59.未来
濃いダークブラウンの扉を開け店内に入ると、まだ夜も更けていないというのにすでにほとんどのテーブルは埋まっていて、そこかしこから酔っ払いたちの笑い声が聞こえる。
『いらっしゃいませ。エミリー』
出迎えてくれたのは『Bar Salgado』に三人いる看板娘のひとり、ミコだった。三人の中で見た目はもっとも大人びているが生まれてからの年月で言えば実は一番短い彼女が、エプロンを着て長い髪を揺らしながら接客する様子はまだどこか初々しい。
『ええと……カウンターが空いておりますので、どうぞ』
「ありがとう、ミコさん」
ミコに誘導されカウンター席に座ったエミリーは、キッチンの方から漂う美味しそうな匂いで、そういえば今日は時間が取れず昼食を抜いていたことを思い出した。
「お酒の前に、軽く何かつまめるものをもらえますか? お腹が空いちゃって」
『わかりました。すぐお出しできるものをご用意しますね』
ミコはそう言うと、店主であるサルガドのいるキッチンへ向かっていった。
早いもので、ノアが宇宙へ旅立ってからもう一年以上の月日が経った。塔の中にいたMIロボットのうちおよそ7割がノアの宇宙船に同乗することを選択し、残り3割と人類が協力して、塔の発射跡地であるこの場所を中心に開拓を続けている。
私とウォルターはかつて技術省の上司と部下という関係だったが、現在は同じ開拓団の同僚だ。ただ、各開拓チームの取りまとめを行いデスクワークが中心の私と、他コロニーとの交渉役として各地を飛び回っている彼が会う機会は滅多にない。開拓後の居住区構築と運営を担当しているケビンとオースティン博士も同様だが、今の目の回るような忙しさが落ち着いて情勢が安定すれば、またこの店で会うことも増えるだろう。
それから、私の父であるフランツ・バーネットと、リュウジ・サエグサ教授について。驚くべきことに彼らは、ノアとともに宇宙へ旅立っていった。「どうせ老い先短いのだから、寿命までにどこまで宇宙の果てに行けるのか試してみたい」と語る二人の表情はまるで少年のようで、間違いなく今生だというのに別れはひどくあっさりとしたものだった。宇宙から定期的に届く通信によれば、ノアの知識を借りながら研究に没頭できる環境を満喫している様子が窺えた。ようやく父も、様々な鎖から解き放たれ自由を手にしたのだろう。
『お待たせしました』
「わあ、美味しそう」
カウンターテーブルの上にハム、チーズ、レタスを挟んだバケットサンドの載った皿が置かれる。まさに私がいま食べたかったものだ。
「そういえば、アルマさんはご不在ですか?」
『近隣で住民同士のトラブルがあったようで、その対処に……ああ、ちょうど戻ってきました』
ミコにつられるように視線を向けると、丈夫な厚手のマントに身を包んだアルマがドアの向こうから店に入ってくるところだった。アルマはこの一年で少し背が伸びて、顔つきもさらに凛々しいものになっている。
「ただいま、ミコ……エミリーも来ていたの」
「ええ。珍しく仕事が早めに終わったので……そちらは大丈夫でしたか?」
人間とMIが対等な立場で歩み寄り始めたとはいえ、まだまだ価値観の違いから生まれるトラブルは少なくない。ルールの制定や理解を深めるための講義などオースティン博士も手を尽くしてはいるのだが、実際に事が起きた際は共存の象徴たる、そして最悪の場合鎮圧可能な武力を有するアルマが直接介入せざるを得ないケースは多い。
「特に問題はない」
『アルマも食事にしますか?』
アルマの視線がサンドイッチに注がれているのに気付いたミコが訊ねる。
「うん。同じものをお願い」
マントを脱いでエミリーの隣に座ると、腰に差した銃とブレードがスツールに当たって音を立てる。アルマは決して弱音を吐かないが、やはり疲労の色は隠せない。そんな時に伝えるのは心苦しかったが、だからと言っていつまでも黙っているわけにもいかない。
「昨日、ノアからの通信が完全に途絶えました」
通信が可能な距離を超え、ついに訪れた永遠の別れ。その事実を知ったアルマの感情を、動かない横顔からは読み取れない。
「そう……それは、良かった」
アルマが呟いた言葉は、エミリーが最初に感じたこととまったく同じだった。希望を乗せたノアの方舟は、いよいよ人類の手が届かない未知の彼方へ漕ぎ出していくのだ。ノアたちがその先で何を見るのか、私たちが知ることは恐らくない。それでも、彼らの軌跡が幸福に満ちたものであることだけは、私たちは確信している。
「お待たせしました。アルマ、おかえり」
そう言ってカウンター越しにサンドイッチを置いたのは、サルガドの娘、リリアだった。初めて会ったときはまだ幼さが抜けていなかったが、アルマと同じく身体的にも精神的にも大きく成長し、ずいぶんしっかりした印象を受ける。料理の腕もめきめきと上達した彼女は最近ではすっかりキッチンの支配者と化しているらしく、父親のサルガドも「死んだ女房にどんどん似てきちまって」とどこか照れくさそうに嘆いていた。
「ありがとう、リリア。食べ終わったら私もお店を手伝う」
「だめよ。疲れてるんだから、今日はもう休んで」
『その通りです。あ、寝る前にちゃんとお風呂は入ってくださいね』
リリアに続いてどこからともなく現れたミコの追撃に、アルマは為す術なく肩を落とした。
「……わかった」
「ふふふ……あははははは!」
アルマには悪いが、笑い声がこぼれるのを止められそうにない。塔がある未来と無い未来、どちらが正解だったのか今はまだわからない。ただひとつだけ言えるのは、上層民のままだったらこんなに面白い瞬間には決して出会えなかったということ。
私たちの進む道には、きっとこれからも多くの苦難が待っている。それでも、たとえ銀河の果てまで遠く離れた場所にいても、私たちは同じ時の中を生きていく。
本編完結!最後にエピローグを(そのうち)上げる予定です




