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Episode.63 翠玉の翡翠

月が天頂を過ぎた深夜。

東国・シエンの宿屋の一室。

アルトは浅い眠りの中で、ふと気配を感じて目を開けた。

――誰かがいる。

月明かりの中、黒装束の影が静かに立っていた。

顔を布で覆い、ただ無言でアルトを見つめている。


「……ツバキ?」


アルトが声をかけると、影は小さく首を振った。

そして手を動かし始める。

まるで何かを伝えようとしているかのように――。


「なんだ? 踊りの練習か?」


混乱するアルトの声に、襖が開いた。


「アルト、どうした?」


入ってきたのは――ツバキ。


「……え?」


アルトは硬直した。目の前には、ツバキが二人。


「なっ……お、お前、ふ、二人いる!?」


ツバキは呆れ顔でため息をついた。


「何を言っている。

 ……こいつは私の妹、キキョウだ」


リナとセシリアも慌てて部屋に飛び込んでくる。


「えっ!? ツバキが二人!?」


「夢じゃないわよね!?」


キキョウは無言でぺこりと頭を下げる。

声を発さず、表情と仕草で感情を伝える少女だった。

アルトは苦笑しながら頭をかいた。


「なるほど……でも、さっき何か必死に伝えようとしてたぞ?」


キキョウが再び素早く身振りを始める。

ツバキの表情が引き締まる。


「……やっぱりそうだったか」


ツバキは仲間たちに向き直った。


「神殿の遺物を盗んだのは――厄介な忍びの盗賊団だ」


リナが息をのむ。


「忍びの……盗賊団?」


「そう。毒と幻術を操る闇の集団。

 構成員は十数名だが曲者揃いだ。

 今は“翡翠の神殿”の遺物をどこかへ運ぼうとしてるらしい

 取り返すなら早いほうがいい」


夜が更ける頃、作戦は決まった。

――今夜、アジトに潜入する。


◆◆◆


そして深夜。

ツバキとキキョウの案内で、アルトたちは森の奥深くへと進んだ。

木々の隙間から見えてきたのは、古びた寺院跡。

しかし――。


「……おかしいな」


アルトが辺りを見回す。

壁は崩れ、門は斬り裂かれたように破壊されていた。

地面には焦げ跡、刃痕、そして何かが這ったような深い爪の跡。


「戦闘の跡……だな」


セシリアが警戒して杖を構える。

ツバキは刀に手をかけながら低く呟いた。


「もう誰かが、ここを……」


その時だった。

瓦礫の奥から足音が聞こえた。

静かに、しかし確かな重みを持って。

アルトたちが構えると、月光の下に一人の男が姿を現した。

長い黒髪の男。黒い外套を羽織り、背には一本の剣。

その表情は落ち着き払っていて、どこか懐かしさを覚える。

男は片手を挙げ、柔らかく笑った。


「お前たち……元気だったか?」


アルトは息を呑んだ。


「――クロード!?」


月光に照らされたその顔は間違いない。

王都で別れた仲間――クロードだ。

崩れたアジトの前。

砂塵の中で再会を果たしたアルトたちとクロードは、

互いにしばし言葉を失っていた。

最初に口を開いたのはアルトだった。


「……クロード。なんで、こんなところに?」


クロードはゆっくりと肩をすくめ、片手に提げていた小さな袋を持ち上げる。


「刻印の魔物を追っていたんだ。

 奴らを追っていったら、この桜霞(おうか)の国まで来ていた」


「刻印の魔物を……?」


リナが小さく呟くと、クロードは頷いた。


「そうだ。お前たちが集めている“アーティファクト”の素材の一つ――翡翠。

 それがこの国にあると聞いてな。

 お前たちの負担を少しでも減らそうと思ったんだが……」


クロードは目を細め、視線を瓦礫の奥へ向けた。


「先に盗賊の連中に盗まれていた。だから――」


淡々とした声のまま、軽く笑って続ける。


「――アジトに殴り込んで取り返してきたところさ」


アルトは目を見開いた。


「一人で……?」


「信じられん……。奴らを一人で蹴散らすなんて……」


ツバキは目の前で起きている出来事に驚愕していた。

クロードは軽く頷き、手にしていた袋をアルトの方へ投げ渡す。

中には、淡く光を放つ翡翠の宝玉。

まるで生命が宿っているかのように脈動している。


「これが、“翡翠”だ」


アルトは両手でそれを受け止め、息を呑む。


「……本当に、ありがとう」


「元々は俺の依頼を手伝ってもらってる立場だからな……。

 これくらいはやらないと、先輩としてかっこ悪いだろ?」


リナが目を輝かせて言った。


「これで、アーティファクトもあと一つだね!」


セシリアが静かに頷く。


「ええ。残るは“龍姫の血”――だったわね」


その言葉に、アルトは顔を上げた。


「行き先は決まりだな。龍の渓谷ヴォルガフォート……」


クロードは口元に微笑を浮かべた。


「相変わらず動きが早いな、アルト。ここから先は俺も同行しよう」


リナがぱっと笑顔を見せる。


「ほんと!? クロードが一緒なら百人力だね!」


アルトも自然と笑みを浮かべた。


「心強いよ、クロード」


◆◆◆


翌朝――。

薄明の光が国境の山脈を照らし始めるころ。

アルト、リナ、セシリア、クロードの四人は

旅支度を整え、桜霞の国を後にしようとしていた。


「じゃあ、行くか」


アルトが背負い袋を締め直したその時、背後から元気な声が響く。


「待てーっ!」


砂煙を上げて駆けてくる影。

ツバキが息を切らしながら、手を振っていた。


「ツバキ?」


彼女はアルトの前まで駆け寄ると、息を整えて笑った。


「師匠に言われた。 “まだ修行が足りん。武者修行と思って、

 アルトたちを手伝ってこい”と」


アルトは思わず笑ってしまう。


「ソウガさんらしいな……」


リナが嬉しそうに言う。


「また一緒に旅できるんだね、ツバキ!」


ツバキは腰の刀を軽く叩き、にやりと笑う。


「そうだな。放っておいたらまた無茶しそうだし」


「お前がいうなよ……」


アルトはため息まじりに突っ込んだ。

クロードが肩をすくめた。


「人数が増えるのは悪くない。頼りにしてるぞ、ツバキ」


朝日が昇り、桜を照らす。

五人の影が長く伸び、東の空に溶けていく。

――アルト、リナ、セシリア、クロード、ツバキ。

五人の新たな旅が、いま再び始まる。

目的地は龍の渓谷ヴォルガフォート――。

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