Episode.4 黒霧の記憶
夜のバルキア。
闘技場の熱気が冷め、街は穏やかな灯りに包まれていた。
戦士たちが通う老舗の酒場〈グラン・ホルン〉では、
木製の扉を開けるたびに酒の香りと笑い声があふれ出す。
ミリアとライガは、隅のテーブルに腰を下ろした。
二人の前には、泡立つ琥珀色のエールが置かれている。
「さて――」
ライガはグラスを傾け、喉を鳴らした。
「約束通り、お前の父親の話をしてやるよ」
ミリアは静かにうなずく。
ライガは天井を仰ぎ、懐かしむように目を細めた。
「……あれは二年前のことだ。
アルトが“ザンガ討伐”の旅で東国に来た時の話だ」
◆◆◆
その頃、東国では黒霧の噂が絶えなかった。
黒き瘴気が現れると数日後にザンガが現れて街が滅ぼす――そんな伝承が広がり、
人々は夜を恐れ、灯りを絶やさなかった。
「俺の故郷も、その黒霧の脅威に怯えてた。
そんな時だ――『かつて魔神を討った英雄アルトが来た』って噂を聞いたのは」
ライガは笑った。
「英雄だなんて言われちゃ、血が騒ぐだろ?
俺はすぐにその男を探し出して、勝負を挑んだ」
「そして……負けたのね」
ミリアの口元に小さな笑みが浮かぶ。
「ああ、完敗だ」
ライガは即答した。
「一撃だ。俺の拳を軽く受け流し、気づけば地面に転がってた。
“悪くない拳だ”って言われた時、妙に嬉しかったよ」
アルトとライガはその後、
酒を酌み交わし、夜通し語り合った。
英雄の旅路、魔神を討った戦い、仲間との思い出――
そして、娘の話。
「アルトはな、娘の話をするときだけは顔が柔らかくなった。
『あの子は俺に似ず、強くて優しい』って、誇らしそうに笑ってた。
お前のことだよ、ミリア」
ミリアの胸に温かな痛みが広がる。
まるで遠い昔、父がそっと頭を撫でてくれた時の感覚が蘇ったようだった。
「……父さん」
ライガは真剣な表情に戻る。
「それからザンガの話になった。
奴は神出鬼没で、どの国に現れるか予測できねぇ。
だがアルトは言ってた。『出現の前には必ず黒い霧が立ち込める』ってな」
黒霧――その言葉にミリアは息を呑む。
「ザンガは黒霧の中から現れる。
だから、黒霧の情報を集めれば奴の出現を予測できる。
アルトは、黒霧が現れた東国の街を目指していた。
『今こそザンガを討つ時だ』って言い残してな」
「あなたも……一緒に行ったの?」
「行くつもりだった。だが、アルトは首を横に振った」
ライガの声が低く沈む。
「『お前の出番はまだ先だ。今は俺に任せろ』
――そう言って去っていった……それが、あの人を見た最後だ」
◆◆◆
ライガの語りが終わると、酒場の喧噪が妙に遠く感じた。
ミリアはゆっくりとグラスを握りしめた。
「そう……そんなことがあったんだ」
父の姿が、少しずつ心の中に形を取り戻していく。
穏やかな笑顔、そして、世界を救うために戦った背中。
「それにしてもアルトは反則級の強さだったな。
ミリアが闘技場で見せた”龍牙”に加えて、まだ色々隠し持ってるみたいだったが…。
もしかしてミリアも……?」
「まぁ…ね、一通り教わったよ。
”龍牙”と”燕武”、そして”魔装”だね」
「”魔装”ってのは魔力を身体や武器に纏う技術だな。
俺は出来ねぇけど……。
”燕武”ってのはなんだ?」
「舞うように戦う砂漠の民族の武術だよ。
父さんも母さんも冒険の途中で学んだみたい」
ライガは感心しながら聴いていた。
「世界は広いな!
まだまだ俺の知らない強い奴がたくさんいそうだ!腕がなるぜ!」
ミリアは若干呆れながら嬉しそうなライガを見て小さく笑った。
そして先ほどのライガの話で気になったことを話し始める。
「ねぇライガ、さっきの黒い霧の話だけど……。
つまり、黒霧の情報を集めれば……父さんにも会える、ということ?」
ライガは力強く頷いた。
「その通りだ。アルトが目指した場所を追えば、何か掴めるはずだ」
彼は勢いよく椅子を立ち上がり、拳を突き上げた。
「よし、そうと決まれば黒霧の情報を集めようぜ!」
「えっ? ……どうしてあなたまで?」
ミリアが首をかしげる。
ライガは白い歯を見せて笑った。
「決まってんだろ。ここで会ったのも縁だ。
アルトの娘の旅に付き合うのも悪くねぇ。
それに――俺はあの人に言われたんだ。
『お前の出番はまだ先だ』ってな。
なら、今がその時だろ?」
その言葉に、ミリアの胸の奥でルーカスの声がよみがえった。
『旅には仲間がいた方がいい。苦しみは半分に、喜びは倍になる』
ミリアは小さく笑い、頷いた。
「……分かった。じゃあ、一緒に行こう。
黒霧の行方を追って、父さんを見つける」
ライガは豪快に笑い、手を差し出す。
「よっしゃ! これからよろしくな、相棒!」
ミリアはその手をしっかりと握り返した。
彼らの前には、まだ見ぬ真実と、黒き災厄が待ち構えている。
だがその夜、ミリアの瞳には確かに“希望”の光が宿っていた。




