第一話 遠くなった三人
「おい起きろ。鶴見」
肩に衝撃が走った。
「……っ」
ハッとして顔を上げる。
目の前には黒板。
その前にはチョークを持った教師が、怒りの形相で立っていた。
そして教室中から向けられるいくつもの視線。
「おい、授業中にどこへ行ってた?」
「……すみません。ちょっと夢の世界に」
「夢じゃなくて現実に戻ってこい」
教師はそれだけ言って、再び黒板へ向き直った。
教室にクスクスと小さな笑いが起こる。
「……はぁ」
俺は何事もなかったように姿勢を正し、机の上に開きっぱなしだった教科書へ視線を落とした。
……夢を見ていた。
小学生だった時の夢。
俺と大川と小田栄と弁天橋の四人で遊んだ夢。
もう高校生なのに今更になって夢に出てきた。
「いやぁ、おはよう鶴見クン。最悪の目覚めになったな」
後ろから声が飛んでくる。
振り返ると、友達の浅野がニヤニヤしていた。
「そりゃもう楽しそうに寝てたぞ」
「……寝言でも言ってたか?」
「言ってたら面白かったんだけどな。そこまでサービス精神旺盛じゃなかった」
「ならよかった」
小学生の時の夢の内容をうっかり口走っていたら、それこそ質問攻めだ。
「それにしてもどんな夢だったんだ? 寝ながらめっちゃニヤついたから。気になるだろ」
そう言われて俺は少し考える。どんな夢だったか。
「……最悪の夢だったよ」
「いや嘘だね。あのニヤけ方はエロくていいことが起きてる時の顔だった」
「そんなわけないだろ」
俺は呆れて前を向いた。
「なぁ教えてくれよー」
浅野は納得していない顔をしたが、それ以上聞いてくることはなかった。
◯
チャイムが鳴る。
教師が教科書を閉じた。
「じゃあ今日はここまで——」
その瞬間に教室の空気が一斉に緩む。
昼休み。
授業という名の合法的拘束から解放された生徒たちが、弁当を取り出したり、購買へ走ったり、友達の席へ移動してグループを作ったりしている。
俺は一息ついてから鞄を持ち上げた。
「購買行くか?」
浅野が聞いてきた。
「あぁ行く」
「なら俺も行くわ」
購買のパンを買うため、俺たちは教室を出た。
廊下には昼休みを満喫する生徒たちが溢れている。
教室から教室へ移動する奴。
購買へ向かう奴。
どこかのクラスへ遊びに行く奴。
その人の流れの中で俺は一人の知っている顔を見つけた。
大川。
着崩した制服に、校則ギリギリの明るい髪色。メイクもばっちり決めていて、耳元では派手なピアスが光っている。
似たような装いをした友達に囲まれて楽しそうに歩いている。
俺が向こうを見ていると、向こうもこちらを見た。
一瞬だけ目が合った。
「——あ」
そんな言葉にもならない認識が、お互いの間に生まれる。
咄嗟に目を逸らした。大川も同じように目を逸らす。
ほとんど同時だったと思う。
次の瞬間には大川の視線は囲んでいる友達の方へと向いていた。
「……」
「……」
そのまますれ違い、通り過ぎる。
誰かが何かを話して大川が笑っている。
その笑い声が、俺の後ろを通り過ぎていく。
俺は振り返らなかった。
「なぁ今の大川だよな?」
浅野が何気なく聞いてきた。
「多分な」
「『多分な』ってあの大川だぞ。現役JKにしてインフルエンサー。読者モデルもしてるって噂らしいじゃん」
「らしいな」
浅野からの話を冷たく受け流す。
俺と大川の関係はかつての知り合い。
だから赤の他人よりも気まずい。
それゆえに大川の話はしたくない。
「なんだよ。急に冷たいじゃんか」
「……そんなことはない」
浅野はそれからも大川の話題を振ってきた。
だが俺が歩く速度を少しだけ速めると、察したのか口を閉じた。
◯
購買は今日も戦場だった。
昼休み開始から数分しか経っていないというのに、人気のパンはほとんど消えている。
「焼きそばパン!」
「もうありません!」
「はやすぎるだろ!」
どこかで男子生徒の悲鳴が上がった。
俺は残っていた適当なパンを二つ取る。
浅野も同じように何かを確保した。
俺たちは人混みから脱出し、校舎の端にある階段へ向かった。
人が少ない場所。昼飯を食うには悪くない。
「んでさ」
パンの袋を開けながら、浅野が言った。
「さっき大川の話なんだけどさ」
「まだその話かよ」
浅野は懲りてないようだった。
「やっぱり顔、可愛いよな」
「……急に何だよ」
「いや、普通に」
浅野はハムロールパンを一口かじった。
「いや、普通に可愛いし、華があるよな。あの人数のフォロワーを集められるのも分かるわ。
しかも、誰とでも仲良くなれるし。ああいうのって才能だよな」
「へえ」
俺は買っておいたMAXコーヒーを一口飲む。
「いや、だからさっきから大川の話になると反応薄って」
「俺はそういうの興味ないから」
「嘘だね。健全な男子が興味ないなんてありえない」
その言い方に、少しだけ引っかかった
目を合わせなかったんじゃない。合った目を、すぐに逸らしただけだ。
そんな違い、本人にしか分からないかもしれないけれど。
「とりあえず無いものはないから」
「つれねーな。近くに可愛いインフルエンサーがいるんだぞ。もったいねえな」
何がもったいないのか。
浅野はスマホを取り出した。
「この前もバズってたしな」
差し出されたスマホの画面の中では大川が流行りの音楽に合わせてダンスを踊っていた。
画面の端にあるハートマークの下には1.5万の文字。
「それは見た」
「なんだよ。見たってことは鶴見だって興味あるじゃん」
「見たんじゃなくて見えたんだよ。正確には見させられた」
「何が違うんだよ」
違う。
大川のSNSをわざわざ見に行ったわけじゃない。
タイムラインに流れてきたり、友人が話題にしたりするから、嫌でも目に入るだけだ。
「それにしても、すげえよな」
浅野はスマホを操作しながら続けた。
「何が」
「俺らと同い年で、もうあんなところまで行ってるんだろ?」
「まあな」
「将来安泰じゃん」
「インフルエンサーが安泰なのか?」
「そこは雰囲気で褒めろよ」
はいはいと受け流して、俺はパンをかじった。
別に、大川をすごいと思っていないわけじゃない。
むしろ逆。すごいと思っている。
ただ俺の知っている大川は、もう昔の大川ではなかった。
「そういえばさ」
浅野はスマホを操作しながら、別の記事を開いた。
「この辺に住んでる高校生が、サッカーのユース日本代表候補に選ばれたんだってよ」
スマホに表示されていたのは、スポーツニュースの記事だった。
「ユース日本代表の候補メンバー決定」
そこには、ユニフォーム姿の高校生たちが並んだ写真が表示されている。
その中の一人、見知った顔がいた。
下にある選手名を見るまでもなく、俺は名前がすぐに分かった。
小田栄。
「経歴見たら鶴見と同じ小学校じゃん。同い年だし、知ってたりする?」
浅野が聞く。
「……いや」
反射的に答えた。
浅野はスマホを自分の方へ戻した。
「ユース日本代表候補だぞ。すげえよな。世界レベルだもんな。俺なんて小さな日本の全国規模で何かしたことすら一回もない」
浅野は称賛する。
「やろうと思えばやれるだろ。例えば全国模試で全国最下位とか?」
「それは全国規模でのやらかしだろ。恥をかくだけじゃんか」
「浅野が名を残せるのはそれくらいだろ」
「お前、辛辣すぎじゃない?」
浅野が笑う。
俺も少し笑った。
浅野はもう一度スマホの記事へ目を落とした。
「やっぱり応援したくなるよな」
「何が?」
「この小田栄って選手のこと。同い年の地元の奴が、そんなところまで行くんだぞ?」
「よくそんなに同年代の活躍を楽しめるな。嫉妬とかしないのか?」
俺がそう言うと、浅野は少しだけ考えるように首を傾げた。
「嫉妬なんてしない。俺は凡人ってわかってるからな。同い年で地元で活躍してるやつを見ると、応援したくなるのよ」
浅野はあっさりと答えた。
「……そんなこと思ったことなかったわ」
「マジで? もっと有名になった時に『歳も地元も一緒で、若い時から目をつけてました』って古参ぶれるんだぞ?」
「なんだよそれ」
浅野は「みんなそう思わないのかよ」と言って、少し不思議そうな顔をした。
俺は浅野のように成功している同年代を素直に応援は出来ないと思う。
同い年の誰かが、自分よりずっと遠くへ行く。
それを見て、純粋にエールを送れる自信はない。
「全国模試といえばさ」
浅野はまだ話を続ける気らしい。
「この前受けた全国模試。今回も近くの高校の女子がトップだってよ」
「ああ」
それは知っている。
だって俺もその模試を受けたから。
結果が返って、成績上位者の学校名とイニシャルが発表される。
一位の欄にいるのはいつも同じ。
近くの進学校。
女子。
そしてイニシャルはB。
弁天橋のことだ。
「もしかしてこの辺りって、才能持ちばっかなのか」
浅野はため息を吐いた。
「サッカーでユース日本代表に選ばれる奴がいて、全国模試でトップ取る奴がいて、SNSで何万人にも見られてる奴がいる」
そして俺の方を見る。
「それに比べて俺たちは凡の人間」
「……まあな」
凡の人間。その烙印は素直に受け入れる。
受け入れるが頭の中で小さく思う。
あいつら三人がすごいのは知っている。
劣等感というほど重いものじゃない。
それぞれ違う場所へ向かって走っていった友達を、遠くから眺めているだけの感覚だった。
走る方向が違うなら、追いかける理由もない。
そう納得しているつもりだった。
納得できていない部分があることにはなるべく気づかないふりをしていた。
◯
夜。
俺は自宅の自室でゲームをしていた。
国民的と呼ばれる超人気RPGのシリーズ3作目。
画面の中では、主人公である勇者が仲間たちを連れて冒険している。
当然のように先頭に立っていて、仲間たちは後ろからついてくる。
敵に遭遇すれば真っ先に動き、仲間に指示を出す。
ピンチになっても、機転と冷静な判断で切り抜けていく。
……なんとなく。
昔の四人を思い出した。
あの時はいつも俺が先頭に立って、三人を導いていた。
三人がてんでバラバラに動くものだからそれをまとめ上げるのが俺の出来ることだった。
でも今は違う。
俺以外の三人がそれぞれの方向で先を行っている。
そして俺だけが動けずに、最後尾に取り残されている。
前みたいに三人に追いつき、前に行きたいと思うなら、その差を埋める努力をすればいい。
大川のように、自分を磨いて交友関係を広げるとか。
小田栄のように、一つのスポーツに本気で打ち込むとか。
弁天橋のように、怠けないで机に向かい、勉強をし続けるとか。
三人とも、何もせず今の場所にたどり着いたわけじゃない。
大川は人付き合いを磨き、インフルエンサーとして名を馳せた。
小田栄はサッカーに打ち込み、ユース日本代表候補に選ばれた。
弁天橋は勉強を続け、全国模試でトップを取った。
それに比べて、俺は——。
努力をすることなく、怠惰に過ごして、落ちるところまで落ちても、なお甘えているだけ。
そんなのだから置いていかれる。
そんなことは分かっている。
分かっていても。
【ゆうしゃのレベルが上がった。攻撃力が3ポイント——】
「お、レベルアップした」
俺はコントローラーを置こうとはしなかった。
ピコンッ!
そのとき、机の上に置いたスマホが震えた。
メッセージを受信したことを告げる通知音が鳴る。
俺はテレビの画面からスマホに目を向けた。
何も期待はしていない。
俺にメッセージを送るやつなんて両親か、浅野くらいのものだから。
どうせ浅野の「どうせ暇してるんだろう? 今からオンラインゲームでもやろうぜ」のメッセージだろう。
スマホのロックを解除してLINEを開く。
一番上にあるメッセージの送り主を見た。
一瞬、指が止まった。
そこに表示されていたのは——
【大川】
今日、廊下ですれ違った相手からのメッセージだった。
あの時は一言も交わさなかったくせに。
要件があるならその時に話してくれても良かっただろ。
連絡先を交換したのはまだ仲が良かった頃。
そのアカウントを未だにお互い使い続けているから連絡は出来る状態だった。
ブロックすることはできる。
でも、決別したわけでもないのに、そこまでするのは気が引ける。
最後にやり取りしたメッセージなんて内容すら覚えていない。
そんな大川から突然のメッセージ。
『久しぶり。今度の七月一日、木曜の夜って暇?』
久しぶりという言葉に違和感を覚える。
今日も廊下で会っただろ。
まぁ、話すのはだいぶ久しぶりになるけど。
返信しようと思ったが、指が動かなかった。
「……なんと返したものか」
七月一日は暇だから「暇だよ」と返せば終わる。
でも長い空白を挟んだ相手にどんな温度で返すのが正解なのか見当がつかなかった。
まして一度、親友になって疎遠になった関係。
余計に返しにくい。
さてどうしたものか。
メッセージに既読をつけてしまったから、アカウントが消えちゃったとか、気付かなかったなんて言い訳は使えない。
ただ画面を見つめる。
すると続けてメッセージが届いた。
『小学校、取り壊されるらしいよ』
俺と大川、小田栄と弁天橋の四人が卒業した小学校のことだろう。
通ってた頃からとても古かった。いつもどこかしらから雨漏りはしてたし、隙間風が冷たかった。
老朽化と少子高齢化で近隣の小学校と統合して取り壊されるという噂は何度も聞いたことがあった。
それがどうやら決まったようだった。
大川は急になんでそんなことを俺に報告してきたのだろう。
それにも既読をつけてしまったので、返信を考えていると、
『既読無視してるの分かってるからね。せめて何か返してよ』
催促のメッセージが来た。
『ごめん』
ととりあえず打てた三文字だけ送信する。
『生きてた。とりあえず要件だけ伝えるね』
一度メッセージが途切れてタイムラグがあった。
『前に埋めたタイムカプセル、掘り出しに行かない?』
タイムカプセル。
大川に言われて、そんなものを埋めたことを思い出した。
あれは確か小学六年生の卒業前。
四人で校庭の隅に穴を掘って、それぞれの私物とみんなで書いた連絡帳をお菓子の缶に入れて埋めた。
そして「二十歳になったら、みんなで揃って開けようね」と約束をして。
子供のイベントとしては悪くない思い出だった。
あの頃はまだ四人でいることに理由なんて必要なかった。
それを今、廃校になるタイミングで掘り返そうということのようだ。
大規模な解体工事が始まれば小学校には入れなくなる。重機で掘り起される前に避難させるつもりだろう。
『タイムカプセルを埋めたの、今思い出した』
ひとまず、怒られないうちに返信した。
『忘れてたんかい』
即座に大川からの返信が来た。
既読をつけないようにして、そして返信を考える。
タイムカプセルは四人で埋めたもの。
俺と大川の二人だけで掘り起こしてしまっていいものなのだろうか。
「みんなで揃って開けようね」と約束をしたのに。
そもそも二十歳になってないし。
もし掘り出しに行くことを承諾したら、二人で行くのだろうか? 今の大川と二人きりで会う状況は、なんとなく避けたい。
『一緒に埋めた小田栄と弁天橋は来るのか?』
メッセージを送る。
するとすぐに既読がついた。
『連絡した。二人とも来るって』
その返事の速さに少し驚く。
大川はもう三人全員に連絡を終えていた。
『それで鶴見は来れそうなの? 来れなさそうなの?』
参加の可否を尋ねるメッセージが来る。
俺はスマホの画面を見つめたまましばらく固まる。
なぜ今さら。
大川は急に四人を集めようと思ったのか。
俺と大川でさえ、何年も顔を合わせる機会があっても互いに避けてきたくせに。
再会した俺たちはもう一度あの頃みたいに話せるのか。
存在ごと忘れ去っていたタイムカプセルの中にはいったい何が残っているのか。
答えの出ない問いが頭の隅でぐるぐると渦巻く。
これ以上考えていたら、また催促のメッセージが来そうだった。
意を決するように、短く打ち込んだ。
『行く』
送信ボタンを押す。シュッという軽い音とともに、メッセージが送られた。
すると、すぐに既読の文字がついた。
『了解。じゃあ次の七月一日、木曜の20時に駅前に集合ね』
そして可愛いキャラクターがぺこりと頭を下げるスタンプも送られてきた。
こうしてもう一度四人で集まることになった。




