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 いきなり瞼の裏に現れた「個別記録一覧」に、新たに「天賦の異能:念動力」とやらが表示されたわけだが、前に出てきた諸々の能力値と同じように、内容については何一つ記されていなかったので、際限なく増えていく要検討の項目に入れておくだけで、今のところは放置することにした。


 評価を下すための判断材料をまったく持ち合わせていないのに、あれこれと想像しても時間と労力の無駄でしかないからだ。


 陽が昇って、狭苦しい小部屋の中も昨夜よりもはっきり見えるようになったし、自分が置かれている状況を改めて調べるとしよう。


 仄かな明かりを発していた観葉植物──正式な名前もわからないし、いちいち説明書き風にするのも長くて面倒なので、ひとまず観葉植物と呼ぶことにする──は、前世では目にしたことがない青紫色の葉をつけているのが異様に映ったが、枝の張り方や樹皮の色については前世の記憶にある灌木と同じで、どこの雑木林にも生えていそうな類のものだった。


 執務室のような初老の男の部屋には四本もあったし、この世界の住人にとっては蝋燭の代わりになる身近な道具なのかもしれない。


 食い扶持を得るのに手一杯で、精神的にも懐具合にも余裕がない庶民の間で、日常的に使われるくらい広まっているとしたら、若者向けの小説の設定でよく見受けられる「中世の西欧諸国の水準」など軽くすっ飛ばして、近代的と呼んでも差し支えないほど文明が発達している、と考えておいたほうがいいだろう。


 たかが明かり一つで、と思われるかもしれないが、日が沈んでからも昼間と同じように自由に行動できるようになると、人々の生活様式は、昔はどんな暮らしをしていたのか思い出せなくなるくらい変わってしまうのだ。


 朝早く起きて、夕方まで外に出て働き、夜になったら寝る、という従来の常識が過去のものに成り果てるわけだ。


 例えば、役所に提出する申請書や業務用の契約書を作成する雇われ者の場合、今までは次の日の朝に仕上げればよかったのだが、誰でも明かりが使えるようになると、当日の夜のうちに片づけなければならなくなり、必然的に職場から帰宅するのが夜遅くになってしまう。


 夕食時には一家団欒、という毎日の習慣が消えて、顔を合わせることも口を利くこともなくなった家族は、ただ血縁関係にあるというだけの同居人に成り果てて、子育てを終えた夫婦の間では離婚が急増する。


 日没から何時間も経った頃に帰途につく客に合わせて、真夜中を過ぎても商売を続ける店が珍しくなくなり、すっかり暗くなってから起き出して働き始める者が、あちこちで見られるようになる。


 やりたくもない仕事を長時間にわたって強いられるのが当たり前になってしまい、その結果として、心身の病気を患って早死にする人々が溢れ出して、葬儀屋は大繁盛して笑いが止まらなくなる。


 思いついたものを並べてみたが、たった一つの文明の利器が広まった結果、このような社会変化が「まとめて同時に」引き起こされて、まったく無関係な何百万もの人間が否応なく巻き込まれてしまうのだ。


「くぅん?」


 耳元で、思わず気が抜けてしまうような鳴き声がして、ふと我に返った。


 薄緑色の謎兎が痙攣したように身体を震わせて、垂れた耳をぴくぴく揺らしながら目を開けたが、何事もないとわかって再び瞼を閉じた。


 異世界に生まれ変わっても、ろくでもない想像をしてしまう癖は残っているのだな、と胸の内で苦笑しながら、ぬいぐるみのような生き物を眺めた。


 私の枕元で気持ちよさそうに寝息を立てている謎兎にしても、夜の間は蛍のように光を放っていた観葉植物にしても、かつての常識からは遠くかけ離れた生き物がごく当たり前に存在しているのだが、奇妙なことに違和感や嫌悪感がほとんどなく、むしろ自然なことだと受け入れていた。


 この赤子の身体に意識を引きずられているのだろうか?


 だとしても、前世の記憶という異物を持つ私からすれば、一見したところ同族に思える人間も、訳のわからない動物や植物も、気候や風土病も含めた生態系も、何もかもが警戒しなければならない対象なのだ。


 生きていくために必要となる知識を仕入れて、予期せぬ事態が起きても何の問題もなく対処できる方法を身につけておかなければ、とても安心することなどできなかった。


 病的なほど神経質だと言われるが、元からこういう性分なのだから仕方がない。


 次は何にしようか、と眼球だけを左右に動かしながら考えていたとき、自分の身体から嗅ぎ慣れた石鹸の匂い──柑橘類の芳香が混じった、どこか心が落ち着くように感じる匂い──が漂っていることに気付いた。


 あの修道女姿の娘が、眠っていた間に身綺麗にしてくれたのだろうか?


 思えば、股間や尻のあたりもすっきりしている気がする。


 私の知らないうちに、排泄物の後始末もされたのかもしれない。


 下腹部のあたりには柔らかい布の感触があるから、どうやら赤子用のおむつは存在するようだ。


 さすがに使い捨てではなく、汚れたのを洗ってから繰り返し着せられるものだが。


 まあ、前世で紙おむつが日用品の売り場に並ぶようになったのは、私の記憶違いでなければ三十年くらい前で、製紙技術や化学工業が発達してから開発されたはずだから、見かけなくても別に不思議ではないのだが。


 観葉植物が植えられた容器の反対側に目を向けたとき、長らく使われた跡がなくて埃が積もっていたはずの木の卓が、陽を浴びて黒光りするほど綺麗に布拭きされているのに気がついた。


 どこか澱んでいた部屋の空気も入れ換わっていて、天井の近くにある小窓からは樹木と土の匂いが流れ込んでいた。


 瞼を閉じて、顔を撫でる風の心地よさに浸った。


 そういえば、こうやって自然を肌で感じるのは何年ぶりだろうか?


 昔の記憶を探っていたとき、再び視界が暗転して、意識がぷつんと途絶えた。


 昨夜のようにいきなり寝てしまったのだな、と思い当たったのは、夕方になって目覚めたときだった。


 産まれたばかりの赤子の身体が本能的に睡眠を取ろうとして、強引に私を気絶させたのだろうか?


 前世の人間と同じように、母親の骨盤の中心部にある産道をぎりぎりで通り抜けられる状態、すなわち不完全な未熟児として胎内から出てきたとすれば、外の世界に対応して生き延びられるように急いで成長しなければならないため、一日の大半を寝て過ごすことになるはずだ。


 ところが、成人した四十路男の魂が入り込んでしまったせいで、眠気や空腹を感じても意思の力で押さえつけることができるので、これは不味い、と命の危険を嗅ぎつけた赤子の身体が──どんな風にやったのかは知らないが──有無を言わせず私の意識を刈り取った、というわけか?


 いや、答えの出ない考えごとを延々と続けるのはやめておこう。


 葦のような植物の茎を編んで作った籠の中に寝かされたまま、詳しく調べようと思っていた木の卓に改めて目を向けた。


 すでに宵闇が近づいている時刻になっていたが、白灰色の容器に植えられた観葉植物が照明代わりになって、皺のある青紫色の葉から仄かな橙色の光を発していたので、外が暗くても問題はなかった。


 正方形の台を一本の脚で支えている格好の木の卓は、素人が手作りしたのが見て取れる出来で、防腐剤を兼ねた艶出し用の溶液が塗ってあったが、あちこちに斑があって、表面が乾いているかどうか確かめるために手をついた跡が残っていた。


 異世界の人間にも指紋があるのだな、と妙なところに感心した。


 据えつけの悪い台の上には、洗面器のような底の深い木の皿と、傍目には陶器に見える水差しが置いてあった。


 木材加工や日用品の製造に関する技術がどれくらい発達しているのか、について少しは手がかりを得られるかもしれないと期待していたのだが、どちらもあまり器用ではない素人が作った代物だったので、役には立たなかった。


 しばらくは身動きが取れない状態を余儀なくされて、できることは限られてしまうのだから、焦ったところで結果は変わらないのだ、と自分に言い聞かせた。


「くぅん」


 枕元で寝そべっている謎兎が、私が胸の内で漏らした声が届いたかのように頷いたのが腹立たしかったが、気晴らしを兼ねてこいつの相手をすることにした。


 なあ、昨日から気になっていたんだが、お前は人の心が読めるのか? 私が声に出していない言葉を理解しているのか?


「くぅ!」


 薄緑色の謎兎は嬉しそうな表情を浮かべて、垂れた耳をぱたぱた揺らしながら、何度も首を縦に振った。


 やはり、その様子はどう見ても飼い主に懐いている仔犬だった。


 大したものだ。だが、人間の言葉を喋ることはできないんだな?


「くぅん……」


 確認のために訊いたのだが、なぜか親に叱られた子供のように俯いてしまった。


 怒っているわけじゃない。こちらが「はい」か「いいえ」で答えられる質問をすればいいだけだからな。


 ところで、お前は私が知っている兎にそっくりなんだが、違うのか?


「くぅ!」


 いきなり不満そうな顔つきになり、私が寝かされている籠を前脚で強く叩いた。


 やめろ。頭が揺れて気持ち悪くなる。


「くぅん」


 感情が豊かな表情や甘えるような仕草を見ていたが、謎兎の中身は人間に飼われている犬と思って間違いなさそうだった。


 では、お前は雄か? それとも雌か?


 つんと澄ました女の子の振りをしたかったのか、雌という言葉に反応して、何やら胸を張って腰を左右に揺らした。


 おそらく「見ての通り、私は若い娘なのよ」とでも伝えたかったのだろう。


 確かに、老いた犬のような落ち着きは微塵も感じないが。


 お前は独りぼっちなのか? 親兄弟や群れの者とは一緒ではないのか?


「くぅん……」


 そうか。だが、捨てられたのだとしても気にすることはない。私だって同じようなものだからな。


 猫みたいに単独で行動するのか、犬のように何をするにも集団でやるのか、というのを知りたかっただけだ。


 薄緑色の謎兎と一応は会話が成り立っている、というのは、言葉では表現しようのない不思議な感覚ではあったが、こいつが期待していた以上の知性を持ち合わせているのは嬉しい誤算だった。


 さて、ここからが本題だ。


 お前は初めて会ったときから妙に懐いているが、私の親に飼われていたからか?


「くぅん」


 意外なことに、謎兎は首を横に振って否定した。


 違うのか? となると、この建物に住み着いていたのか? あの霊安室のような部屋を塒にしていたということか?


「くぅ!」


 また嬉しそうな顔になって、垂れた耳をぱたぱた揺らしながら何度も頷いた。


 念のために訊くが、お前は人間の死体を食うのが好きなのか?


「くぅん?」


 返ってきたのは、肯定でも否定でもない微妙な反応だった。


 そいつは、滅多に口にはしないが、どうしても必要な場合──例えば、何でもいいから空きっ腹を満たすものを胃袋に入れなければ飢え死にしてしまうとき──は、人肉でも餌にするという意味か?


 薄緑色の謎兎は何やら気まずそうな表情を浮かべて俯いた。


 頭を下げて「ごめんなさい。食べたことあります」と謝っているように見えた。


 そんな顔をしなくてもいい。お前が肉食動物なら、私のことを美味そうだと感じるのは当然だろう?


「く、くぅん!」


 今度は「そんなこと考えてません!」といった風に首を横に振って、私の頭に頬を擦りつけてきた。


 何だ? 普段は他のものを食っているのか? 私の記憶にある兎と同じように、野草の葉を餌にしているのか?


 困ったような表情が返ってきて、質問の仕方が悪かったのだと気付いた。


 改めて、どうやって日頃の飢えを凌いでいるのか訊こうとしたが、声に出さない言葉が伝わるよりも先に、私が寝かされている小部屋の扉が勢いよく開け放たれた。


「──、──!」


 息を弾ませて駆け込んできたのは、私を見つけてから世話をしてくれている修道女姿の娘だった。


「──、──」


 首から紐で下げた皮製の哺乳瓶を掲げながら、にっこり笑って「お待たせ。ご飯持ってきたわ」といった風に告げた。


「くぅ!」


 私の代わりに返事をしたつもりなのか、薄緑色の謎兎が短く鳴き声を上げて娘のほうに歩み寄った。


 あまりにも人間に慣れていて野性味など微塵も感じられないこいつが、なぜここに住み着いているのか、そして飢えを凌ぐために何を常食としているのかがわかった。


 ご機嫌な顔で私の枕元に帰ってきたときには、修道女姿の髪の娘が腰に吊り下げていた籠に入っていた、橙色と青緑色の果実を一つずつ前脚に抱えていた。


「くぅん」


 謎兎は鼻をひくひく動かして甘酸っぱい匂いを嗅いでから、前世の林檎と同じくらいの大きさがある果物を食べ始めた。


 おい、餌に夢中になるのはいいが、こっちに汁や滓を飛ばすなよ。


「くぅん?」


 謎兎は寝惚けたような鳴き声を返しただけで、私のほうは見向きもせずに、果物の芯を種こと飲み込んで毛繕いを始めてしまった。


「──、──!」


 修道女姿の娘が籠の中に寝ていた私を抱き上げて、哺乳瓶の吸い口を唇につけて果汁を飲ませてくれたので、礼を伝えるつもりで笑顔を作って見せてやったら、何やら感極まったような反応をされた上に頬擦りされてしまった。


 どうやら根っからの子供好きらしく、赤子の身体でも中身が擦れっ枯らしな私としては鬱陶しいのだが、こちらの生死を決める力を持っている相手なのだ、と自分に言い聞かせた。


 常に愛想を振り撒いて気に入ってもらえるように仕向けなければ、この場で首を絞められて殺されたり、野外に置き去りにされて腹を空かせた獣の餌にされたりしても、まったく不思議ではないのだから。


 今日も無事に生き延びることができたとわかって気が緩んだのか、黒灰色の僧衣を着た娘が小部屋から出て行ったのを確かめた直後に意識を失ってしまった。


 またか、と思いながら目を開けたときには、夜を跨いで明け方になっていた。


 何もできずに一日が終わってしまったせいで、限られた時間を無駄にしたように感じて腹立たしくなったが、前世でも産まれたばかりの赤子はほとんど寝て過ごしていたなと思い出した。


 ただ、元の性格から、こういう状態が続くと自堕落になったまま抜け出せなくなるのが目に見えていたので、先にやることを決めておくことにした。


 といっても、当面の寝床として与えられた小部屋の中はすでに調べ尽くしたし、自分の足で外に出ることもできないから、今の時点では、得体の知れない「個別記録一覧」を覗きながらあれこれ試してみるくらいしかないのだが。


 軽く意識しただけで瞼の裏に映し出されるようになった諸々の数値を眺めて、用のない名前や寿命のところを飛ばして気になっていた箇所──異世界を舞台にした小説でよく見られる「遊戯的設定」のような部分──を表示させた。






 生命力:5


 精神力:60


 総合判断力:50


 知識習得力:40


 経験応用力:70


 実践行動力:40


 肉体耐久力:3


 精神耐久力:50


 感情制御力:20


 幸福度:8






 相変わらず何の説明もなく、最大値や最低値がわからないから、今のところ推測の域を出ないのだが、おそらく「生命力」と「肉体耐久力」と「感情制御力」の三つは、私の魂が宿った赤子の実態を示しているのだろう。


 産まれたばかりの身体なのだ、という現実を改めて思い知らされた。


 それが意味するのは、老若男女を問わず大人はもちろん、三歳くらいの子供にも簡単に殺されてしまうということだ。


 自分の身を独力で守れるようになるまでは、できるだけ普通の赤子に見えるように振る舞いながら、周囲の者に媚を売って衣食住の面で継続的に庇護を得なければならない。


 まあ、このあたりは前世でも変わらないのだが。


 一方で、他の数値は、前世で四十路男だった私そのものだと思われる。


 何よりも「経験応用力」が高いのは、明らかに年を食っている人間である証だし、その前後にある「総合判断力」と「精神耐久力」とは、二十歳を過ぎた頃から世間の荒波に揉まれてきた結果を目に見える形にしたものだろう。


 また、若かった頃は旺盛だった未知の分野に対する好奇心や、今までやったことがない趣味や仕事に手をつけてみようとする活力が擦り減って、どうしても欠かせないものを除いて何をするのも面倒臭いと感じるようになってしまった、ということを表しているのが「実践行動力」である、と考えられる。


 いちばん下に出ている「幸福度」については、筋金入りの擦れっ枯らしを自認する私を正しく反映していると思うが、異世界で生きていくのに役に立つかどうかという点から言えば、正直なところどうでもいい代物だ。


 肩肘張って強がっているわけではない。


 愛とか友情といったものと同じで、別なくても構わない、と思っているだけだ。


 前世で「幸せだ」と感じたことなど、私の記憶違いでなければ、物心ついてから片手の指で数えられるくらいしかないのだから。


 いずれにしても、これらの「能力値」については、しばらくは放置する、という方針で決まりだ。


 私が宿った赤子の身体が成長するに従って変動するかもしれないが、一日や二日で大きくなったり小さくなったりすることはないはずだから、検証しようとしても少なくとも数箇月、長ければ数年はかかることになる。


 というわけで、今の時点で目を向けるべきは「天賦の異能:念動力」だ。


 こいつを文字通り受け止めるならば、ある程度──前世と同じ法則が成り立つとすれば十万時間くらい──訓練が必要になるだろうが、超能力めいたものを使えるのが当たり前だと思っていい、ということだ。


 相変わらず──といっても、産まれてから二日しか経っていないが──首を回すことも寝返りを打つこともできないので、暇潰しを兼ねて実験してみることにした。


 手始めに目をつけたのは、木の卓の上に置かれた水差しの脇にあった、洗面器のような底の深い皿だった。


 私の身体を拭くのに使ったのを捨て忘れたのか、濁った感じがする水が容器の半分くらいまで溜まっていた。


 こちらの世界の物質が前世と同じように分子構造でできているならば、可能な限り軽いもので試すのが効果的ではないか、と考えたのだ。


 いきなり木の卓や脚の壊れた椅子を宙に浮かそうとするよりは、費やす労力も難易度も少なくて済むだろう。


 もっとも、大層に「天賦の異能」という呼び名がついていても、他の者よりも効率的に技能を身に着けることができる、といった程度のものだと思うが。


 所詮はお試しだから、うまく行かなくても問題はない、と期待せずに、辛うじて視野に捉えることができる水をじっと見据えながら、胸の内で「動け」と命じた。


 錯覚ではなかった。


 私が向けていた視線に合わせて、底の深い木の皿に残っていた水の表面がいきなり揺れ動いたのだ。


 若者向けの小説にありがちなご都合主義か、と呆気に取られたが、前世でも私が本当に得意にしていたことは、ほんの何日か集中して練習しただけで、あっという間に熟練の域まで達してしまったな、と思い出した。


 続けて「天賦の異能:念動力」の部分にどこか変わったところが現れるかどうか確かめながら、容器に入った水が波打つくらいに揺らした。


 二十回ほど繰り返したときに、わざわざ胸の内で念じなくても、目を向けただけで動かせるようになった。


 別に調子に乗って遊んでいたわけではない。


 考えていたのは、使い方によっては、この「天賦の異能:念動力」は、敵対する人間を殺すための道具になり得るのではないか、ということだ。


 今はまだ水面を揺らすことしかできないが、激しく分子を動かして温度を上げ、一瞬で沸騰させる域まで辿り着けば、ろくに身動きもできない非力な私にとっては理想的な武器になるかもしれない、と思いついたのだ。


 人間の血を対象にするのは、さすがに量が多すぎて無理だろうし、仮にできたとしても相当の代償を払わなければならない羽目になると思うが、体内にある臓器、またはごく限られた部分に狙いを絞って「念動力」を使ったら、果たしてどうなるだろうか?


 私の思惑通りに事が運べば、敵対した者の身体の中で爆弾を吹っ飛ばしたような結果が得られるのではないか?


 つまり、生き抜くために絶対に欠かせないと考えていたものの一つ──安全かつ確実に他の人間を殺せる手段──を、赤子の段階で身に着けることができるわけだ。


 筋金入りの擦れっ枯らしには似つかわしくないが、期待に胸が熱くなった。


 他人から暴力を振るわれて、下手をすれば殺されるかもしれないという恐怖を味わったことがある者ならば、このとき私が抱いた感情がどれほど深いものだったか理解できるだろう。


 だが、安心するにはまだ早い。


 ひと息つくのは、屠殺する予定の家畜や畑を荒らす害獣といった、生身の相手に何度も検証を繰り返して、呼吸をするのと同じような感覚で使いこなせるようになってからだ。


 また、害意ある人間に対して手を下した後に、罪悪感などの感情的な反動がどれくらい襲ってくるのかも、忘れずに確かめておかなければならない。


 こちらの世界の人間にも「同族を殺したくない」という本能があるとすれば、動物の肉がまったく食えなくなる、とか、血の臭いを嗅いだだけで気分が悪くなって胃の中身を吐いてしまう、といった後遺症に悩まされることも考えられる。


 あれこれ思案しながら「天賦の異能:念動力」を使い続けるうちに、いつの間にか底の深い木の皿から湯気が立っていた。


 前世での最小単位である水分子を想像して、胸の内で「できるだけ速く動け」と命じていただけなのだが、どうやらうまく行ってくれたようだ。


 この調子なら、今日中には沸騰させるところまで上達できるかもしれない。


 もっとも、最終的な目標は「敵対する連中を好きなように蹂躙する」ことだから、まだ先は長いのだが、初めて試してみた成果としては満足していいだろう。


 あの修道女姿の娘が次に来たときに、容器に入っていた水がなくなっているのに疑問を持たれる、という懸念は残るが、愛玩動物っぽい外見のくせに食い意地が張っている謎兎が悪戯でもしてひっくり返したのか、と思うだけで、赤子である私の仕業だとは想像もしないはずだ。


「くぅん?」


 枕元から寝惚けて呟いたような鳴き声が聞こえたが、今は取り合わなかった。


 何をやってもすぐに飽きて放り出してしまう、という性格は自覚しているから、関心が向いているうちに「天賦の異能:念動力」をある程度──少なくとも、底の深い木の皿に残っている水を、火傷を負うくらい熱い湯に変えるまで──鍛えておく必要があった。


 まだ十分に働かせることができない未成熟な脳を酷使したせいか、何度か意識が飛んで気絶したようだが、目覚めたときには夜になっていた、ということはなかった。


 どれくらい時間が経っただろうか。


 いつの間にか謎兎の姿が消えていたことにも気付かず、目に見える形で結果が出るまで続けてやる、と変に意固地になってきた頃だった。


 容器に入っていた水が、大きな音を立てて弾け飛んだ。


 底の深い木の皿のほうが耐えられずに壊れたのかと思ったが、僅かな間だけ垂れ籠めた湯気と肌に伝わってきた熱が、私の期待通りに事が運んだことを物語っていた。


「──、──?」


 しばらく経って、修道女姿の娘が何やら叫びながら駆け込んできたが、異常らしきものは見つけられなかったはずだ。


 まあ、不思議そうな顔をして首を傾げたかもしれないが。


 おそらく、葦のような草で編んだ籠の中で眠っている私は、空きっ腹が満たされたときのような笑みを浮かべていただろうから。






 



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