Episode.95 帝国の流儀
太陽が西の山々へ傾き始めた頃、一行は山の中腹で野営することにした。
岩壁が風を遮る平坦な場所を見つけ、薪を集め、簡単な食事を用意する。
やがて日は完全に沈み、辺りは深い闇に包まれた。
頭上には満天の星。
その下で、焚き火だけが四人の顔を橙色に照らしている。
パチパチと薪が爆ぜる音を聞きながら、ゼインは火から少し離れた岩に腰掛け、煙草の煙を夜空へ吐き出した。
「そういや、ミリア」
「なに?」
「初代勇者の力を受け継いだんだろ?」
ゼインは紫煙の向こうからミリアを見る。
「実際、どんな感じなんだ?」
「うーん……」
ミリアは胸へ手を当てた。
意識を内側へ向ける。
すると、身体のさらに奥。
心臓とは別の場所で、小さな太陽が脈打っているような感覚があった。
「上手く説明できないけど……身体の奥に、今までなかった光がある感じ」
「力が溢れてくるような?」
「うん。でも……まだ私の力になったっていうより、預かってる感じかな」
ゼインは煙草を指に挟んだまま目を細めた。
「魔纏解放は?」
「それは……まだ無理だと思う」
ミリアは首を振る。
「エルフの長老さんが言ってたでしょう? 魔纏解放には、自分の属性が持つ本質を理解する必要があるって」
「ああ、そうだったな」
そこへ肉を頬張っていたライガが口を挟む。
「そういや俺も魔装を使えるようになったしな。そろそろ火属性のこと、ちゃんと考えねぇとな」
「ライガさんが考えるんですかぁ?」
「おい」
「明日は槍でも降るんでしょうかぁ?」
「どういう意味だコラ!」
リリシアが楽しそうに笑う。
ミリアも思わず頬を緩めた。
「でも、私も人のこと言えないんだよね」
焚き火を見つめる。
「光属性の特性は――"強化"と"特攻"」
炎が揺らめき、その光がミリアの瞳に映る。
「強化は分かるの。今まで使ってきた光の魔装も、身体能力を大きく引き上げる力だったから」
「問題は特攻か」
ゼインが言った。
「そう」
ミリアは小さく頷く。
「特攻って……いったい何に対してなんだろう」
ライガはしばらく難しい顔で考え込んだ。
「……強化も特攻も結局、ズバァーンって強くなるんじゃねぇのか?」
数秒の沈黙。
リリシアが心底呆れた顔でライガを見る。
「ライガさぁ~ん……」
「なんだよ」
「さすがに脳筋すぎますぅ」
「うるせぇ!」
ライガは顔を赤くする。
「じゃあお前は分かんのかよ!」
「えっ」
急に振られたリリシアは固まった。
「えっとぉ……」
人差し指を顎へ当て、しばらく考える。
「特攻って……特定の何かに対して、ものすごく強くなるって意味じゃないでしょうかぁ?」
「特定の何か?」
ミリアが聞き返す。
「はいですぅ。例えば……」
リリシアは焚き火の炎を見つめる。
「光だから……闇とか」
「……!」
「それか、魔族……」
そして少しだけ考えてから付け加えた。
「――魔神、とかですぅ」
ミリアの瞳が見開かれた。
思わず胸元へ手を置く。
そこには、初代勇者から受け継いだ光がある。
「……なるほど」
勇者。
光属性。
そして、魔なる存在。
偶然とは思えなかった。
「あり得る……」
ミリアは小さく呟く。
「もし光属性が魔族や魔神に対して特別な力を持つなら……」
ザンガ。
その名が自然と脳裏に浮かぶ。
ミリアは自分の掌を見つめた。
「これが分かれば……魔纏解放にも近付けるかもしれない」
「おっ」
ライガが笑う。
「だったらザンガをぶっ飛ばす頃には、とんでもねぇことになってそうだな」
「そんな簡単じゃないと思うけどね」
「いいじゃねぇか。強くなる方法があるって分かっただけでもよ」
「まぁ……そうだね」
ミリアは微笑む。
三人の会話が続く。
炎を囲みながら、これからの旅を語り、くだらないことで笑い合う。
ゼインはその輪の中で、ときおり相槌を打ちながら静かに煙草を燻らせていた。
炎が揺れるたび、その横顔に光と影が交互に差す。
そして誰にも気付かれないほど短い一瞬だけ――。
ゼインは目を伏せた。
◆◆◆
翌朝。
山の向こうから昇った朝日が、薄い雲を黄金色に染めていた。
野営の跡を片付けた一行は、再び王都へ向かって歩き始める。
山道は次第に緩やかになり、やがて岩ばかりだった景色に草原が混じり始めた。
そして昼を過ぎた頃。
先頭を歩いていたミリアが足を止める。
「……見えてきた」
三人もその視線を追う。
遠い地平の先。
巨大な城壁が大地を横断するように伸びていた。
その向こうには、幾つもの尖塔。
黒鉄と灰色の石で造られた巨大な建造物が空へ突き出している。
華やかな王都とは違う。
見る者を威圧するような、重厚な街並み。
中央には周囲の建物を遥かに凌ぐ巨大な城がそびえ、その頂では帝国旗が強い風にはためいていた。
帝都――ラドム。
この国では、家柄よりも富よりも、何より武力が重んじられる。
強き者が上へ立ち。
弱き者は強者へ従う。
良くも悪くも、その思想を国の隅々まで貫いてきた軍事国家。
そして、その頂点に君臨する男。
皇帝――アベル・レオンハルト。
その実力は、人類最強と称される王都騎士団長アレク・ヴァルキアにすら劣らない。
少なくとも、世間ではそう噂されていた。
「へぇ」
ライガの目が途端に輝く。
「強ぇ奴が偉い国か」
「……ライガ」
「なんだよ」
「すごく楽しそうな顔してる」
「そりゃするだろ」
「しないで」
「無理だな」
ミリアは小さくため息をついた。
関所で簡単な確認を済ませ、一行は帝都へ続く大通りを進んでいく。
城門までは、もう目と鼻の先。
しかしその途中に、広大な石造りの演習場が設けられていた。
何十人もの帝国騎士たちが剣や槍を手に、実戦さながらの訓練を繰り広げている。
金属同士が激しくぶつかり合う音。
教官の怒号。
騎士たちの掛け声。
まさしく武の国を象徴する光景だった。
「すごいですぅ……」
リリシアが目を丸くする。
「みんな朝からこんなことしてるんでしょうかぁ?」
「この国ならあり得そうだな」
ゼインが答える。
問題は、その演習場を横切るように帝都への道が続いていることだった。
「邪魔しないように行きましょう」
ミリアの言葉に従い、一行は演習場の端へ寄った。
訓練の邪魔にならないよう、十分な距離を取って歩いていく。
城門までは、あと少し。
ところが――。
「待て、貴様ら!」
鋭い声が飛んできた。
四人が足を止める。
こちらへ歩いてきたのは、黒い鎧に身を包んだ帝国騎士だった。
眉間には深い皺。
最初から機嫌が悪そうである。
「今は帝国騎士団の実戦演習中だ! 見て分からんのか!」
「見えてるけど……」
ミリアは困ったように演習場を見る。
「私たちは帝都へ行きたいだけだよ。訓練の邪魔にならないように、端を歩いていたつもりなんだけど」
「口答えをするなァ!」
「ひぃぃっ!?」
突然の怒声にリリシアが飛び上がり、反射的にライガの背中へ隠れた。
「こ、怖いですぅ~!」
「お前、黒龍に立ち向かった奴がこれでビビんなよ……」
「ドラゴンと怒ってる人は別の怖さがありますぅ!」
「意味分かんねぇよ」
ミリアは二人を放っておき、騎士へ向き直る。
「じゃあ、どうすれば通れるの?」
騎士は腕を組んだ。
「方法は二つだ」
人差し指を立てる。
「一つ。演習が終了するまでそこで待て」
「いつ終わるの?」
「日没だ」
「…………」
ミリアが空を見る。
太陽は、まだ高い。
「さすがにそこまでは待てない」
「ならば、もう一つだ」
騎士の口元が吊り上がった。
「ただし――こちらは勧めんぞ」
周囲にいた騎士たちまで、いつの間にかこちらを見ている。
「帝国では武力こそが力だ」
男は自らの胸を拳で叩いた。
「強者には、それに相応しい権利が与えられる!」
そしてミリアたちを指差す。
「故に、この演習場を今すぐ通りたければ――」
ニヤリと笑う。
「我らを倒し、自らが通るに値する強者であることを証明してみせろ!」
「……は?」
ライガの顔が変わった。
「マジか?」
「当然だ!」
騎士は豪快に笑い始める。
「もっとも! 我ら誇り高き帝国騎士団を倒すなど、貴様らのような旅人には不可能だろうがな!」
「ハッハッハッハッハ!」
演習場に高笑いが響く。
ゼインは額へ手を当てた。
「……面倒な国だな」
「ふふっ」
小さな笑い声。
ゼインが隣を見る。
ミリアだった。
俯いたまま、肩をわずかに揺らしている。
「ミリア?」
顔を上げる。
その口元には――いつもの真面目な彼女からは想像しづらい、不敵な笑みが浮かんでいた。
「なんだ、そんな簡単なことでいいのね?」
「……何?」
騎士の笑いが止まった。
その後ろで。
ライガの口元もまた、獣のように吊り上がっていく。
「へへっ……」
拳を掌へ打ちつける。
「気に入ったぜ、この国」
「ライガさんまでやる気満々ですぅ~!」
「だってよぉ、リリシア」
ライガは楽しそうに笑った。
「向こうから『ぶっ飛ばしていい』って言ってくれてんだぜ?」
「絶対そういう意味じゃないですぅ!」
ゼインは深いため息を吐いた。
「俺は知らんぞ」
ミリアは腰の剣へ手を添える。
天空神殿で受け継いだ勇者の光。
エリクサーによって研ぎ澄まされた身体。
そして、父と母から受け継いだ技。
今の自分がどこまで戦えるのか。
ミリア自身、まだ知らない。
目の前には、武力こそすべてと豪語する帝国騎士たち。
ならば。
この国の流儀に従うだけだ。
「分かった。あなたたちの言う通りにする。私たちがここを通っていいかどうか――」
騎士たちを真っ直ぐ見据える。
「その武力とやらで、決めよう」
ざわめきが広場を駆け抜けた。
帝国騎士たちの視線が、一斉に一人の少女へ集まる。
彼らはまだ知らない。
目の前に立つ十八歳の少女が、王都を襲った破滅の黒龍を斬り伏せ――。
天空神殿で、初代勇者の光を受け継いだ者であることを。
帝都ラドム。
強者だけが尊ばれる武力の国で。
――“龍殺しの英雄”ミリア・ハワードが、静かに剣を抜いた。




