Episode.38 闇夜に忍ぶ
黒狼の牙の地下アジトを脱したミリアたちは、
夜のダグダートを駆けていた。
湿った石畳。
濁った魔導灯の紫光。
血と酒と薬の臭いが混ざった空気。
「止まるな!北門から抜けるぞ!」
ゼインが低く言う。
ライガは無言で走る。拳を握りしめたまま。
敗北の感触が、まだ骨の奥に残っている。
リリシアは息を切らしながらも、周囲を警戒していた。
「もう……追ってきてないですよねぇ……?」
「いや、見張りの交代時間は過ぎているはずだ……。
もうバレて追ってきててもおかしくねぇ!」
ゼインが注意を促す。
その言葉に全員が気を張り巡らせる。
その瞬間。
ヒュンッ――
死角から放たれた一閃。
ミリアの剣が反射で動く。
キィンッ!!
弾き飛ばされたのは――クナイ。
「っ――!」
クナイの刃はミリアの頬をかすめ、血が一筋流れる。
気配は、なかった。
一瞬前まで、何も。
屋根の上に、影が立っていた。
黒い忍装束。
無駄のない細身の体。
闇に溶けるような黒髪を束ね、
紅のスカーフが風に靡いている。
「……逃げられると、思った?」
ため息混じりの声。
「……めんどくさい」
ミリアの背筋を冷たいものが走る。
感じなかった。
ゼロだった。
殺気も、気配も、足音も。
「こいつは、やべえのが来ちまった……。
黒狼の牙の殺し屋だ。通称、"絶影"……」
ゼインが小さく呟く。
屋根の上から、見下ろす視線。
感情のない瞳。
それだけで、空気が重くなる。
「黒狼の牙、幹部ね……」
ミリアが剣を構える。
「……"アヤメ"という名がある……」
アヤメが面倒くさそうに名乗ると突如戦闘が始まる。
ゼインが魔導銃を抜く。
ズガァンッ!
魔力弾が屋根を撃ち抜く。屋根は粉々に吹き飛ぶ。
だが――
アヤメの姿はすでに消えていた。
「上だ!」
ライガが叫ぶ。
空中。
月を背に跳躍する黒影。
クナイが雨のように降る。
ミリアの剣が閃く。
カンッ、キンッ、キィンッ!!
全て弾き落とす。
その刹那。
ライガが地を蹴る。
「はぁぁっ!!」
拳がアヤメへ届く――
はずだった。
アヤメは空中で身体をひねり、拳を掌でいなす。
そして。
ドンッ!
無駄のない蹴り。
ライガは吹き飛ばされ、壁を砕いた。
「くっ……!」
アヤメの着地点。
リリシアが杖を掲げる。
「土の槍!」
地面が隆起し、無数の石針が突き出る。
だが。
アヤメはその一本の先端を指先でつまみ――
逆立ちのまま静止。
そのまま、宙返り。
着地。
音が、しない。
「……遅い...ね...」
その一瞬。
ミリアが踏み込んだ。
燕武――。踊るように怒涛の連撃を繰り出す。
最短距離。
斬撃が走る。
キィンッ!
アヤメの短剣が剣を全て受け止める。
金属の擦れる音。
数度、切り結ぶ。
アヤメの動きは最小限。
無駄がない。
一拍。
アヤメはミリアの襟元をつかみ、グイッと下に引っ張った。
ミリアの体勢が、前傾に崩れた。
次の瞬間。
ドンッ――。
背中を踏みつけられる。
地面に叩きつけられるミリア。
「……っ!」
アヤメはその反動で再び屋根へ。
静かに立つ。
「……弱くはない。
でも……足りない……戦闘経験が……」
沈黙。
四人は息を荒くする。
圧倒的。
格が違う。
「……ああ、めんどくさい……。
さっさと終わらせて、早く寝たい……」
アヤメが両手の指を胸の前で組む。
忍の手印。
空気が変わる。
「魔纏解放……」
闇が、揺れる。
「――暗影絶夜」
闇属性の魔纏解放――。
次の瞬間。
世界が、消えた。
光がない。
魔導灯も、月も、星も。
一メートル先が、見えない。
ミリアたちの周り、一定の空間が完全に闇に閉じられた。
「背中合わせ!」
ミリアが叫ぶ。
四人が円陣を組む。
呼吸だけが聞こえる。
鼓動がうるさい。
足音はない。
気配もない。
ただ。
声だけが、闇の中で響く。
「……誰から殺せば……効率……いい?」
リリシアの手が震える。
「や、やばすぎですぅ……」
ゼインが低く笑う。
「冗談じゃねぇな……」
闇が、さらに深まる。
温度が下がる。
空気が重い。
ミリアは目を閉じる。
見るな。
感じろ。
だが――
何も、感じない。
それが一番の恐怖。
次の瞬間。
耳元に吐息。
「……一人目……」
ヒュッ。
刃が、ミリアの首元に触れる――。




