Episode.80 侵食する炎
風の丘の朝は、静かだった。
どこまでも続く草原。
優しく吹き抜ける風。
古びた風車が、ゆっくりと回っている。
ミリアたちは、旅支度を整えていた。
「本当に行っちゃうんだな……」
フィンが寂しそうに呟く。
「また来るよ」
ミリアが微笑む。
「次来る時は、もっと強くなってるからな!」
ライガが笑う。
「俺もだ!」
フィンが拳を握る。
その姿を見て、オズは小さく笑った。
「……無茶はするなよ」
「じーちゃんこそ!」
フィンが言い返す。
穏やかな時間。
だが――
その空気を裂くように。
風が変わった。
ゼインの目が細まる。
「……何か来るぞ」
ミリアも気づく。
複数の気配。
しかも――殺気を隠していない。
丘の向こうから、黒装束の集団が姿を現す。
黒狼の牙――。
フィンが息を呑む。
「な、なんだよあいつら……」
先頭の男が、にやりと笑う。
「見つけたぜぇ、ジジイ」
オズは深くため息を吐いた。
「……また来たか」
その声には、うんざりしたような響きがあった。
ミリアが視線を向ける。
「知り合い?」
「知り合いというほどでもない」
オズは静かに答える。
「しつこく勧誘してくる連中だ」
ライガが鼻で笑った。
「黒狼の牙がじいさんを?」
「ああ」
オズは面倒そうに言う。
「断ってるんだがな……」
構成員の一人が吐き捨てる。
「頭領はあんたを高く買ってんだよ」
「光栄なことだ、興味はないがな」
オズは淡々としていた。
空気が張る。
だが次の瞬間――。
「悪いけど、その人に用があるなら、通さない」
ミリアが前へ出る。
構成員たちが鼻で笑う。
「ガキが――」
最後まで言えなかった。
ミリアが消える。
「――っ!?」
一閃。
黒装束が吹き飛ぶ。
ほぼ同時に。
ライガが拳を叩き込む。
「おらぁっ!!」
地面が砕ける。
別の構成員が宙を舞った。
ゼインの魔導銃が火を噴く。
正確無比な射撃。
武器を持った腕だけを撃ち抜く。
「ひっ……!」
わずか数秒。
構成員たちは地面に転がっていた。
フィンが口を開ける。
「……え」
理解できない。
強すぎる。
黒狼の牙の構成員が、一瞬で制圧された。
ライガが肩を回す。
「修行後だと雑魚だな」
「油断しないで」
ミリアは周囲を警戒する。
その時だった。
「……やれやれ」
丘の上から低い声が響く。
そこに、一人の男が立っていた。
黒いフードを深く被り、顔は見えない。
だが、その声を聞いた瞬間――ミリアの目が細まる。
(……この声)
ライガも眉を寄せる。
「どっかで……」
男はゆっくりと歩く。
「相変わらずだな、オズ」
「お前もしつこい」
オズの目が鋭くなる。
「何度断れば気が済む」
「簡単な話だ」
フードの男は肩をすくめる。
「黒狼の牙に来い」
その声には余裕があった。
「頭領は今でもあんたを欲しがってる」
オズは鼻で笑う。
「断る」
即答。
「……そうか」
男は小さく息を吐く。
そして――懐から、小さな笛のような魔道具を取り出した。
ピィィィィィ――――ッ!!
甲高い音が響く。
次の瞬間。
森の奥から、唸り声と地鳴り。
気配が、一気に増える。
「……魔物!?」
リリシアが顔を青くする。
丘の向こうから、魔物の群れが現れた。
牙を剥き、凶暴な目を光らせている。
「ひっ……!」
フィンが後ずさる。
魔物の一体が、一直線にフィンへ飛びかかった。
「フィン!!」
ミリアが動こうとした、その瞬間。
風が揺れた。
オズが、一歩踏み出す。
その瞬間。
魔物の牙が砕ける。
「……え?」
フィンが呆然とする。
オズは身体をわずかに捻る。
魔物の勢いを、そのまま利用する。
そして――掌底。
ドォンッ!!
魔物が吹き飛んだ。
さらに二体。
左右から襲いかかる。
だがオズは、表情を崩さない。
躱し、崩し、仕留める。
その全てが、完成されていた。
「……すげぇ」
ライガが思わず呟く。
ミリアの目も見開かれていた。
(これが……黒狼の牙も欲しがる力)
無駄がない美しさ。
まるで風そのもの。
最後の一体が飛び込む。
オズは静かに踏み込む。
強烈な拳を一撃、魔物が崩れ落ちた。
フィンは震えていた。
「じ、じーちゃん……」
オズは振り返る。
その目は、優しくも厳しかった。
「これが冒険者だ……」
フィンが息を呑む。
「強さってのはな、命を懸けることだ」
オズは静かに言う。
風が吹く。
「遊びじゃない」
フィンは唇を噛み締めた。
その瞳に、恐怖と憧れが混ざる。
「……なるほど」
フードの男が呟く。
「やっぱり衰えちゃいねぇな」
オズは男を睨む。
「帰れ」
「そうしたいんだがな」
男は肩を回す。
「こっちも仕事なんでね」
その瞬間。
空気が熱を帯びる。
ミリアの表情が変わった。
「……っ」
熱い。
周囲の温度が上がっていく。
フードの男の指先に、小さな炎が灯る。
揺れる火。
だが、その炎を見た瞬間――ミリアの脳裏に記憶が蘇る。
燃え盛る森。
爆発。
圧倒的な火力。
エルフの里近くで戦った、あの男。
ライガも目を見開く。
「おい……まさか……」
男は笑う。
フードの奥で、口元だけが歪む。
「久しぶりだなァ」
炎が膨れ上がる。
「“爆炎魔法”――」
轟ッ!!
巨大な炎が空へ噴き上がった。
その熱量。
その魔力。
忘れるはずがない。
ミリアが剣を握る。
「……”爆炎の魔導士”バラン」
フードの男が、ゆっくりと顔を上げた。
「正解だ……」
炎が、丘を赤く染める。
そして――
戦いの火蓋が、切られようとしていた。




