Episode.41 届かぬ声
「父さん……!」
ミリアは膝をつき、血に濡れた男の身体を抱き起こした。
その顔。
間違いない。
父アルトだ。
強く、揺るぎなく、いつも大きな背中で前を歩いていた父。
その顔が、今は土と血にまみれている。
「父さん……!」
かすれた声が喉を裂く。
その瞬間。
「……う……ぅ……」
微かな呻き。
ミリアの心臓が跳ねた。
「……息……ある……!」
アレクがすぐに膝をつく。
だが表情は重い。
アルトはゆっくりと唇を動かす。
「……誰か……そこに……いるのか……?」
弱々しい声。
それでも、生きている。
ミリアは涙をこらえ、顔を近づける。
「私よ、父さん! ミリアよ! ここにいる!」
だが。
反応が、ない。
アルトの瞳は、焦点を結ばない。
何も見ていない。
視線は虚空をさまよう。
そして。
震える手が、空を探るように動いた。
「……誰だ……? すまない……見えない……」
ミリアの胸が締め付けられる。
(……視覚が……)
アルトはさらに続ける。
「……声も……遠い……」
ミリアは理解してしまう。
瘴気。
長時間の戦闘。
重度の魔障病。
視覚と聴覚を、奪われている。
「……父さん……!」
冷たい。
震えている。
「私はここにいるよ……父さん……」
だが。
届かない。
アルトは、ミリアの存在を知らない。
ただ、微かな気配だけを頼りに。
「……頼みが……ある……」
その声は、崩れそうだった。
「誰だか……分からないが……
俺の……最後の言葉を……
家族に……届けてほしい……」
ミリアの呼吸が止まる。
「……父さん……」
アルトは必死に言葉を紡ぐ。
「……西の外れに……
レーヴァという……村がある……」
ライガが拳を握る。
リリシアは口元を押さえ、涙を堪える。
ゼインは煙草を握り潰した。
アレクは静かに目を閉じる。
アルトは続ける。
「そこに……俺の妻……リナと……
娘の……ミリアが……いる……」
ミリアの涙が、止まらない。
「必ず……戻ると……約束した……」
声が震える。
「約束……守れなかった……」
指先が、ミリアの手を探す。
その瞬間。
触れた。
ミリアの手を、確かに掴んだ。
アルトの呼吸が一瞬だけ安定する。
触覚は、まだ微かに残っている。
ミリアはその手を両手で包み込む。
「ここにいるよ……私は……ここに……」
声は届かない。
だが。
アルトは、強く握り返した。
その握力に、かすかな安堵が滲む。
「……ありがとう……」
まるで。
願いを受け取ってくれたと、信じたように。
アルトは、ゆっくりと語り始める。
「……リナ……」
その名を口にした時。
かすかな笑みが浮かぶ。
「強い……女だ……俺には……もったいない……」
ミリアの涙が、父の頬に落ちる。
「……ミリア……」
その名を呼ぶ声は、どこまでも優しかった。
「……あの子は……泣き虫で……
でも……俺より……ずっと……強い……」
ミリアは声を殺して泣く。
「父親らしいことは……
あまり……出来なかったな……」
息が、荒くなる。
「だが……二人と過ごした日々は……
俺の……宝だ……」
手の力が、わずかに弱まる。
アレクが顔を歪める。
アルトは最後の力を振り絞る。
「……リナ……ミリア……」
深く、息を吸う。
「……愛している……」
その言葉が、夜に溶けた。
次の瞬間。
ミリアの手を握っていた力が、すっと抜ける。
手が、地面に落ちる。
静寂。
風の音だけが響く。
「……父さん?」
ミリアの声は、壊れている。
揺さぶる。
「父さん……?」
応えない。
胸は、もう動かない。
「父さん……?」
何度呼んでも。
返事はない。
ミリアは、アルトの身体を抱きしめる。
「……私は……ここにいるんだよ……?」
涙が止まらない。
「ちゃんと……私の目を見てよ……」
喉が裂ける。
「声を……聞いてよ……!」
叫びが、夜空にこだまする。
「応えてよ!!」
森が震える。
だが。
返事はない。
アルトは、もう何も感じない。
ミリアはその身体を抱きしめたまま、崩れ落ちる。
「……父さん……」
その一言が、何度も零れる。
ライガは歯を食いしばり、背を向ける。
リリシアは嗚咽を漏らしながら座り込む。
ゼインは腕を組み俯いている。
アレクは静かに剣を地に突き立て、頭を垂れた。
夜空に、星が瞬く。
アルトは、娘の腕の中で息を引き取った。
ミリアの慟哭が、闇を裂く。
「……父さん……」
その声は、もう届かない。




