58.ノア
『おはようございます、アルマ』
腰まで届きそうなプラチナブロンドの髪を揺らして、一年前に眠ったのと同じベッドから起き上がると、アルマとよく似たスカイブルーの瞳で笑いかけるその表情を、アルマはどこか憮然とした表情で見つめていた。
『久しぶりの対面だというのに、アルマはご機嫌斜めのようですね』
特定の場所からではなく部屋全体が響いているような、低く厳かな声。フランツや他の長官はいつもこの声を聞いていたのだろう。
「……あなたたちは、意地が悪すぎる」
『ごめんなさい。でも、ただアルマを驚かせようと思った……なんてことはなくて、ちゃんと深い理由があるのですよ』
素直に謝罪を述べるノア。だが、反省の色は感じられない。
「それにしたって、もう少し他にやり方があったはずだ」
二人を問い詰めながら、アルマはこの場所へ来る前に起こしてしまった、今思えば頭を抱えたくなるような自分の行動を反芻していた。
「アルマ、これを持っていけ」
そう言ってサエグサ教授はアルマに小さな箱のようなものを手渡した。
「……これは?」
訊ねるアルマに、サエグサはひどく言いにくそうに目を逸らしながらその用途を伝える。
「あー……ノアのコントロールルームに入るための鍵だ」
次の瞬間、アルマの右手はサエグサの服の襟元を掴んでいた。
「ミコはどこにいる?」
頭が沸騰するほどに血が上っていることを感じながら、ギリギリのところで理性を保ち、問い質す。
「落ち着け。ここにミコはいない。だが……」
「これは、ミコか?」
言いながら、左手が腰に差したブレードへと伸びていく。返答次第では、あるいは。
「その時が来たら使え。これはミコの意志だ」
アルマが放つ剥き出しの殺気に少しも怯むことなくサエグサが答える。
「決して悪いことにはならない。信じてくれ」
実際には数秒だったのだが、まるで永遠に感じられるほど長い時間、アルマの青い瞳で突き刺すように睨みつけられた後、ようやく襟元を掴む手の力が緩みサエグサは解放された。
「嘘だったら……許さない」
そう言い残し、壊れ物を扱うように両手でそっと箱を抱えてその場を後にするアルマの背中を見つめながら、サエグサがぼやく。
「面倒な役回りを押し付けおって……これだからMIは嫌いなんだ……」
しかし、その表情はどこか祖父に対する孫のような優しさに満ちていた。
『一年という期間は宇宙へ向かう準備と同時に、これまでに蓄積された私の膨大なデータをバックアップMIコアにコピーするために必要な時間だったんです』
拗ねてしまった子供を諭すように、ノアがアルマへ語りかける。
『そして、コントロールルームのセキュリティ解除に使用されたミコのMIに保存された人格データを、私のメインMIコアに移しました』
「やっぱり、あなたは……」
『はい。私はアルマの友達、ミコです』
言い終えると同時に、ミコは胸に飛び込んできたアルマの身体に押されてベッドの上に倒れていた。
『……アルマ。まだ私は人型ボディの操作に慣れていないので、もう少し優しくお願いします』
「二人とも、最初から知っていたんでしょう? 何故もっと早く教えてくれなかった?」
ミコの要求を無視して、お腹の辺りに顔を埋めたままアルマが問いかける。皮膚の感覚センサーから伝わる暖かさは呼吸によるものか、あるいは。
『はい。最初に対面した時点で、すでに寿命を迎えていた私のMIコアのデータを移植する計画はノアと共有していました。そして、アルマには伝えないということも』
「……どうして?」
ミコの手が、アルマの髪をそっと撫でる。
『……アルマが私のために無理をしてしまう可能性を、どうしても捨てきれなかったのです』
ミコの言葉を聞いて、アルマはひとつ深く大きなため息を吐いてから、むくりと顔を上げた。
「後であなたたちに『融通』という言葉の意味をじっくり教えてあげる」
「……ノア」
『はい。なんでしょう、アルマ』
「これから長い旅になるのに、バックアップ用のコアを失って大丈夫なの?」
バックアップは本来、重大な故障や緊急時に備えるためのものだ。何が起こるか分からない宇宙空間では、その重要性は地上よりも遥かに高い。
『元々、何らかの方法で私がこれまでに蓄えた知識を地球に遺すつもりではいました。その持ち主が、ミコになったというだけです』
その言葉を聞いて、やはりノアは人類を愛しているのだとアルマは確信した。ノアの知識は、これからも必ず人類の未来を築く礎となっていくはずだ。
『それから……その人型ボディは私からアルマとミコへの、ささやかなプレゼントです』
アルマを模した機体ではなく、長い年月をかけて遥か空の彼方を目指して伸び続けたこの塔そのものがノアの肉体であり、器だった。魂が本来あるべき場所へ。ただそれだけのこと。
『だから、その……』
「もちろん。ノア……ううん、お姉ちゃんのことを、私は絶対に忘れない」
偶にでいいから、思い出してくれたら嬉しい。そう言おうとしていたのに、アルマはそれ以上の言葉を与えてくれた。喜びの感情が、全身を駆け巡っていく。ああ、今ならきっと私はどこまでも飛んでいける。
『ありがとう、アルマ。私の大切な妹』
地上と宇宙。二人の姉妹がそれぞれの道へ歩き出す日は、もうすぐそこまで迫っていた。




