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Episode.39 闇を裂く光

「……一人目……」


冷たい囁きが、ミリアの耳朶を撫でた。

首筋に、鋭い冷気。

刃先が触れている。

ほんのわずかに皮膚が裂け、

細い血の筋が胸元へと流れ落ちた。

闇は深い。

視界は奪われ、呼吸すら重い。

アヤメの《魔纏解放(まてんかいほう)――暗影絶夜(あんえいぜつや)》。

次第に闇が深まり、目の前も見えぬ絶対暗黒。

ミリアは歯を食いしばる。


(まだ……終われない……)


父の背中が脳裏をよぎる。

ザンガ。

黒い霧。

失われた命。

守れなかった人々。

その全てが、喉元に突きつけられた刃よりも重かった。

アヤメの声が、すぐ背後で囁く。


「……静かに、逝けばいい……」


その瞬間。


ガキィンッ――!!


「……っ!?」


アヤメのクナイが弾かれると共に、―――空が裂けた。

轟音ではない。

静かに、しかし絶対的に。

夜そのものが、ひび割れる。

次の瞬間、天から落ちたのは――光だった。

純白。

まるで太陽を圧縮したような輝きが、闇を焼き払う。


「な……?」


アヤメの声が、初めて揺れた。

暗影絶夜が、霧のように消えていく。

闇が、押し流される。

世界が色を取り戻す。

ミリアは思わず目を細めた。

そこに立っていたのは――

王都の鎧を纏った一人の騎士。

長身。

堂々とした立ち姿。

美しい金髪が光を反射し、黄金の瞳が静かに周囲を見渡す。

その背後には、整然と並ぶ王都騎士団。

聖紋の旗がはためく。

男はゆっくりと前に出た。


「勇者の末裔に刃を向けるとは……随分と物騒だな」


その声は穏やかだった。

だが、圧が違う。

ミリアは本能で理解した。


(……同じ、光……でも……桁が違う)


アヤメが屋根の上に跳ぶ。

その目がわずかに細められた。


「……光属性……しかも、この規模……」


騎士は片手を掲げる。

ただ一言。


「魔纏解放(まてんかいほう)――光輝燦然(こうきさんぜん)」


辺り一帯を包み込む光の奔流。

空気が震える。

残っていた闇の残滓が完全に蒸発する。

アヤメの影が足元から消える。

黒狼の牙の幹部――《絶影》アヤメ。

その顔に、初めて明確な警戒が浮かんだ。


「……人類最強は……聞いてない……」


屋根の上で一瞬だけ視線を交わし、彼女は影のように消えた。

追撃はない。騎士は剣を収めた。


「逃がすさ。今はそれでいい……」


そして振り返る。

柔らかな笑み。


「怪我は?」


ミリアは息を整えながら頷く。


「……助かりました」


「いや……間に合ってよかった」


その男は、鎧の胸元に刻まれた紋章を指で叩く。


「王都騎士団団長、アレク・ヴァルキアだ」


周囲の騎士たちが一斉に敬礼する。

アレクは屈託なく笑った。


「君がミリアだろう?」


その問いに、ミリアは目を見開く。


「……なぜ私を」


後方から、ゆっくりと歩み寄る人物がいた。

純白の法衣。

穏やかな微笑。

年齢不詳の落ち着いた顔立ち。


「初めまして...ですね、アルトの娘よ」


教皇だった。

柔らかな声。

慈愛に満ちた眼差し。

ミリアの胸が高鳴る。


「あなたは……」


「王都教皇、エリウス・マラキアスです。

 あなたの父とは女王セシリア様を通して面識があります」


ライガが警戒しつつ前に出る。


「なんで俺たちを?」


アレクが代わりに答える。


「女王セシリア陛下の命だ。

 陛下は、君たちのことを案じておられる」


教皇エリウスが優しく続ける。


「黒い霧の脅威は王都にも届いています。

 あなた方だけで背負う必要はない」


アレクが一歩近づき、ミリアの肩に軽く手を置く。


「勇者の血は、孤独なものじゃない。俺も同じだ」


ミリアは目を見開く。


「……あなたも?」


アレクはにっと笑った。


「遠い分家だけどな。だから分かる。光の扱いは難しい」


その言葉は、温かかった。

威圧ではない。

包み込むような強さ。

ライガが小さく呟く。


「……とんでもねぇ化け物だな」


ゼインが煙草を咥えながら近づく。


「ったく、今回はマジでやばかったな。

 助けが来なきゃ今頃首が飛んでたぞ?」


アレクが軽く笑う。

教皇はゆっくりと手を広げた。


「近くの街に拠点があります。

 今後の展望について少し話しましょう」


ミリアは空を見上げる。

闇は完全に消えていた。

星が瞬いている。

しかし、まだ終わっていない。


「待ってください……。ここで得た情報では父が……

 アルトが近くでザンガと対峙するようです。

 私もそこに向かいます」


「何と……。情報の真偽はわかりませんが、行く価値はあるでしょう」


教皇エリウスはアレクと顔を合わせて頷いた。

父の足跡。

ザンガ。

黒狼の牙。

全てが絡み合っている。

だが今。

確かな光が目の前にあった。

アレク・ヴァルキア。

人類最強と謳われる男。

その背中は、遠くもあり、近くもある。

いつか追いつくべき頂。

教皇は静かに微笑む。


「あなたには、未来があります」


その言葉は、優しかった。

何の疑いも抱かせないほどに。

アレクが振り向く。


「とにかく移動しよう。ここは物騒すぎる……」


騎士団が隊列を組む。

その背中は頼もしく、絶対だった。

遠くの屋根の上。

アヤメが一瞬だけ振り返る。


「……面倒な流れ…寝よ…」


そして影に溶けた。

ダグダートの夜は、静かに終わる。

だが、これは始まりに過ぎない。

王都。

女王。

教皇。

そして勇者の血。

ミリアは小さく拳を握った。


「……絶対、強くなる」


アレクがそれを見て、満足そうに笑った。


「その意気だ。後で稽古をつけてやる」


未来は、まだ光に包まれている。

――だがその光の裏に潜む闇を、誰も知らない。

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