56.再会
リリアはその日、父が店主を務めるバーの開店準備をするため、店の入口周辺の掃き掃除に精を出していた。アルマとの対話を経て塔の支配者であるMI、ノアが眠りについた後、下層地帯の様子は驚くほど変化がなかった。いや、私がそう思っているだけで実際には変わったのかもしれないが、少なくともお父さんや他の大人、そして下層のロボットたちはそれを見せないようにしてくれていた。
私たちがいるのは巨大な塔の中であることを小さい頃お父さんに教えてもらったけれど、それについて深く考えたことは一度もなかった。なぜなら、考える必要がなかったからだ。ここには地面があり、空があり、家がある。どこまでも続く高い壁が外敵から守ってくれるし、内側にも怖い人はいるけれど、度を過ぎればMI警備兵が駆けつけて懲らしめてくれる。
でも、ノアが人類を守ることを止めてしまったら? この塔をロケットに作り替えて宇宙へ旅立ってしまったら? 地上に残された私たちは、いったいどうなってしまうのだろうか。
「はぁ……」
日に日に募る漠然とした不安がため息となって外に吐き出される。アルマはいま、どうしているだろう。放送の後、上層へ向かっていったお父さんは「ゆっくり話すことはできなかった」と言っていた。「私も行きたい」とお願いしたけれど「危ないから駄目だ」と止められた。じゃあ、アルマは?
リリアは首に下げたアルマとお揃いのネックレスを握り締め、無事を祈る。どうか、アルマが笑って過ごせていますように。そしてその願いは、信じられないほど呆気なく叶えられることとなる。
「リリア」
聞き間違いだと思った。そんなことあるはずない、でも。恐る恐る声のしたほうへ振り返る。そこには、私に向かって笑いかけるアルマの姿があった。
「アルマ!」
そう言って駆け出したリリアの身体を、アルマが両腕で受け止める。抱き合ったときに、互いの首に下げられたネックレスの石がカチリと音を立ててぶつかった。
「ただいま。リリア……ちょっと、待って……」
存在を確かめるようにリリアの手が顔や身体の上をなぞっていく感触に身を捩らせるアルマ。髪は短くなったけれど、間違いなくアルマだ。
「どうして……?」
「リリアとサルガドに、お願いがあるの」
「なるほど……階層も人間とロボットの違いも関係なく、誰もが楽しく過ごせる場所か」
開店前の店内、テーブルを挟んだアルマの向かい側に座るサルガドが呟く。フランツに課された「未来の世界」の姿を、アルマはこの「Bar Salgado」で再現したいと考え、下層にやってきたのだった。
「いい考えだとは思うが、上層の連中がわざわざうちの汚い店に来たがるとは思えないぞ」
「大丈夫。オースティンやウォルター、エミリーが手伝ってくれる。彼らがいるなら、他の人もきっと来てくれるようになる」
アルマの口から語られる知らない名前。きっと中層や上層でもアルマは多くの人と知り合い、友達になったのだろう。当然だ。知れば必ず、みんなアルマを好きになる。でもやっぱり少しだけ、リリアは寂しさを覚えていた。
「だったらなおさら、上の階層でやった方がいいんじゃないか? フランツさんとやらの印象も良いだろうし……」
「私の帰る場所はここ。だから、ここから始めることに意味がある」
だがわずかに芽生えたリリアの嫉妬心は、アルマの言葉によって一瞬で霧散する。ああ、アルマは上層の長官まで上り詰めても、私との約束を忘れないでいてくれた。その事実に、どうしようもなくくすぐったい気持ちになる。
「どうしたの、リリア?」
アルマと繋いでいた手に思わず力が入っていたことに気付き、すぐに緩める。
「ううん、なんでもない……そういえば、ミコは?」
常にアルマと行動を共にしていた相棒、ミコがそばにいないことが実はずっと気になっていた。だが、アルマの表情に影が落ちるのを見て、言わないほうが良かったかもしれないと後悔する。
「私の不注意で、メンテナンスを疎かにしてしまった。いまは、サエグサのところで預かってもらっている」
「そうなんだ……でも、修理をすれば治るんでしょう? ミコが戻ってきたときに、びっくりさせようよ!」
リリアがそう言うとアルマの表情に明るさが戻る。
「じゃあ、ミコが喜ぶようなものを用意してやるか……何で喜ぶんだ?」
「充電スタンドをふかふかにしておくとか?」
「電流の種類を……」
その後も話し合いは続き、翌日からはウォルターやオースティンも加わって、お披露目の準備は着々と進められていった。
「フランツ。これが、私たちの思い描く未来の世界。認めてくれる?」
閉店後、客たちが帰り静かになった店内でアルマがフランツに問うのを、エミリーは食器やグラスを片付けながら耳をそばだてて聞いていた。
「いや、まだ認められない」
その言葉に、思わずグラスを取り落としそうになり慌てて持ち直した。詰め寄って抗議したくなるのをぐっと堪え、次の言葉を待つ。父と娘ではなく、一人の技術者として、事実を冷静に受け止めなければならない。
「どうして?」
アルマの問いかけに、フランツは少しだけ迷うような素振りを見せた後、再び口を開いた。
「楽しいだけでは、人は生きられない。食べていかなければならないし、安心して眠れなければならない」
フランツはそこで一度言葉を区切り、まっすぐアルマの目を見据えた。
「だから生産省、文化省、平和省と連携して、人類が再び外界で生きていけるだけのインフラを構築する必要がある。そして、当然その実現にはMIの協力が不可欠だ」
フランツの言葉を正面から受け止めるアルマの瞳に決意の火が灯る。
「彼らを納得させるのは至難の業だ。何せ人間というのは、特に権力を持つ者ほど頑固で、変化を嫌う。例えば私のようにな」
エミリーは思わず吹き出しそうになった。父にこんなユーモアがあったとは。酔っているせいだろうか。
「どうだ、できるか?」
「わかった。やってみせる」
フランツの問いかけに、アルマは迷うことなくそう応えた。
「私も手伝います!」
「私も手伝う!」
アルマの言葉に引っ張られるようにエミリーが声を上げるのと同時に、別の方向からもう一つ声が聞こえた。小さな革命戦士にエミリーが笑いかけると、リリアも力強く頷いた。




