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Episode.36 絶対強者

ミリアが意識を取り戻したのは、冷たい石の感触だった。

背中に伝わるひんやりとした感覚に、思わず身を捩る。

薄暗い視界。天井は低く、湿った空気が肺にまとわりつく。

鼻を突くのは、鉄と血と、長く閉じられた地下特有の匂い。


「……ここは……」


喉がひりつき、声は掠れた。

身体を起こそうとした瞬間、違和感に気づく。

動く。腕も脚も問題ない。拘束具もない。

――だが、魔装が応じない。

光の気配を探るが、まるで深い水底に沈められたように、

魔力が掴めない。


「……魔力封じ……?」


視線を巡らせて、ようやく状況を理解する。

ここは地下の牢獄。

石造りの檻が幾つも並び、格子の向こうには暗闇が続いている。


「ライガ……リリシア……!」


呼びかけると、少し離れた場所で、低いうめき声が聞こえた。

ライガは壁にもたれかかるように座り込み、頭を垂れている。

目立った外傷はない。

それが逆に、完敗を物語っていた。

彼ほどの男が、抵抗すら許されずに沈められたのだ。

さらに奥。

淡く揺らぐ結界の向こうに、リリシアの姿があった。


「ミリアさん……!」


声は届くが、手は伸ばせない。

距離は近いのに、越えられない。

胸の奥が、じわりと冷えていく。

――逃げ道はない。

――戦う術もない。

その時だった。

コツ……コツ……

規則正しい足音が、通路の奥から響いてきた。

湿った石床を踏みしめる、迷いのない歩幅。

その音が近づくにつれ、周囲の空気が変わる。

牢の外にいた見張りたちが、ぴたりと動きを止めた。

誰かが、低く呟く。


「……お頭」


足音が止まる。

次の瞬間、檻の前に一人の男が立っていた。

銀髪を後ろにかき上げ、獣のような鋭い眼差し。

無駄のない体躯に、長年積み重ねた鍛錬の気配。

そこにいるだけで、格の違いが分かる。

男はミリアを見下ろし、しばし無言で観察した。

まるで獲物ではなく、武器の出来を確かめる職人のように。


「……お前が、ヴィオラを退けた剣士か」


低く、落ち着いた声。

怒りも嘲りもない。ただの事実確認。

ミリアは歯を食いしばり、視線を逸らさなかった。


「……あなたが、黒狼の牙の頭領……」


男は小さく頷く。


「ガルフ・ガルシアだ」


それだけ名乗ると、再び沈黙。

やがて、興味深そうに続けた。


「毒を受けてなお立ち上がり、ヴィオラを追い詰めた胆力。

 仲間を切り捨てず、全体を守ろうとした布陣。

 ――悪くない」


褒めているのか、品定めか。

どちらとも取れる言葉に、背筋が凍る。


「だが」


一歩、近づく。


「"黒狼の牙"に勝てると思ったか?」


空気が、重くのしかかる。


「俺とお前の間には

 努力や覚悟だけでは、どうにもならない“差” がある」


ミリアの胸が、強く締め付けられる。


「生かして連れてきて……何が目的?」


絞り出すように問う。

ガルフは即答しない。

ただ、静かに言った。


「ふたつにひとつだ……」


指を一本立てる。

「役に立つなら使う」


次に、もう一本。

「使えないなら殺す」


そして、指を下ろす。

ミリアの心臓が、大きく跳ねた。

それは慈悲ではなかった。

狩人が、獲物を逃がさないと決めた宣言だった。

ガルフは踵を返す。


「逃げ場はない。

 考える時間は、くれてやる」


去り際、振り返りもせずに言い捨てる。


「選ばれる立場であることを、忘れるな」


足音が遠ざかり、地下牢には再び重い沈黙が落ちた。

ミリアは、拳を強く握りしめる。

――負けた。

――完全に。

だが、胸の奥で、小さな火は消えていなかった。


◆◆◆


捕えられてから十数時間がたった。

地下は、相変わらず静かだった。

湿った空気と、遠くで滴る水音だけが、時間の流れを知らせている。

ミリアは牢の中で、ゆっくりと呼吸を整えていた。

魔力はほとんど感じられない。

だが、完全に奪われているわけではない――

それが逆に不気味だった。


(……殺すつもりなら、とっくに殺している)


その事実が、何よりの圧だった。

――コツ。

足音。

一歩一歩が、

空間そのものを支配しているような歩き方。

ミリアは顔を上げた。

牢の前に立ったのは、ガルフだった。

鋭く細められた獣のような眼。

ただ立っているだけで、周囲の空気が張り詰める。


「……よく眠れたか」


感情のない声。


「……。おかげさまで最悪の目覚めだよ」


ミリアは皮肉を返す。

ガルフは気にした様子もなく、鼻で笑った。


「怖いもの知らずだな。

 それが命拾いした理由の一つかもしれんな」


ガルフはミリアを見下ろしながら言う。


「お前は“使える”」


その一言に、ミリアの背筋が冷えた。


「……部下にするつもり?」


「……その言い方は好きじゃない」


ガルフは即座に否定する。

ミリアは黙ったまま、ガルフを見据えた。


「お前たちは俺の仲間を倒した。

 それも一人や二人じゃない」


「正当防衛でしょ」


「この街じゃ、そんな言葉は通じん……。

 どんな理由があろうと、誰も"黒狼の牙"に手は出さない」


ガルフは低く言った。


「だが――それでも生かしている。理由は簡単だ」


一歩、近づく。


「俺は“強い奴” が好きだ。この世界では強さは権力だ!

 弱者には何の価値もない!俺は力でこの世界の全てを手にいれる」


牢越しでも分かるほどの威圧。

それでもミリアは、視線を逸らさなかった。


「そう簡単にはいかない….

 世界には考えられないほど強い猛者がたくさんいる」


ほんの一瞬。

ガルフの視線が、わずかに揺れた。

だが、それは一瞬だった。


「それはそうだな…。俺は俺こそが最強だと思っていたが、

 一人だけ決着がつかなかった奴がいたなぁ…」


ガルフの気配が変わり、空気が震える。


「だがそれもあの時までだ...。

 次はぶちのめす…あの剣士…」


ガルフの眼光はミリアを捉えていた。


(.....??)


ミリアはそれ以上踏み込まなかった。


「……それで、私たちはどうなるの?」


「すぐには殺さない」


「ずいぶん曖昧だね」


「曖昧でいい」


ガルフは背を向ける。


「お前たちをどう使うか、どう壊すか――

 それを考える時間が、俺には必要だ」


「拒否権は?」


「ない」


即答だった。

ガルフは歩き出し、牢を後にする。

そして背中越しにつぶやいた。


「せいぜい生き延びろ、英雄の娘…」


ミリアはわずかに目を見開いた。


「生きていれば、選択の機会くらいは与えてやる」


足音が遠ざかる。

再び、地下は静寂に包まれた。

ミリアはゆっくりと息を吐いた。


(今……英雄の娘って言ったの……?

 あいつは父さんを知っている……?)


その頃――

地上。

夜のダグダートの片隅で、一人の男が地下へ続く隠し扉の前に立っていた。

微かな魔力の流れ。不自然な風の通り。


「ようやく見つけたぜ……」


タバコに火をつけ、煙を吐く。


「ったく……」


小さく笑った。


「世話が焼けるぜ、本当に」


ゼインは闇の中へと、足を踏み出した。

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