベーターの中。
必死に記憶を辿る。
何をした。
何かしたはずだ。
絶対にした。
だが思い出せない。
「あ……」
思わず上を向く。
泣きそうだった。
涙が落ちそうだった。
気付けば耳と尻尾まで出ている。
白銀の耳は力なく垂れ下がり、
尻尾も床につきそうなほど元気がない。
完全にしょんぼりしていた。
家まで走れるだろうか。
いや。
走りたい。
今すぐ帰りたい。
けれど。
怖い。
もし
本当に嫌われていたら。
もし
別れると言われたら。
その先を想像した瞬間。
心臓がぎゅっと縮んだ。
無理だ。
生きていけない。
レオはぎゅっと拳を握る。
家で聞こう。
ちゃんと話そう。
怖い。
怖いけど。
逃げる方がもっと怖かった。
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