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Episode.87 星を読む少女

天空山の中腹に築かれた小さな街――星降りの街。

山肌に寄り添うように建てられた十数軒ほどの家々は、どれも深い青色の屋根をしていた。

まるで夜空の欠片をそのまま切り取って並べたような、不思議な美しさがある。

街の中央には一本の高い塔が建っていた。

先端には巨大な望遠鏡のような装置が取り付けられ、今も静かに空を見上げている。

夕暮れが近づき、空は紫色へと変わり始めていた。

冷たい山風が吹き抜ける。

旅の疲れを感じながらも、ミリアたちは街へ足を踏み入れた。


「思ったより小さい街だね」


ミリアが辺りを見渡す。


「宿屋も一軒しかなさそうだな」


ゼインが呟いた。


「でも綺麗ですぅ……」


リリシアは少しだけ笑顔を見せる。

魔障病の不安は消えていない。

それでも、この街の幻想的な景色は、少しだけ彼女の心を和らげていた。

ライガは腕を組みながら周囲を警戒している。


「まずは情報だな」


その言葉に全員が頷いた。

天空神殿へ向かうための情報。

それが今、一番必要だった。


街の中央広場。

石造りのベンチに腰掛けていた老人へ声をかける。

白い髭を蓄えた穏やかな老人だった。

ミリアが事情を説明すると、老人は驚いたように目を丸くした。


「天空神殿じゃと?」


「はい」


「この先へ向かうのですぅ〜」


リリシアも続く。

老人はしばらく黙り込んだ。

やがて空を見上げ、小さくため息を吐く。


「……やめておいた方がいい」


重い声だった。

ミリアたちは顔を見合わせる。


「なぜですか?」


老人はゆっくりと答えた。


「この先には"星降りの丘"がある」


その名前を聞いてゼインが眉をひそめる。


「星降りの丘?」


「天空神殿へ向かう者が通る場所じゃ」


老人の表情は真剣だった。


「じゃが、あそこは危険じゃ」


風が吹く。

塔の上で鐘が小さく揺れた。

老人は続ける。


「星降りの丘では磁場が乱れておる」


「磁場?」


ミリアが聞き返す。


「方位磁針が狂うんじゃ」


その言葉にゼインが顔をしかめた。

旅人にとって方角は命だ。

それが分からなくなるというのは想像以上に危険である。


「しかもまともな地図もない」


老人の声はさらに重くなる。


「迷った旅人は数知れん」


「……」


「戻ってきた者の方が少ないくらいじゃ」


広場に静寂が落ちた。

ライガですら真顔になる。


「それに」


老人はさらに言った。


「丘には強力な魔物も住み着いておる」


「魔物までいるのかよ」


ライガが舌打ちする。


「うむ」


老人は頷いた。


「じゃから引き返した方がいい」


その言葉は親切心からだった。

死地へ向かう若者たちを止めたい。

その想いが伝わってくる。

だが、ミリアは首を横に振った。


「それでも行きます」


老人が目を見開く。

ミリアの声に迷いはなかった。


「リリシアを治す方法が天空神殿にあるんです」


隣にいるリリシアが俯く。

自分のせいで、また皆を危険な場所へ向かわせてしまう。

そんな思いが胸を締め付けていた。

しかし、ミリアはすぐに言った。


「仲間だから」


リリシアが顔を上げる。


「誰一人置いていかない」


その言葉は真っ直ぐだった。

嘘も飾りもない、ミリア自身の本心。

リリシアの目に涙が浮かぶ。


「ミリアさん……」


ゼインは苦笑した。


「相変わらずだな」


「変かな?」


「まさか」


ライガも鼻を鳴らす。


「行くって決めたなら行くだけだ」


その言葉にリリシアは小さく笑った。

怖くて不安だ。

でも、ひとりじゃない。

それだけで少しだけ前を向ける気がした。


しばらくして、ミリアは老人へ尋ねた。


「この街の人たちは迷わないんですか?」


老人は不思議そうな顔をする。


「迷う?」


「星降りの丘です」


「コンパスも使えないんでしょう?」


すると老人は笑った。


「そんなもの使わん」


「え?」


ミリアたちが首を傾げる。

老人は空を指差した。

ちょうど夕暮れの空に一番星が輝き始めていた。


「空を見るんじゃ」


「空?」


「星じゃよ」


老人は優しく微笑む。


「星々は嘘をつかん」


その言葉に全員が耳を傾ける。


「地図は間違う、方位磁針も狂う、じゃが星だけは変わらん」


老人は夜空を見上げた。

長い年月を星と共に生きてきた者の目だった。


「わしらは空の地図を読む。星を見て位置を知るんじゃ」


ミリアは感心した。

そんな方法があるのか。

確かに理屈は分からないが、この街の人々は代々それで生きてきたのだろう。


「なるほど……」


「じゃが」


老人は苦笑する。


「わしにはもう無理じゃ」


「え?」


「歳を取りすぎた」


肩を竦める。


「天空神殿まで行く体力なんぞ残っとらん」


ミリアは少し残念そうに俯いた。

案内人がいれば心強かった。

魔物は何とかなるだろう。

だが道に迷えば終わりだ。


「そう……ですか……」


すると、その時だった。


「ふふん!」


元気な声が広場に響いた。

全員が振り返る。

夕陽を背に立つ人影があった。

黒髪。

青い瞳。

腰まで伸びる髪が山風に揺れている。

年齢はミリアたちと同じくらいだろうか。

旅人らしい軽装。

どこか猫のような笑みを浮かべていた。


「それなら、ぼくが案内するよ!」


その瞬間、ライガの目が見開かれた。

まるで信じられないものを見たように。


「なっ……」


声が漏れる。


「お前は……!」


少女は嬉しそうに笑った。


「あれ?赤髪のお兄さんじゃん!」


ライガの顔が引きつる。


「なんでここにいやがる!」


「それはこっちのセリフだよ!」


少女はケラケラ笑う。

ミリアたちは完全に置いていかれていた。


「知り合いなの?」


ミリアが尋ねる。

ライガは盛大にため息を吐いた。


「昔の案内人だ」


「昔の?」


「戦士の国バルキアへ向かう時にな」


その言葉にミリアは納得した。

つまり、自分と出会う前の旅路で関わっていた人物。

少女は得意げに胸を張った。


「その通ぉーり!」


そして勢いよく指を立てる。


「ぼくは星を読む女!凄腕案内人のぉ!リッカちゃんだよ!」


沈みかけた太陽の光の中。

自信満々に笑うその姿は、どこか眩しかった。

そして、リッカはニヤリと笑う。


「天空神殿まで案内してあげてもいいよ?」


ミリアたちが顔を見合わせる。

希望が見えた。

しかし、リッカは人差し指を立てた。


「その代わり!」


「?」


「ぼくをちゃんと守ってよ!」


堂々と言い放つ。


「戦うのは苦手だから!」


沈黙。

数秒後、ライガが頭を抱えた。


「相変わらず無茶苦茶な奴だな……」


リッカは得意げに笑う。

ミリアは思わず吹き出した。

リリシアも小さく笑う。

久しぶりだった、こんな風に肩の力を抜いて笑えたのは。

星降りの街の夜が静かに訪れようとしていた。

そして、天空神殿への新たな道が、今開かれようとしていた――。

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