Episode.33 平穏な旅路
海を離れ、ミリアたちは陸路へと戻った。
潮の香りはいつしか土と草の匂いに変わり、足元には踏み固められた街道が続いている。
荷車が行き交い、行商人の呼び声が遠くに響く。
穏やかな風景――
だが、その裏で何かが確実に歪み始めていることを、彼女たちは肌で感じていた。
「次の目的地は……天空神殿、だね」
ミリアが地図を見下ろしながら呟く。
エリクサー最後の素材、《神水》。
それを得なければ、ザンガの瘴気に抗う術はない。
「問題は場所だな」
ライガが腕を組む。
「物語とかで名前は聞いたことあるが、誰も正確な場所を知らねぇ」
「天空神殿は地上にない、と言われていますぅ~」
リリシアが控えめに補足する。
「雲の上とか、浮遊大陸とか……話は色々ですけどぉ」
「どれも胡散臭ぇな……ただの噂だろ」
ゼインが肩をすくめ、煙草に火をつける。
「だからこそ、情報が必要ってわけだ」
彼らは街道沿いの村、小さな宿場町をいくつも経由しながら、
聞き込みを続けた。
天空神殿の噂は、どこでも断片的だった。
「昔、空に影を見た」
「山の向こうに光る塔が浮かんだ」
だが、どれも確証には至らない。
一方で、どの街でも必ず耳に入る話があった。
――天の厄災、ザンガ。
「最近よ、また被害が出てるって話だ」
噂は噂を呼び、恐怖だけが増幅していく。
ザンガを追っている父、アルト。
その行方も、手がかり一つ見つからないままだ。
「焦るなよ」
ゼインが低い声で言う。
「気持ちは分かるがよ。
仮にザンガに辿り着いたとしても、エリクサーがなきゃ意味がねぇ」
ミリアは何も言わず、拳を握った。
「瘴気に突っ込んで魔障病にかかるかもしれねぇ。
魔障病にかかったあとは死ぬだけだ……。
それを回避するためのエリクサーだろ?」
ゼインは淡々と続ける。
「まずは準備だ。情報、素材、全部揃えてからだ」
正論だった。
だからこそ、ミリアは何も言い返せなかった。
その日の夕方、彼らは通り過ぎた街の一つで、興味深い話を耳にする。
「北だよ」
酒場の主人が、声を潜めて言った。
「この街からずっと北。やべぇ街がある」
「やべぇ、ってどんなだ?」
ライガが訊く。
「治外法権さ。国の手も届かねぇ。
ならず者、犯罪者、訳ありの連中ばっか」
主人は肩をすくめる。
「だがな……情報だけは一級品だ。
裏の噂、禁忌の知識、なんでも流れ着く」
「街の名前は?」
ミリアが問う。
主人は一瞬だけ躊躇い、そして吐き捨てるように言った。
「――ダグダートだ」
その名を聞いた瞬間、リリシアの顔色が変わった。
「……え、えぇぇぇ……」
「どうした?」
「そこ……聞いたことありますぅ……」
リリシアは小刻みに震え始める。
「ゆ、行方不明者が多くてぇ、
帰ってきた人が誰も街の中を話さないって……」
「情報は質がいい、か」
ゼインが薄く笑う。
「なるほどな……」
ミリアは北の方角を見据えた。
そこには、まだ見えないが、確かに“何か” が待っている。
「行こう」
迷いはなかった。
「天空神殿の手がかりも、
ザンガの情報も、きっとそこにある」
「ミ、ミリアさん正気ですかぁ~!?」
リリシアが半泣きで叫ぶ。
「私、絶対ろくな目に遭わない予感しかしませんよぉ~!」
「今さらだろ」
ライガが肩を叩く。
「俺たち、ろくな目に遭ってない旅しかしてねぇ」
「うぅ……否定できないのがつらいですぅ……」
こうして一行は進路を北へと変える。
治外法権国家、ならずものが集う街――ダグダートへ。
その街に、すでに運命の歯車が静かに噛み合い始めていることを、まだ誰も知らなかった。




