Episode.42 葬送の海
森を抜けた先の小さな村で、アルトの亡骸は荼毘に付された。
簡素な火葬台。積まれた薪。
夜の空気は静まり返り、誰も言葉を発しなかった。
火が灯る。
乾いた木の爆ぜる音が、やけに大きく響く。
炎はゆっくりとアルトの身体を包み込んでいく。
ミリアは一歩も動かない。
その目に映るのは、かつて世界を救った英雄ではない。
修行で木剣を握らせてくれた父。
夜更けまで帰らず、朝には優しく頭を撫でてくれた父。
「強くなれ、ミリア」
その声が、耳の奥で繰り返される。
炎は高く上がる。
熱気が頬を打つ。
だがミリアは目を逸らさなかった。
アレクは静かに一歩前へ出た。
炎に向かって、深く頭を垂れる。
「あなたの背中は、最後まで遠かった」
その一言だけを残し、再び沈黙に戻る。
やがて炎は小さくなり、灰と白い骨だけが残った。
夜が明けた。
冷えた空気の中、骨を砕く作業が始まる。
木槌が渡される。
ミリアの手は震えていた。
目の前にあるのは、父の骨。
昨日まで確かに生きていた身体。
世界を救い、英雄となった男。
それが今、白い欠片になっている。
「……私がやる」
誰にも渡さない。
震える手で木槌を握る。
カン、と乾いた音が鳴る。
骨が、割れる。
小さく砕ける。
その音が、胸を抉る。
もう二度と、その手で剣を握ることはない。
もう二度と、あの背中を見ることはできない。
ミリアは唇を噛み、黙々と骨を砕いた。
涙は流れない。
ただ、静かに粉になっていく。
アレクが小さな布袋を差し出す。
「全ては持っていけない。
少しだけ、持っていくといい」
ミリアは頷き、砕いた骨の一部を袋に収める。
「母さんのお墓の隣に……埋めます」
声は穏やかだった。
残りの骨は、粉にして海へ還すことにした。
◆◆◆
夕暮れ。
空は群青へと変わり、星が滲み始める。
村外れの砂浜。
白く滑らかな砂。
静かな波音。
桟橋が沖へと伸びている。
ミリアは一人でそこへ歩いていった。
後ろでライガが一歩踏み出す。
だがゼインが肩に手を置く。
「今は……一人にしてやれ」
リリシアは涙を拭き、頷いた。
桟橋の先。
海は夜を映し、静かに揺れている。
ミリアは袋を開き、両手に灰をすくった。
月光に照らされ、白い粉がきらめく。
風が吹く。
ミリアはそっと灰を放った。
粉は風に乗り、夜の海へ舞い落ちる。
波が静かに受け止める。
「……父さん」
声は小さい。
夜に溶ける。
幼い頃の記憶が蘇る。
母リナが優しく笑い、焼きたてのパンを差し出す。
父が背後から剣の握りを直し、「力を抜け」と囁く。
三人で見上げた夕焼け。
他愛ない会話。
平凡な、幸せ。
それが宝だった。
「母さんも……父さんも……」
もう、いない。
ミリアはその場に座り込み、膝を抱えた。
涙が静かに溢れる。
声は上げない。
ただ、泣いた。
長い時間、波音だけが寄り添う。
やがて夜は深まり、星が空を満たす。
ミリアは顔を上げる。
涙はまだ残っている。
だがその奥に、揺るがぬ光が宿っていた。
「このままじゃ……終われない」
父と母を奪った存在。
ザンガ。
あの黒き霧。
守れなかった未来。
「もう誰も、死んでほしくない……」
それは復讐ではない。
誓いだ。
「父さんよりも……強くなる」
波が静かに打ち寄せる。
夜は更ける。
◆◆◆
翌朝。
東の空が朱に染まる。
海は金色に輝き始める。
ミリアは桟橋の先に立っていた。
涙は乾いている。
振り返ると、四人が静かに見守っている。
アレクが前に出る。
何も言わない。
ただ、待っている。
ミリアは歩み寄った。
その瞳は、もう迷っていない。
「アレク団長」
アレクは柔らかく笑う。
「決まったか?」
ミリアは深く息を吸う。
「私を……鍛えてください」
真っ直ぐな言葉。
「父さんを討ったザンガを、私の手で倒します……必ず!!」
アレクの表情がわずかに引き締まる。
「あれを脅威と感じない者はいない」
アルトを超えた存在。
それを倒す覚悟。
アレクは静かに頷く。
「分かった。みっちりやるぞ。泣き言は聞かない」
ミリアは小さく笑う。
「望むところです」
朝日が昇る。
海が輝く。
ミリアは最後にもう一度、海を振り返った。
袋に残した骨に触れる。
「父さん、母さん」
風が吹く。
「行ってきます」
波音を背に。
ミリアは一歩を踏み出す。
それは少女ではなく、英雄の歩みだった。




