55.招待
「『いらっしゃいませ』!」
濃いダークブラウンによく映える金色の取手が付いた扉を押し開けたフランツ・バーネットを、フリルの付いた可愛らしい給仕服を纏う二人の店員が招き入れた。
『お召し物をお預かりいたします』
「ああ、どうも……」
そのうちの一人、女性型アンドロイドの店員の言葉に従い上着と帽子を脱いで手渡すと、慣れた手つきでクロークのハンガーに収められていった。
「そ、それでは、お席へご案内します」
もう一人の、アルマと同じくらいの年齢だろうか、緊張した様子の人間の少女に先導され、フランツがカウンター席のスツールに腰掛ける。
「こちらが、メニューになります。ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」
「ありがとう」
震える手でテーブルの上のメニューが書かれた紙を指し示してくれた小さな店員に礼を述べると、ホッと安堵したように微笑みを浮かべ店の奥へ戻っていった。
「やあ、バーネット博士」
その声にメニュー表から視線を上げると、カウンターテーブル越しに人物の名前を呼んだ人物の顔を見て、フランツが目を見開く。
「オースティン殿……なぜあなたがここに」
チャールズ・オースティン。最も上層民に近いと言われている氏のことは当然知っている。だが、なぜ中層民である彼が下層地帯のバーで働いているのか。
「アルマに手伝いを頼まれてね……バーテンダーの経験は全くないのだけれど、お手拭きを出すくらいなら私にもできる。温かいものと冷たいものがあるが、どちらが良いかね?」
そうだった。彼との共同研究の成果を認められてアルマは上層へ登る権利を得たのだ。あの時は賛成に票を投じたが、今となっては正しい判断かどうか自信がない。
「……では、冷たいものを」
そう言うと、オースティンは左手に持っている方の丸めたタオルを差し出した。受け取った瞬間、ひんやりとした感触が手のひらに伝わる。
「気持ち良いでしょう。私のMIのアイデアなんだ。なんでも日本では顔まで拭く人もいるらしい」
確かにサエグサ教授が喜びそうだ。言われた通り思い切り顔を押し付けたくなるのを堪え、手を拭くに留める。
「それじゃあ、ごゆっくり」
再びメニュー表の文字に目を落とす。酒だけでなく食事も提供しているようだが、あまり聞き馴染みのないものが多い。そもそも戦争以前の若い頃はバーやパブによく通っていたが、塔へ来てからそんな機会はすっかり減ってしまった。だがバーに来て酒の一杯も頼まないわけにいくまい。メニュー表から店内の風景へ視線を彷徨わせていると、席をひとつ挟んだ隣に座る客の前に置かれている茶色い液体が注がれたグラスが目に留まった。
「失礼。何を飲まれていますか?」
訊ねると、若い男性客は少し困ったような笑みを浮かべた。
『あー、ええと……オイルです』
「……オイル?」
『はい。その油です』
男性はそう言ってグラスをフランツの近くに移動させた。恐る恐る鼻を近づけてみると、紛れもない機械油の香りが鼻腔を突いた。
「つまり、君は……」
『はい。MIアンドロイドです』
スツールを回転させ店内を見渡す。あまり周囲に気を留めていなかったが、よく見ると賑わうテーブルにいる客の中にちらほらとMIアンドロイドやロボットの姿があった。隣の席に座る彼のような最新型は専門知識がなければ人間と見分けがつかないため、実際はもっと多いのかもしれない。
「ありがとう。私は大人しく酒を頼むとするよ」
『私も、味覚センサーが搭載されたら飲んでみたいと思っています』
手に取ったグラスを口元で傾け、機械油を舐めながら男性が笑った。
「お父さん。楽しんでる?」
「エミリー、やはりお前もいたか」
上層から一歩も下に降りたことのない箱入り娘が下層地帯のバーで給仕服を着て働いている姿を見ても、フランツは驚かなかった。入店時に上着を預けたアンドロイドが、普段エミリーの世話をしているサポートロボットのサラだったからだ。
「こんなに顔を赤くしたお父さん、初めて見たかもしれない」
「ああ、少し飲みすぎてしまったようだ」
この店は下層地帯ながら、酒も料理も驚くほど美味かった。店主の腕が余程良いのかと訊ねてみると、アルマとノアの一件以降、MIを搭載した義手がやたらと張り切っているおかげで格段に味が上がったのだという。なるほど、これもまたMIの意志というわけか。
「楽しんでくれているみたいで良かった。でも、メインイベントはこれからよ」
弾んだ声で告げるエミリーの視線の先、店内の一角がスポットライトで照らされる。その下にいるのはギターを持つ男性とピアノの前に座る女性、そして何とマイクを持ったアルマだった。
「アルマが歌うのか?」
彼女についてそれほど多くを知っているわけではないが、自ら人前で歌おうとするとはとても思えない。
「MIの繊細な音程制御のおかげで、アルマさんはすごく歌が上手なの。それからギタリストは中層から来てもらっていて、ピアニストはMIアンドロイドよ」
演奏が始まると、そこかしこのテーブルから歓声が上がる。正確にリズムを刻むピアノと情緒溢れるギターの音色、そして小鳥の囀りのような美しいアルマの声。ゆったりと穏やかなメロディーの一曲目が終わると、二曲目は打って変わってアップテンポになり、酒飲み客たちも立ち上がって踊り始める。
「ほら、お父さんも」
エミリーに手を引かれる。
「いや、動くと酔いが回ってしまいそうだ。私はここで見ているから、遠慮なく踊ってきなさい」
「もう……それじゃあサラ、行きましょう」
『はい、エミリー。喜んで』
そう言ってエミリーはサポートロボットのサラと手を取り合い、踊りの輪へ加わっていく。アルマも、先ほどフランツを席へ案内した店員の少女と一緒に踊っている。よく見るとウォルターにケビン、さらにはサエグサ教授の姿まであった。確か彼はMIが嫌いだったはずだが、酔って覚束ない足取りで女性型アンドロイドに手を引かれている。
この場では階層も、人間と機械の違いも関係なく、誰もが手を取り合って笑い、踊りを楽しんでいる。
「そうか、君たちが見せたかったのは……」
鳴り止まない音楽と歓喜の渦に身体を預けながら、フランツは少しだけ寂しそうな声でそう呟いた。




