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Episode.78 砂漠の燕

砂の街サラスキア。

乾いた風が、ゆるやかに吹き抜ける。

路地の一角で――時間が止まっていた。


「リナは……元気か」


ラシードの問いは、静かだった。

だがその一言で、空気が変わる。

ミリアは、すぐには答えなかった。

視線を落とし、ほんのわずかに息を整える。

そして――


「……母は、もういません」


短く、告げた。

風が、砂をさらう音だけが残る。

ラシードの瞳が、わずかに揺れた。


「……そうか」


それ以上は、言葉にしない。

だが、その奥に沈む感情は、重かった。

ミリアは続ける。


「父も……ザンガに」


その瞬間――

ラシードの眉が、強く寄った。


「……アルトが?」


信じられない、という顔。


「……あいつが、やられるはずがない」


低く、押し殺した声。

否定するように、首を振る。


「……だが」


ミリアを見る。

その瞳は、現実を見ていた。


「お前がそう言うなら……事実なんだろうな」


ゆっくりと息を吐く。


「……あいつは、天才だった」


ぽつりと零す。


「戦いにおいては、誰よりもな」


その言葉に、確かな重みがあった。


「リナと……一緒にいた頃から、ずっとだ」


ミリアの目が、わずかに揺れる。


「……知っていたのですね」


「ああ」


ラシードは小さく笑った。


「気づかないわけがない」


遠い記憶を見るように、目を細める。


「お互いを守るような戦い方がな……」


それだけで、十分だった。


「燕武はな、ただの体術じゃない」


一歩、前に出る。


「相手の力を“受ける”んじゃない。“流す”んだ」


腕を軽く振る。

空気が、わずかに揺れる。


「無駄な力は使わない。無駄な殺しもしない」


その言葉は、ミリアの胸に自然と落ちた。


「……はい」


彼女の戦い方そのものだった。

ラシードはミリアを見つめる。


「だが――」


少しだけ、目が鋭くなる。


「それを本当に理解しているかは、別だ」


空気が変わる。


「……確かめさせろ」


ルドラが驚く。


「親父……?」


ラシードは構える。

武器はない。

ただ、立つだけ。

だがその姿には、隙がなかった。


「来い」


ミリアは一歩、踏み出す。

剣を構える。


(……強い)


対峙しただけで分かる。

だが――

恐れはない。


「行きます」


踏み込む。

最初に動いたのはミリアだった。

速い。

だがラシードは、動かない。

――いや。

最小限で、流す。

刃が触れる直前、わずかに身体をずらす。

力を逸らす。


「……っ!」


ミリアはすぐに理解する。


(これが……)


間合いを詰める。

連撃。

だが、当たらない。

いや、“当たっているのに効かない”。

全てが流されている。


「……いい」


ラシードが呟く。

次の瞬間――踏み込んだ。

速い。

拳が迫る。

ミリアは咄嗟に躱す。

だが、次が来る。

回転、足払い。


「くっ……!」


跳んで回避。

着地と同時に反撃。

剣が閃く。

ラシードは、それすら流す。


「その動き……」


ラシードの目が細まる。


「アルトの型だな」


ミリアは止まらない。

さらに踏み込む。

流れを読む。

相手の力を利用する。

――燕武。

同じ技だが、違う。

ラシードは静かに笑う。


「いい……実戦で磨いたな」


ミリアの剣が、ついに頬をかすめる。

血が、一筋流れた。

ルドラが息を呑む。


「……当てた……!?」


ラシードは指で血を拭う。

そして――

笑った。


「上出来だ」


次の瞬間。

ミリアの懐に入り込む。


(速い――!)


ミリアは反応する。

ラシードの指先が、ミリアの喉元に触れる。

そしてミリアの剣はラシードの首元で止まる。

互いに動かない。

あと一瞬で、どちらも決め手になる距離。

静寂。

風が、二人の間を抜ける。

やがて――

ラシードが腕を下ろした。


「……ここまでだ」


ミリアも剣を収める。

互角。

その場にいた全員が、それを理解していた。


「……すげぇ」


ルドラが呟く。

ミリアを見る。


「……お前」


少しだけ、悔しそうに笑う。


「親父とやり合えるのかよ」


その言葉に、敵意はなかった。

ただ、認めていた。

ラシードは静かに頷く。


「……確かに受け継いでいる」


ミリアを見る。


「リナと、アルトの技をな」


そして、ゆっくりと口を開く。


「天空神殿に行くんだったな」


「はい」


ミリアは頷く。


「行き方を教えてください」


ラシードは少しだけ考え――

言った。


「教えてやる」


だが、その声は重かった。


「あそこはな……行けば帰れない場所だ」


空気が変わる。


「高度が上がるほど、磁場が乱れる」


「……磁場が?」


リリシアが不安そうに呟く。


「コンパスは北を指さないし、地図もない」


ラシードは続ける。


「そして、辿り着いたとしても――選ばれなければ、入れない」


「選ばれる……?」


ミリアが問う。


「資格だ」


ラシードの目が、鋭くなる。


「力だけじゃない。“何か”を問われる」


沈黙。

その言葉の意味を、誰もが考える。

やがてラシードは、方向を指した。


「北へ行け」


「北……」


「“風の丘”がある」


その名に、風が応えるように吹いた。


「そこを越えろ」


ラシードは言う。

ミリアは静かに頷いた。


「……分かりました」


別れ際。

ラシードがふと呟く。


「アルトとリナの娘、か……」


ミリアの背を見ながら。


「……なら」


小さく笑う。


「行けるかもしれんな」


ミリアたちは歩き出す。

砂の街を後にし、北へ。

新たな試練へと向かって。

その背に――風が、確かに吹いていた。

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