Episode.96 帝国の盾
広大な演習場の中央で、ミリアと帝国騎士が向かい合う。
つい先ほどまで響き渡っていた剣戟も、騎士たちの掛け声も、いつの間にか止んでいた。
訓練を中断した帝国騎士たちが遠巻きに二人を囲み、突然現れた旅人の少女を訝しげに眺めている。
その視線を気にする様子もなく、ミリアは静かに剣を抜いた。
鞘から滑り出した白銀の刀身が陽光を弾き、一筋の光を走らせる。
その澄んだ音を聞いた瞬間、向かいに立つ騎士の顔から笑みが消えた。
「……貴様、本気なのか?」
「え?」
「我ら帝国騎士団を相手に――勝てるとでも思っているのかと聞いている!」
ミリアは少しだけ考えた。
そして、あまりにも自然に答えた。
「うん。勝てるよ」
「…………!?」
静寂。
騎士のこめかみが、ぴくりと動いた。
それが挑発ですらないことが、かえって彼の自尊心を刺激した。
ミリアは相手を侮辱しているわけではない。
ただ、自分と相手の力量を見た上で事実を答えただけだった。
だからこそ――腹が立つ。
「……舐められたものだ」
騎士は低く吐き捨て、腰の剣を勢いよく引き抜いて腰を落とす。
「その言葉――後悔するなよ!」
ミリアは剣を握ったまま、構えすら取らない。
「いつでもどうぞ」
「ッ――!」
地面を蹴る。
騎士が一気に間合いを詰めた。
「はあああッ!」
振り下ろされた剣が、ミリアの肩口へ迫る。
しかし――。
空を斬った。
「なに……!?」
ほんの半歩。
ミリアは身体をわずかに傾けただけだった。
続けざまに横薙ぎ。
避ける。
返す刃で斬り上げる。
それも避ける。
「くっ……!」
騎士の剣速が上がっていく。
袈裟斬り。
逆袈裟。
突き。
横薙ぎ。
だが、そのすべてがミリアの髪一本にすら触れない。
「なんだ……あの動きは……」
見守っていた帝国騎士の一人が呟いた。
奇妙だった。
速い――だけではない。
ミリアは相手の剣が動き出してから避けているのではなかった。
肩、肘、足、重心、呼吸。
剣が振られるより前に生じる、ほんの僅かな予兆を読み取り、攻撃が来る場所から身体を外している。
踏み込めば、退く。
追えば、流れる。
斬れば、そこにはもういない。
まるで風に舞う燕。
――燕武。
剣で受ける必要すらなかった。
「くそっ……!」
苛立った騎士が、大きく踏み込んだ。
渾身の横薙ぎ。
その瞬間。
ミリアの瞳が細くなる。
「そこ」
「――え?」
騎士の視界から、少女が消えた。
次の瞬間には懐へ潜り込み――。
ミリアは剣を返し、その柄頭を騎士の脇腹へ叩き込んだ。
「ぐッ――!?」
鈍い衝撃が鎧を貫く。
肺から強制的に空気を吐き出された騎士は、数歩よろめいた末、その場に片膝をついた。
「がっ……は……!」
剣を杖代わりに立ち上がろうとする。
だが、身体が言うことを聞かない。
ミリアは剣を肩へ担ぐようにして、少し困った顔をした。
「……帝国騎士って、こんなもの?」
「ぐ……っ!」
周囲がざわめいた。
「おい……」
「今の、見えたか?」
「いや……」
「あの女、剣を一度も受けなかったぞ……」
帝国騎士たちの顔から、先ほどまで浮かんでいた嘲笑が消えていく。
その時だった。
「――次は、私がお相手願おう」
低く、よく通る声が人垣の向こうから響いた。
騎士たちが一斉に道を開ける。
現れたのは、一際大柄な男だった。
全身を覆う漆黒の重鎧。
左腕には、上半身を丸ごと覆い隠せそうなほど巨大な盾。
歩くたびに重い金属音が鳴り、周囲の空気まで押し退けているようだった。
「ガレッタ隊長……!」
騎士たちの表情に安堵が浮かぶ。
大男はミリアの前まで来ると、大盾を地面へ突き立てた。
――ゴンッ。
石畳が小さく震える。
「帝国騎士団近衛騎士部隊――装甲隊長、ガレッタだ」
「うぅ~……」
後ろでリリシアが難しい顔をする。
「なんだよ」
ライガが尋ねると、リリシアは真剣な表情でガレッタを見つめていた。
「役職だけで噛みそうですぅ~」
「そこ心配するとこじゃねぇだろ」
そんな二人の横で、帝国騎士たちが興奮気味に囁き合っている。
「ガレッタ隊長が出るぞ……」
「終わったな」
「隊長の防御は帝国最強だ。あの人を正面から崩せる奴なんて――」
その声を聞きながら、ミリアはガレッタを観察していた。
(……さっきの人とは全然違う)
立っているだけで分かる。
重心に隙がない。
巨大な盾と重鎧を身につけているにもかかわらず、足腰は大地に根を張った巨木のように安定している。
それでも――。
(黒龍ほどじゃない)
恐怖はなかった。
むしろ、少し興味が湧いていた。
ガレッタはそんなミリアの表情を見て、僅かに口元を緩める。
「先ほどの戦い、見事だった」
「ありがとう」
「故に、一つ提案がある」
「提案?」
「一撃勝負といこう」
ミリアが首を傾げる。
「どういうこと?」
ガレッタは巨大な盾を拳で叩いた。
重厚な音が響く。
「私の取り柄は攻撃ではない。守ることだ」
その声音には、自らの技への絶対的な自信があった。
「貴殿の全力の一撃を、この盾で正面から受ける。私の足裏以外――膝でも、手でも、背でもいい。身体の一部でも地につけば貴殿の勝ちだ」
「つまり……」
ミリアの口元に笑みが浮かぶ。
「あなたを倒せばいいのね?」
「そういうことだ」
「分かりやすくていいね」
ガレッタも笑った。
「では――始めよう」
大盾を正面へ構える。
次の瞬間。
茶褐色の魔力がガレッタの全身から噴き上がった。
「魔装……!」
ミリアの瞳が細くなる。
土属性の魔力が重鎧を覆い、その硬度をさらに引き上げていく。
それだけではない。
「大地よ――我が背となれ!」
地面が轟く。
ガレッタの背後から巨大な岩壁が隆起し、退路を完全に塞いだ。
己の肉体、重鎧、大盾、土の魔装、そして背後を支える岩壁。
幾重にも重ねられた防御。
「さあ」
盾の向こうからガレッタの声が響く。
「――帝国の盾を、超えてみせよ!」
ミリアは静かに息を吐いた。
(……ちょうどいい)
胸の奥へ意識を沈める。
(ゆっくり集中できるから……試してみよう)
天空神殿で受け継いだもの。
初代勇者の光。
それはまだ、自分のものになったとは言い切れない。
身体の奥深くに存在していることは分かる。
けれど、どう扱えばいいのか。
どこまで引き出せるのか。
まだ何も知らない。
(無理やり使うんじゃない)
目を閉じる。
(借りる……)
自分自身の魔力へ意識を向ける。
光属性の魔力。
そのさらに奥に眠る、もう一つの光。
(少しだけ――力を貸して)
呼びかけるように。
自らの光へ、勇者の光を重ねる。
瞬間。
ミリアの身体から、眩い黄金の光が溢れた。
「――っ!?」
騎士たちが目を見開く。
白銀の刀身が、淡い金色へ染まっていく。
「おい……待て」
「あの光……」
「まさか、光属性……?」
ざわめきが大きくなる。
だが、ミリアの耳には入っていなかった。
剣を半身に構える。
そして――呼吸。
深く。
静かに。
一つ。
二つ。
三つ。
心臓の鼓動と呼吸が重なり、血流が一気に加速していく。
龍牙の呼吸。
全身の筋肉が悲鳴を上げる寸前まで研ぎ澄まされ、そこへ光の魔装による身体強化が重なる。
さらに。
初代勇者の光をも纏う。
今の自分にできる、最大火力。
「……いくよ」
ミリアが腰を落とした。
その時。
一人の騎士が、何かを思い出したように声を上げた。
「――あッ!」
皆が振り返る。
「あいつ……俺、知ってるぞ!」
「何?」
「王都だ! 少し前に王都を襲った、破滅の黒龍……!」
騎士の顔から血の気が引いていく。
「たった一人で首を斬り落とした若い女剣士がいるって聞いた!」
「まさか……」
「光属性を使う剣士……」
別の騎士がミリアを見る。
黄金の光。
若い女剣士。
そして、尋常ではない実力。
すべてが繋がった。
「……龍殺し」
誰かが呟いた。
「そうだ……!」
騎士の声が震える。
「あいつが――!」
ミリアが地面を蹴った。
「――“龍殺しの英雄”ミリア・ハワードだ!!」
轟音。
彼女が立っていた石畳が爆ぜた。
「龍牙――」
ガレッタの目が見開かれる。
見えない。
先ほどまで十数メートル先にいたはずの少女が――。
もう、目の前にいる。
「伍ノ太刀――」
光を纏った刃が振り抜かれる。
「――亜切屠ッ!!」
――激突。
ミリアの最大火力の攻撃と帝国最強の盾が火花を散らした――。




