Episode.101 絶望の計画
――ガルフ・ガルシア。
その名が告げられてから、団長室には重苦しい沈黙が落ちていた。
窓の外から聞こえていた騎士たちの掛け声さえ、今はひどく遠く感じる。
ミリアは何も言えなかった。
頭の中に浮かんでいるのは、風の丘で見た男の姿だった。
倒れたバランのもとへ現れ、自分たちを前にしても微塵も動じなかった男。
戦う必要すらないとでも言うような、圧倒的な余裕。
そして――。
『この世界を、絶望させる』
あの時の声が蘇る。
(……あの人が)
ミリアの指先が、無意識に強張った。
(帝国騎士団を……たった一度の戦いで)
人類でも有数の軍事力を誇る帝国。
その最盛期を支えた最高の軍師と、帝国最強の剣士。
その二人が揃っていながら敗れた。
しかも、相手は――ガルフ。
「……冗談だろ」
沈黙を破ったのはライガだった。
いつもの豪快な声ではない。
「ガルフが……そこまでの化け物だったのかよ」
「少なくとも、当時の生存者はそう証言している」
ギルバートが低く答える。
「父の戦術を破り、母を正面から打ち負かした。そして帝国騎士団を壊滅させた」
淡々とした声音だった。
だが、執務机の上に置かれた拳は、固く握られている。
「私とシャルにとって――奴は両親の仇だ……」
隣に立つシャルロットの表情も険しい。
「……忘れた日はない」
低く呟く。
「父と母が出征した日のことも。二人が帰ってこなかった日のことも」
唇を噛む。
「あの男のせいで、私たちは――」
「シャル」
ギルバートの声に、シャルロットが言葉を止めた。
「……すまない」
目を伏せる。
ミリアは何も言わなかった。
軽々しく慰めることなどできない。
親を失う痛みなら、自分も知っている。
だからこそ――ただ黙って、その言葉を受け止めた。
しばらくして、ギルバートが息を吐く。
「もっとも、厄介なのはガルフ一人ではない」
「……黒狼の牙の幹部だね」
ミリアの言葉に、ギルバートが頷く。
「ああ」
執務机の引き出しを開け、数枚の資料を取り出す。
一枚目を机へ置いた。
「――参謀、ヴィオラ」
妖艶な女の似顔絵。
「黒狼の牙の参謀格。鞭剣と毒を扱う。戦闘能力も高いが、最も警戒すべきは頭脳だ。奴らが使う魔道具の
開発にも深く関わっている」
次。
「――絶影、アヤメ」
黒髪の女。
「暗殺、潜入、隠密行動を得意とする。正面戦闘でも並の隊長格では相手にならん」
さらに一枚。
「――雷豪の武術家、カイル・ヴォルフェン」
「…………」
ライガの表情が変わった。
ギルバートもそれに気付いた。
「知っているのか?」
「……兄貴だ」
「何?」
「俺の兄貴だよ」
ライガはそれ以上説明しなかった。
拳だけが固く握られている。
ギルバートも深く追及せず、次の資料へ手を伸ばした。
「そして――爆炎の魔導士、バラン」
「そいつも知ってる」
ミリアが言った。
「つい最近、戦ったばかりだから」
「ほう」
「強かったよ」
あの爆炎、そして魔装。
自分ごと巻き込むことすら躊躇しない戦い方。
そして、最後に現れたガルフ。
「風の丘で戦ったんだ」
「……風の丘?」
ギルバートの眉が僅かに動いた。
「そこで何をしていた?」
「オズっていう人を勧誘しようとしてたみたい。それと――」
ミリアが記憶を辿る。
「大きな魔石みたいなものを使って、SSランクの魔物を召喚した」
「……!」
ギルバートとシャルロットの表情が同時に変わった。
「それだ!」
「え?」
ギルバートが資料を探り、一枚の紙を取り出した。
そこに描かれていたものを見て、ミリアたちは目を見開いた。
黒く濁った巨大な結晶。
「これ……」
リリシアが身を乗り出す。
「風の丘で見たものに似てますぅ……」
「やはり既に使用していたか……」
ギルバートの声が一段低くなる。
「これは我々が便宜上――魔物結晶と呼んでいるものだ」
「魔物……結晶?」
「ああ」
ギルバートは椅子へ座り直した。
「そして今、帝国騎士団が黒狼の牙を早急に壊滅させなければならない最大の理由でもある」
ミリアの表情が険しくなる。
「どういうこと?」
「奴らは今――」
ギルバートは資料の上へ指を置いた。
「大量の構成員を使って世界中に、これを設置している」
「…………え?」
一瞬。
言葉の意味を理解できなかった。
「世界中って……」
「言葉通りだ」
リリシアの顔から笑みが消える。
ゼインも眉を顰めた。
「そいつは穏やかじゃねぇな」
「仕組みを説明する」
ギルバートは紙へ三つの名称を書き記す。
――魔鉱石。
――魔物の細胞。
――人魚の涙。
「……!」
ミリアたちの表情が変わった。
「人魚の涙!?」
リリシアが思わず声を上げる。
「わたしたち、海底神殿でヴィオラさんと戦ったんですぅ!」
「そうだったか……。おそらくその時に回収したな」
ギルバートが少し驚く。
「捕らえた黒狼の牙の構成員によれば、この三つが魔物結晶の基礎材料らしい」
魔力を大量に蓄積できる魔鉱石。
召喚する魔物の情報を保持する細胞。
そして、それら異なる性質のものを一つに結びつけるために利用される人魚の涙。
「この技術を開発したのが――ヴィオラだ」
ギルバートはヴィオラの資料を指で叩く。
「三つを特殊な方法で融合させ、生成された結晶へ召喚術式を組み込む」
「それで……魔物を呼び出せる?」
「ああ」
「……待って」
ミリアの脳裏に、風の丘での光景が蘇った。
バランが巨大な魔石を前にしていた。
そして、爆炎によって砕け散る結晶。
そこから現れた――SSランクの魔物、グレンザード。
「そういうことだったんだ……」
ライガも気付く。
「あの時、バランが壊した石……」
「あれが魔物結晶だったのか」
「おそらくな」
ギルバートが頷く。
「結晶が破壊されると、内部に組み込まれた細胞を基に召喚術式が発動する」
ミリアの背中に冷たいものが走る。
風の丘では一体だった。
だがもし、それが世界中に存在しているとしたら。
「……何個あるの?」
「分からん」
「場所は?」
「それも全ては把握できていない」
ギルバートの答えに、ミリアは息を呑む。
「帝国内だけでも数か所、設置された形跡を確認している。他国については現在照会中だが……既にかなり
の数が運び込まれている可能性が高い」
「ちょっと待ってくださいですぅ」
リリシアの声が震える。
「じゃあ……もし世界中にあるその結晶を、誰かが一斉に壊したら……」
「そのための仕組みがある」
ギルバートが答えた。
そして、新たな資料を机へ置く。
「奴らは――大元となる結晶を一つだけ用意している」
「大元?」
「ああ」
全ての魔物結晶と魔力的に接続された中枢。
それを所有しているのは――ガルフ・ガルシア。
「通常なら各地の結晶は、それぞれ個別に破壊しなければ起動しない」
ギルバートの指が、紙に描かれた一つの大きな結晶から、周囲の小さな結晶へ伸びる線をなぞっていく。
「だが、大元の結晶だけは違う」
部屋が静まり返る。
「それを破壊すれば――」
ギルバートが顔を上げる。
「世界各地に設置された魔物結晶が、連動して一斉に破壊される」
「――っ!」
ミリアの瞳が見開かれた。
「そんなことが……」
「可能らしい」
「どうやって……?」
「誘導爆破魔法というものがあるらしい……」
シャルロットが答えた。
「魔力的に繋いだ対象へ、起点となる破壊を連鎖させる術式。それを魔物結晶用に改良した者がいる」
ミリアには、聞く前から分かってしまった。
「……バラン」
「そうだ」
ギルバートが頷く。
「ヴィオラが魔物結晶を作り――バランが連動させた」
そして。
「それを構成員が世界中へ配置している」
「…………」
誰も言葉を発せなかった。
ヴィオラの頭脳とバランの爆炎魔法、黒狼の牙が持つ組織力。
そして、すべてを束ねるガルフ。
これまで戦ってきた者たちの力が、一つの計画へ繋がっている。
ゼインが低い声で尋ねた。
「大元を壊したら、具体的に何が起こる?」
「最悪の場合――」
ギルバートは一度言葉を止めた。
「世界各地で、同時に強力な魔物が召喚される」
「…………!」
リリシアが息を呑んだ。
都市、村、街道、山、森。
もし、その近くへ結晶が置かれていたら、たった一つの結晶をガルフが破壊するだけで世界のあちこちに魔物が現れる。
「そんなの……」
リリシアの顔が青ざめる。
「スタンピードどころじゃないですぅ……」
「うん……」
ミリアの声も硬い。
王都を襲った魔物の大群。
あの惨状が――世界各地で同時に起こる。
想像するだけで、背筋が凍った。
「だから我々には時間がない……」
ギルバートが告げる。
「我々は大元の結晶を破壊される前に――黒狼の牙を潰す……!!」
ギルバートの瞳には確かな決意が宿っていた。




