Episode.37 潜入
地下へと続く通路は、思った以上に深かった。
ゼインは壁に背を預け、ゆっくりと息を整える。
足音は殺している。呼吸も浅い。
この場所で派手な真似をすれば、即座に囲まれるのは目に見えていた。
(……さすがは黒狼の牙。巣穴の作りがえげつねぇ)
通路は迷路のように枝分かれし、ところどころに魔導罠の気配がある。
解除はできるが、時間をかければそれだけ危険が増す。
ゼインは舌打ちし、最短距離を選んだ。
――その時。
前方から、異様な圧が流れてきた。
(……っ)
反射的に、物陰に身を滑り込ませる。
次の瞬間、現れたのは――ガルフだった。
地下の薄暗がりの中でも、存在感が異常だった。
足音は静かだが、近づくにつれ空気が重くなる。
獣が獲物を探して歩いているような感覚。
(マジかよ……なんなんだよあいつ...
死のイメージが容易に出来ちまう!)
ドクンッ、ドクンッ
自分の耳の奥で大きな足音が響くように、心臓の音がうるさい。
ゼインの背中に、冷たい汗が伝う。
コツ。コツ。
距離は十数メートル。
武器を抜けば間に合わない。
コツ。コツ。
逃げれば、背中を斬られる。
(詰み……いや)
ゼインは一瞬で判断した。
あえて、こちらから足音を立てる。
コツ――。
わざと、踏み出す。
ガルフの足が止まった。
鋭い視線が、こちらを射抜く。
「……誰だ」
低い声。
それだけで、喉が締め付けられる。
ゼインは物陰から、ゆっくりと姿を見せた。
「おっと、警戒しすぎだろ。新入りの下っ端だよ」
軽い口調。
だが内心では、神経を極限まで研ぎ澄ませていた。
ガルフは無言で、ゼインを見据える。
視線が、全身をなぞる。
嘘を一つでも見抜かれれば、ここで終わりだ。
「……見ない顔だな」
「そりゃそうだ。最近入ったばっかだからな」
ゼインは肩をすくめる。
「地下の見回りを命じられてさ。
こんな深いとこまで来るとは思わなかったぜ」
ガルフは、一歩近づいた。
距離が詰まる。
ドクン、ドクン
心臓の音が、やけに大きく聞こえる。
(……頼むぜ、俺の運……)
「……」
数秒。
いや、永遠にも感じる沈黙。
やがてガルフは、ゼインから視線を外した。
「持ち場に戻れ」
短い命令。
「へいへい、了解でっせ」
ゼインは軽く手を振り、その場を離れる。
背中に、視線を感じながら。
(……生きた心地がしねぇ)
「待て」
ゼインは止まる。しかし振り向けない。
全身が冷や汗で濡れる。
ドクッドクッドクッドクッ。
早鐘のように心臓が激しく鼓動する。
(バレたか……?やるしかねぇ……)
ゼインが腰に隠した魔導銃に手をかけたその時――。
「新入りなら口の聞き方に気をつけろ」
「し、失礼しました……」
そしてガルフは去っていく。
角を曲がった瞬間、ゼインは一気に息を吐いた。
(ハァ...ハァ....あの野郎……マジでやばかったぜ……。
間違いなく怪しんでたな。だが、追ってこない。
ミリアたち、とんでもねぇやつに喧嘩売っちまったもんだな……)
「……ったく、寿命縮めやがって」
小声で悪態をつき、ゼインは再び歩き出す。
やがて、目的の場所に辿り着いた。
鉄格子。
その前に立つ、二人の看守。
牢の奥には――
気配だけで分かる。ミリアたちだ。
(よし……)
ゼインは、腰の魔導銃を抜いた。
狙いを定める。
一瞬で、二発。
――パシュッ。
魔道弾が静かに放たれ、看守の眉間を正確に撃ち抜く。
倒れる音すら、ほとんど響かない。
ゼインは鉄格子の前に立ち、ニヤリと笑った。
「感謝しろよ、ガキども」
倒れている看守から鍵を奪い、
鉄格子に手をかけながら、低く言う。
「迎えに来てやったんだからな」
鉄格子が、低い金属音を立てて開いた。
「……ゼイン?」
薄暗い牢の中で、最初に声を上げたのはミリアだった。
血と埃の匂いが混じる中、見慣れた男の影が立っている。
「よう。生きてるか、リーダー」
軽い口調とは裏腹に、ゼインの目は鋭かった。
周囲を素早く確認しながら、牢を開けて全員を解放した。
「助けに来たぞ」
その言葉を聞いた瞬間――
リリシアが弾かれたように立ち上がった。
「ゼインさぁぁぁん!!」
涙目のまま、飛びつく勢いで駆け寄る。
「もうダメかと思いましたぁ~!
一生ここで飼われるかとぉ~!」
「やめろやめろ、抱きつくな。
……ったく、元気そうで何よりだ」
ゼインは苦笑しながら、軽くリリシアの頭を押し返した。
ミリアは立ち上がり、深く一礼する。
「ありがとう、ゼイン。本当に……助かった」
その声には、確かな感謝が滲んでいた。
「礼は後だ。ここは長居する場所じゃねぇ」
ゼインはそう言って、ライガに目を向ける。
ライガは壁にもたれたまま、少し俯いていた。
敗北の記憶が、まだ身体に重く残っている。
「……悪かったな」
低く、短い声。
「足引っ張っちまった」
「気にすんな」
ゼインは肩をすくめる。
「生きてりゃ取り返せる。
死んでたら、文句も言えねぇだろ?」
ライガは一瞬だけ顔を上げ、静かに頷いた。
「……恩に着る」
「よし」
ゼインは踵を返す。
「脱出経路は頭に入ってる。見張りの配置もな。
次の交代まで、あまり時間はねぇぞ」
四人は素早く隊列を組み、地下通路を走り出す。
暗く、湿った通路。
曲がり角ごとに、ゼインが手振りで合図を出す。
「次、右。罠がある、踏むな」
「……了解」
ミリアは声を抑え、仲間に伝える。
誰も無駄口は叩かない。
足音すら、必要最低限。
――だが。
地下の奥、別の通路で。
「……ん?」
見張り交代に来た黒狼の牙の構成員が、異変に気づいた。
「おい……奴らはどうした?」
倒れた看守。
開いたままの鉄格子。
「……脱獄だ!」
警鐘が鳴らされる。
地下全体に、ざわめきが走った。
すぐに、一人の構成員が駆け出す。
「お頭に報告だ!」
ガルフは、幹部らと共に地下奥の執務室にいた。
報告を聞いた瞬間、舌打ちが漏れる。
「……やはり、か」
拳を握り締める。
「……脱獄……めんどくさい……」
忍び装束の女がため息をつく。
「さっきの男……
あの場で殺しておくべきだった」
冷静な声だが、わずかな苛立ちが滲んでいた。
「……まだ仲間がいたか……」
ガルフは立ち上がる。
「逃げたのは四人。統率が取れている。
即席の脱出じゃないな」
「逃げたか……。くはは、さっさと捕まえようぜ」
ライガの兄、カイル・ヴォルフェンは
狩りを覚えたての子供のように、楽しそうに笑った。
ガルフは短く指示を出す。
「追え」
その一言で、空気が変わる。
呼ばれた幹部たちが、無言で反応する。
「逃走経路は限られている。分断して潰せ」
鋭い眼光。
「……生きて連れ戻せるなら、連れてこい。
無理なら――殺せ」
それだけで十分だった。
幹部たちはそれぞれ闇に溶けるように動き出す。
地下アジトに、再び不穏な気配が満ちていく。
ミリアたちは、まだ知らない。
すでに、追撃戦が始まっていることを。




