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Episode.64 龍の渓谷

桜霞の国を出発して、数週間。

東方の空をかすめる雲の流れは早く、風には草と土の匂いが混じっていた。

広大な平原を抜け、やがて目の前には黒々とした山脈がそびえ立つ。

それはまるで大地を割って生えた龍の背骨のようだった。


――龍の渓谷"ヴォルガフォート"。

龍の血が流れたと伝えられる地であり、そこに“龍姫”が眠るという。


◆◆◆


夜。

彼らは山脈の麓にある岩場の陰で焚き火を囲んでいた。

火花が弾けるたび、オレンジの光がアルトたちの顔を照らす。

リナが小さく伸びをして、火を見つめながら言う。


「こうして旅してると、王都を出た頃が遠い昔に感じるね」


アルトは頷きながら、火にくべた枝を整える。


「……あの時は、何もわかってなかった。

 ただがむしゃらに剣を振るってただけだ……」


その言葉に、クロードが笑う。


「それでも今はこうしてここまで来た。

 立派な冒険者だよ、お前たちは」


少し間を置いて、クロードが焚き火越しにアルトを見た。


「そういえば、王都で別れてからどうしてた?」


アルトは静かに語り始める。

戦士の国でルーカスと再会し、武闘大会で戦ったこと。

そこでツバキと出会ったこと。

魔族と遭遇し、“刻印の魔物”が魔神復活のために

各地に放たれていることを知ったこと――。

クロードは黙って聞いていたが、やがて低く呟いた。


「……魔神の復活、か。嫌な話だ……」


焚き火の光が彼の瞳に赤く映る。


「アーティファクトが完成すれば、

 刻印の魔物を封じることはできるだろう。

 だが――それだけじゃ終わらん」


アルトが顔を上げる。


「どういう意味だ?」


クロードは火に枝を投げ入れながら、淡々と続けた。


「結局は“魔族”そのものを倒さなきゃならない。

 奴らがいる限り、刻印の魔物はまた生まれる。

 根を絶たなきゃ、意味がないんだ」


「あんな強い奴らを……」


重い沈黙が流れた。

焚き火がパチ、と音を立ててはぜる。

リナが口を開いた。


「ルーカスがいれば、きっと力になってくれるのにね……」


クロードは小さく笑って頷いた。


「確かに。あいつの剣は頼もしい。

 だが――今はどこにいるのか、わからない。

 風の噂も掴めなかった」


「そう、なんだ……」


そしてクロードは思い出したように話を切り出した。


「そういえば、お前たちは魔装を使えるのか?

 使えなければ魔族に有効打は入らない」


「魔装ならみんな使える。

 俺は光、リナとツバキは風、セシリアは水だな」


クロードは目を見開いた。


「なんだと!?アルト、お前……勇者の家系だったのか……」


「みたいだな……。あんまり実感はないけど……」


クロードはニヤリと笑い、続けた。


「全員魔装を使えて、光属性持ちか……。

 希望が見えてきたな」


アルトは拳を握り、炎を見つめた。


「まずは“龍姫の血”を手に入れよう」


クロードが頷く。


「それがアーティファクト完成の鍵だ。

 そして、魔族との決戦への第一歩でもある」


焚き火が少しずつ小さくなり、夜の静寂が戻ってくる。

山脈の向こうから、低く地鳴りのような風が吹いた。

それはまるで、遥か彼方で“龍”が息をしているかのような音だった。


◆◆◆


そして翌朝――。

さらに五日間の旅路を経て、ついに彼らの前に“龍の渓谷”が姿を現した。

断崖絶壁が連なり、谷底では濃い霧が渦巻いている。

ところどころに巨大な骨のようなものが突き出し、

まるで古代の龍が今も眠っているかのようだ。

ツバキが目を細める。


「……これが、ヴォルガフォート。龍の伝説が生まれた場所」


セシリアが胸に手を当て、息をのむ。


「空気が……違うわ。魔力が満ちている」


アルトは渓谷を見上げ、決意の表情で呟いた。


「行こう。ここに、“龍姫の血”がある」


風が吹き抜け、彼らのマントをはためかせた。

その風はまるで、龍の導きのように彼らを渓谷の奥へと誘っていた。


天地を裂くような断崖が幾重にも連なり、

吹き荒れる風には龍気と呼ばれる濃密な魔力が混じっている。

その空気を吸うだけで胸が熱くなり、肌が震えた。

まるで世界そのものが呼吸しているかのようだった。


「龍の渓谷か……」


アルトは呟き、吹き上がる風を受け止める。


「魔力が濃い……普通の人間なら、長くいれば命を削られるわね」


セシリアが眉を寄せて警戒する。


「ふふっ、でもなんだか力が湧いてくるね」


リナが笑みを浮かべると、クロードが隣で肩をすくめた。


「無理すんなよ。

 ここの魔気は力にもなるが、呑まれりゃ終わりだ」


ツバキは一歩前へ出て、周囲に目を凝らした。


「……気配がする。誰かが、ずっと私たちを見てる」


「まさか、魔族が?」


「いや、これは……魔族の威圧とは違う……守る者の気配だ」


その言葉に、アルトの心が静かに燃え上がった。

――龍姫の血。

その試練が、今始まろうとしている。


渓谷を進むにつれ、地形は次第に険しくなった。

断崖を飛び越え、崩れた岩を避けながら進む一行。

中腹では、岩肌から湧き出す蒸気が霧のように辺りを包み、

熱気と冷気が入り混じる不思議な空間を形作っていた。

クロードが前を見据え、アルトに目配せした。


「行くぞ、アルト。頂上はもうすぐだ」


「ああ!」


彼らは幾多の魔物を退け、落石をかわしながら進んだ。

やがて、一行は渓谷の最奥――龍骨の祭壇へとたどり着いた。


そこは、神殿のような空間だった。

巨大な龍の骨が天井を覆い、中央には蒼く光る祭壇。

風が止み、静寂が満ちる。


「……待っていた」


低く、重い声が響いた。

その声の主が、ゆっくりと光の中から姿を現す。

銀青の鎧を纏い、背には折れた翼、瞳は冷たい蒼炎。

人の形をしていながら、確かに“龍”の気配を纏っている。


「私はヴォルガフォートの守護者、龍騎士ディアス。

 龍姫の血を求めし者よ、その資格を見せてみよ」


「やっぱり……試練か」


アルトが一歩前に出る。


「なら、乗り越えてみせる!」


次の瞬間、地面が砕け、轟音と共にディアスが飛び出した。

その一撃は風圧だけで岩を粉砕する。

クロードが剣を抜き、衝撃を受け止めた。


「おいおい、いきなりフルパワーかよッ!」


「手加減など、試練に不要だ」


ディアスの声と共に、青白い龍気が噴き上がる。

アルトは即座に呼吸を整えた。

――“龍牙の呼吸”。

血の巡りを極限まで高め、瞬発力と防御を兼ね備える体技。

ラシードの燕武とソウガの龍牙。

ふたつの流派が、今ここで融合する。


「はああああッ!」


アルトの蹴りが閃光のように走り、ディアスの胴をとらえた。

しかし、龍鱗の鎧がそれを弾き返す。


「悪くはない。だが――まだ浅い!」


ディアスの反撃が空を裂き、アルトは後方へ跳ぶ。

その隙にツバキが滑り込み、龍牙の連撃を叩き込む。

セシリアの水の刃が援護し、

リナの風を纏った斬撃がアルトとツバキの僅かな隙を埋める。

クロードの剣が炎を纏い、ディアスの防御を押し返した。

それでも、龍騎士の力は圧倒的だった。

彼の一撃は風を裂き、地を抉る。

まるで生きた竜巻のように、戦場そのものを支配していた。


「くそっ、どこまで防御が硬いんだ!」


「アルト、合わせろ!」


ツバキが叫ぶ。

アルトは頷き、深く息を吸い込んだ。

魔装×龍牙の強技。


「光武一閃ッ――!」


「風牙一閃ッ――!」


二人の技が重なり、光と風の閃光が走った。

融合した衝撃波がディアスの鎧を砕き、蒼炎が弾け飛ぶ。

静寂。

そして、ゆっくりと龍騎士が膝をついた。


「……見事だ。龍姫の血を継ぐ資格、確かに見せた」


アルトたちは肩で息をしながらも、

確かな手応えを感じていた。

その瞬間、祭壇の光が強くなり――蒼い龍の気が天へ昇っていく。

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