↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
89/109

Episode.86 失われていくもの

風の丘を後にしたミリアたちは、再び北を目指して歩き始めていた。

振り返れば、なだらかな草原の向こうに風車が小さく見える。

あの丘で出会ったオズとフィンは、今頃どんな話をしているだろうか。

そんなことを考えながら、ミリアは歩いていた。

空気は日に日に冷たさを増している。

砂漠地帯を抜けた頃とは違い、風には冬の気配が混じっていた。

遥か前方には巨大な山脈が見える。

雲を突き抜けるほど高くそびえ立つその山こそが、天空山だった。

頂上付近は白い雪に覆われている。

その姿はまるで天に届く柱のようだった。


「……でっけぇな」


ライガが思わず呟く。


「今さらですかぁ〜」


リリシアが苦笑する。


「いや、近くで見ると余計にな」


ライガは首を上げる。

見上げ続けるだけで首が痛くなりそうな高さだった。

ゼインも口笛を吹く。


「こりゃ確かに天空神殿なんて名前がつくわけだ」


「まだまだ先だね」


ミリアは山を見上げながら言った。

目的地はあの頂。

エリクサーの最後の素材――天空神殿の神水。

それさえ手に入れば、父アルトが命を懸けて追い求めた希望が完成する。

ミリアはそっと拳を握った。


(必ず辿り着く……。どんなことがあっても)


――その時だった。


「ミリア、リリシアが遅れてるぞ」


ゼインの声が聞こえ、ミリアは振り返った。


「リリシア」


呼ぶ。

しかし返事はない。

風の音だけが耳を抜けていく。


「リリシア!」


少し声を張る。

すると。


「ふぇ?」


ようやくリリシアが顔を上げた。


「どうしたんですぅ〜?」


不思議そうな顔をしている。

ミリアは少しだけ違和感を覚えた。


「聞こえてなかったの?」


「えっと……考え事してましたぁ〜」


リリシアは照れたように笑う。

その笑顔に嘘は見えない。

だからミリアも深く追及しなかった。

だが胸の奥に小さな引っかかりだけが残った。

――王都でも同じことがあった。

黒龍を倒した後。

何度呼んでも反応しなかった。

あの時は疲れていたからだと思っていた。

だが、今も同じことが起きた。

ただの偶然だろうか。

ミリアは小さく首を振った。

考えすぎかもしれない。

そう自分に言い聞かせる。

だが不安は完全には消えなかった。


その日の夕方。

山道の途中で野営することになった。

周囲には背の低い針葉樹が並び、風を防いでくれている。

ライガが慣れた手つきで薪を組み、火を起こした。

赤い炎が揺れる。

暗くなり始めた山道に暖かな光が広がった。

パチパチと薪が弾ける音が耳に心地よい。

ゼインは干し肉を切り分けている。

リリシアは鍋をかき混ぜていた。


「もうすぐできるですぅ〜」


「腹減った!」


ライガが待ちきれない様子で鍋を覗き込む。


「まだですぅ!」


「ちっ」


「舌打ちしないでくださいぃ〜」


そんなやり取りにミリアは思わず笑った。

最近は激しい戦いが続いていた。

だからこそ、こういう時間が妙に愛おしく感じる。

やがて食事が完成した。

温かな野菜スープ。

焼いた肉。

硬いパン。

豪華ではない。

けれど旅人には十分なご馳走だった。

ライガは早速スープを飲み、一口で顔をしかめた。


「しょっぱ!」


「え?」


リリシアが目を丸くする。

ゼインも飲んだ。


「確かに塩入れすぎだな」


「そうかしら?」


ミリアも口をつける。

確かに塩気が強い。

飲めなくはないが、少々味が濃すぎる。


「ご、ごめんなさいですぅ……」


リリシアがしょんぼりする。

しかし、その時だった。

リリシアは自分のスープをもう一口飲んだ。

そして。

首を傾げる。

もう一口。

さらにもう一口。

違和感が広がっていく。


(あれ……?)


味がしない。

塩辛いはずなのに。

甘さも苦さもない。

まるでぬるいお湯を飲んでいるようだった。

リリシアの背筋に冷たいものが走る。

もう一度飲む。

何も感じない。

何も。


「……あのぉ」


震えた声が漏れた。

ミリアたちが顔を上げる。

リリシアは困ったように笑った。


「皆さん……本当に味しますかぁ?」


空気が止まった。

ミリアは眉をひそめる。


「どういう意味?」


「えっと……」


リリシアの手が震えていた。


「私……味が分からないですぅ……」


その言葉に。

焚き火の音だけが静かに響いた。

誰もすぐには言葉を返せなかった。

ライガも真顔になる。

ゼインの表情も消えていた。

ミリアの胸が嫌な音を立てる。

味が分からない。

そして。

聞こえにくい。

――まさか。


「リリシア」


ミリアは静かに尋ねる。


「最近、聞こえにくいこともある?」


リリシアの顔色が変わった。


「……え?」


「王都でも呼んだのに気付かなかった」


「それは……」


リリシアは俯く。

心当たりがあった。

最近、何度か聞き返すことがあった。

気のせいだと思っていた。

疲れているだけだと。

だけど。

もし。

もしも。

ミリアは拳を握った。

嫌な予感が確信へと変わっていく。


「……魔障病」


誰にも聞こえないほど小さな声だった。

だが、その一言は全員の心を凍らせるには十分だった。

リリシアの顔から血の気が引く。


「そ……そんな……」


魔障病。

ザンガの瘴気によって引き起こされる呪いの病。

五感が少しずつ失われていき、そして最後には何も感じられなくなり、死に至る。

リリシアの肩が震えた。


「いや……」


声が掠れる。


「嫌ですぅ……」


目から涙が零れ落ちる。


「なんで……」


恐怖が溢れていた。

見えなくなるかもしれない。

聞こえなくなるかもしれない。

仲間の声も。

景色も。

全部。

失うかもしれない。

リリシアは顔を覆った。

涙が止まらない。


「怖いですぅ……」


その姿を見て。

ミリアは迷わず隣へ移動した。

そしてそっと肩を抱く。


「大丈夫」


優しく言う。

リリシアが顔を上げた。

涙でぐしゃぐしゃになった顔。

ミリアは真っ直ぐ見つめ返す。


「絶対に治す」


「でも……」


「私たちは何のために天空神殿へ向かってると思ってるの?」


リリシアが瞬きをする。

ミリアは笑った。

強く。

優しく。


「エリクサーを完成させるためだよ」


その言葉にリリシアの瞳が揺れる。


「エリクサーが完成すれば治せる」


「……」


「だから大丈夫」


ミリアは力強く言った。


「絶対に諦めない」


その言葉には不思議な力があった。

リリシアの不安を完全に消すことはできない。

それでも、少しだけ救われた気がした。


「……はいですぅ」


震えながらも頷く。

ミリアは微笑んだ。

必ず治す。

父と母の願いのためだけじゃない。

仲間を守るためにも。


その夜。

皆が眠りについた後、ゼインだけが焚き火の前に座っていた。

小さくなった炎を見つめる。

その視線の先には眠るリリシア。

拳を握る。爪が食い込むほど強く。

だが、何も言わない。

言えない。

ただ静かに目を閉じた。


翌日。

天空山を登り続けた先。

夕暮れの光の中で、ミリアは足を止めた。


「……見て」


全員が顔を上げる。

そこには小さな街があった。

山肌に寄り添うように建てられた青い屋根の家々。

十数軒ほどの建物。

そして中央には天体観測塔が一本、夜空へ向かって伸びていた。

まるで星々を見守るためだけに存在している街。

夕日に照らされた青い屋根が幻想的に輝いている。

リリシアはその景色を見つめた。

そして小さく呟く。


「綺麗ですぅ……」


だがその笑顔の奥には消えない不安が残っていた。

ミリアはそんな仲間の横顔を見る。

そして決意する。


(絶対に治す。何があっても)


そのために天空神殿へ辿り着く。

山の風が吹き抜ける。

その先で静かに佇む街――星降りの街。

新たな出会いが待つその場所へ向かって、ミリアたちは再び歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。